土日には、昼にラーメンを食いに行ったり、サウナに行ったりするのだが、行く場所を決めるのに東西南北で考える。盛岡は岩手のほぼ真ん中で、南北に4号線、八幡平方面に282号線、西に46号線、東に106号線、南東に396号線、まあそんなところを通ることになる。
この日は南を選択し、4号線を南下する。ラーメンは、久しぶりに拉麺太极に行ってみよう、ということで、店の裏に車を停めて、入口に回ったのだが、結構並んでいる。なとなく並ぶ気分でもなかったので、諦めて車に戻って近所を検索。
すると、七久保食堂という、あんまり聞いたことのない食堂が出てきた。まあ行ってみるかってことでGoogleマップに案内してもらう。この案内は真っ当だった。
名前からして、街の食堂という雰囲気だったが、まさにその通り。古びた看板、砂利の敷き詰められた駐車場、車も結構駐まっていて、地域に愛されている食堂という空気がビンビン伝わってくる。
店に入ると、見たことのない形の薪ストーブがあり、冬場になるとこれが活躍するんだろうなと思ったが、まだ半袖の季節である。
店内はほぼ満席で、パッと見たところ、同じようなものを食べてる人があんまりいないっぽい。家族連れも何組かいて、つまり、何か特定の売りで支えられている店でもないようだ。豊富なメニューに長年の歴史を感じる。
年老いた店員さんが、アタフタと働く中、座敷に上がり、メニューを選ぶ。オレはレバニラ炒め定食、カミさんはあんかけ焼きそばを頼んだ。
レバニラはいたって普通だったが、あんかけ焼きそばがちょっと面白かった。
「あ」、ソース焼きそばだ」
「え?」
なんとソース焼きそばにあんかけがかかっているのだ。さすがにこれは見たことがない。一口もらうと、これはこれで美味しい。
客足も途絶えることなく、激混みというわけでもないが、少し待ち時間もあったりして、ほどよい混雑具合である。
こういう、地域に愛されてる食堂もたまに訪問して、ちょっと面白いものが食べられると、それはまた味わい深いものだな。
カミさんの使っていたモバイルバッテリーをうっかり息子に持たせてしまった。ちょっとしたときに不便だというので、新しいのを買うことにした。買うことに決めるのは大体夜なので、すぐに手に入れるためには、まずネット通販である。
これがうっかり酔っ払っていたりすると、覚えの無いものが注文されていたりする危険があるので、十分に気をつけなければならない。
というわけで十分に気をつけながら、楽天でよさげなのを見繕い、モバイルバッテリーだけを注文した。まあ、それから数ヶ月。ある日、充電できなくなった。モバイルバッテリーには充電されるものの、その先のiPhoneなどに充電できない。iPhoneが原因でないことは、iPadにも充電できないことで明らかになった。その現物がこれ。
保証期間内だったので返品交換をお願いすることにした。ネット通販はこのあたりもネット経由で(まあ当たり前っちゃあ当たり前)型番も購入時期も記録されているのでこのあたりは便利。ただ、現物の画像は添付しないといけないのでちょいと一手間かかる。
で、まあ、そんな手続きをして、まずは新しいモノが届いて、それから返品用の箱みたいなのが届いて、故障した現物を返送するという流れ。
そんな申し込みをしてから2、3日後、Amazonからの不在連絡票がポストに入っていた。
「ん?」
Amazonに何かを注文してはいないはず・・・? もしかして、楽天への返品交換申し込みの現物が、Amazonから届くの? と、なんだか釈然としない思いで再配達の連絡をした。
当たり前だが全く同じものである。うっかり新しい方を返品してしまわないように注意しなければならないので、古い方に目印のテープを貼ってから開封。
で、やっぱりAmazonから届いた。ネットで確認すると、注文、返品交換は楽天である。まあ、楽天もAmazonも委託販売的なものだろうから、実際に注文したお店は同じところなのだろうが、ちょっと不思議な経験であった。
そろそろ寝ようかとしたところ、冬でもないのに屋根から雪が落ちるような音がした。「ザザー、ガラガラ」とガルバリウム鋼板を滑るような音がして、フッと音が消える。冬であれば何の疑問も持たなかったのだが、今は夏である。屋根から滑り落ちるようなモノはないはずだ。
まあ、なんかの音がそんな風に聞こえたんだろう、と、深くは考えずに2階に上がる。階段を上がったところにある窓が開いている。まあ夏だから、夜に窓を開けてあっても当たり前なのだが、いつもとは開けている場所が違う。反対側である。網戸のない方の窓が開いていた。
オレよりはやく2階に上がったのは息子である。「寝る」と言って階段を上がっていったのは20分ほど前だろうか? 何を思ったかいつもと反対側の窓を開けていたのだ。まあ、そういうときはある。買ってきた豆腐をうっかり冷凍庫にしまって凍み豆腐にしたことはオレだってあるし。
そんなわけで網戸のない窓から外をのぞくと、屋根に隠れて見えない地面から「ニャーン」と寂しげな声が聞こえる。サチの声であった。窓から首を出して「サチ」と呼ぶと「ニャーン」と返事をする。
ウチのネコは完全室内飼いで、基本的には外に出さない。掃除のときにうっかり窓が開いていても、恐る恐るタタキに降りるくらいなので、よほどのことがない限りスタコラサッサと逃げていくことはないとは思うものの、屋根から落ちたワケなので、それなりに心臓バクバクになっていることだろう。
慌てて階段を降り、玄関を開けたらすぐ近くにいた。
「おお、サチ」と声をかけて素早く抱き上げ、ウチに入れた。いやあ、パニック起こして逃げなくて良かった。
息子に注意しようかと思ったが、すでに熟睡していたようだ。
さすがに落ち着きのないサチを撫でたりさすったりして落ち着くまで待つ。本人も盛んに毛繕いをして落ち着こうとしていた。いつもはきれいな足の白い毛が、黒く汚れていたので「滑ったのね」と思った。
大体落ち着いたところでオレも寝ようと、階段を上がって、もう一度反対側の窓を開けて屋根を確認してみる。薄暗い街灯の光に照らされて、屋根にふた筋の跡が付いていた。滑ったんだねぇ・・・。
雨でわずかに濡れた屋根は、ネコでも堪えられないほど滑るものなのだな。そしてあの雪の落ちるような音は、雪じゃなくてネコだったのね。
今年のお盆は、カミさんを盛岡に残し、オレと息子が車で実家の茨城に帰り、そこで娘と合流し、2泊ののち白石蔵王でカミさんと合流し、温泉に一泊して、仙台に寄り、墓参りをして盛岡に戻るという日程である。
なんでそんな日程になったかというと、ウチにネコがいるからで、お留守番は一泊が限度ということ。
13日が移動日で、ほぼ日中は車の移動で費やされる。何しろ盛岡から実家の坂東市までは500キロくらいあるので、お昼を挟んだり昼寝をしたりすると、7~8時間かかるのだ。
お盆や正月の高速道路は、その休みの前半で、東京から地方に流れる方は大渋滞になったりする。こちらは逆方向なのでそこまでの渋滞に巻き込まれることはないのだが、時期が時期なのでそれなりに混雑はしている。SAやPAなどは、入口の大分手前のところから渋滞が始まっていたりする。
そういう混雑しているPAやSAを避け、空いてそうなところまでトイレも空腹も我慢する。食事を済ませると、眠くなるまで車を走らせ、眠くなったところでパーキングに入り、20分ほどの昼寝をすませる。毎日の昼寝が習慣になってから、起きてる間に強い眠気を感じることは少なくなった。
翌日は、留守番と茨城県自然博物館で企画展「花はないけど華はある」と題されたシダ展を見に行くことにする。
オレの実家のあたりでは、お盆に親戚を回り、仏壇を拝みに行くという風習があり、親戚中が行ったり来たりするので、留守にすることは出来ない。姉が親戚を回り、オレが留守番となるのだ。
自然博物館は、もう毎年、何年も行っているので、常設展は見たいところだけ再見し、主に企画展を見る。今年のシダは、タイトルにもあるとおり花はないので、わりかし地味なのだが、生物学科に所属している息子がときおり豆知識的な解説もしてくれるので、なかなかに楽しめた。
写真はシダとも常設展とも関係ない「ウミウシ」。親指くらいの大きさで色鮮やかでかわいい。
そして15日はまた移動日だが、白石蔵王までなので、盛岡までより2時間くらい短い旅程。なんで白石蔵王かというと、蔵王キツネ村に行くことにしていたから。
ホームページなどで情報を仕入れていたものの、実際に見ると、いやあ、そこら辺にキツネがいて、人を怖がることもなく、威嚇することもない。もうそこら辺がキツネである。そんなキツネの近影。
この日の宿泊は白石温泉薬師の湯。公共施設っぽいところだったが、お湯も食事もなかなかのものだった。廊下に流れる音楽のボリュームがやけに大きかったことを除けば満足の宿である。
翌日は初盆となる仙台へ。カミさんの実家にある仏壇と、秋保にあるお墓に手を合わせる。
息子と2人で盛岡から実家の坂東市、実家から白石まで娘と息子と白石蔵王、そして家族揃って白石蔵王から仙台、そして盛岡まで戻ってきた。
一晩だけ留守番していたネコのサチは、文句言うこともなく、事故もなく「ニャー」と迎えてくれた。
夏休みと冬休みには、盛岡劇場で、子ども演劇ワークショップをもう20年くらいやっている。正式なタイトルは「こどもエンゲキ体験・はじめの一歩!~夏組~/~冬組~」という。この講座、当初は小学校3年生から6年生まで、途中から中学生にも門戸を広げ、現在は小3から中3までの募集である。
アイスブレイクやシアターゲーム的なものを経て、小グループに分かれてお話を考え、短いお芝居を作り、オープニングとエンディングを合わせて、6日間で30分くらいのエンゲキを作ろうというもの。
オリジナルの曲に合わせた歌まであったりして、なかなかに盛りだくさんで、歌まであるということは、伴奏もあったりするわけで、それはピアノだったりする。劇中の伴奏も生演奏のピアノが入るぜいたくな講座だったりするのだ。
そのピアニストは当意即妙とか臨機応変とかが求められ、なおかつテーマ曲の作曲まで引き受けてもらうという、これまたなかなかにハードルの高いポジションである。作詞は中学生が担当し、場合によっては補作もする。
これまで歴代7、8人にお願いしていると思う。ここのところは自らも演劇ユニットを率いているという、ピアノは独学のIくんが担当していた。就職してからもお願い出来ていたのだが、部署替えかなんかで、ちょっと難しくなったらしい。
そんなわけで次の誰かを探さなければならなくなったのだが、Eくんが、面白い情報を持ってきてくれた。
「Sさん○オンにいたっけよ」
Sさんというのは、Iくんの前にピアノをお願いしていた子で、小柄で可憐な少女、といった風情の女性である。最初にお願いしたのは大学生の頃で、就職してからも何度かお願いしている。
そんな彼女が○オンにいたのである。
なんでそんなところに?
Sさんは、盛岡で就職したのだが紆余曲折あって実家の青森の方に戻り、その先はどうなっていたかわからない状態だったのである。それがなんと南○オンにいたというのである。
こりゃ渡りに舟ってことで、お願いし、上手い具合に引き受けてくれて、素敵なテーマ曲も作ってくれた。大学生の頃と変わらない、可憐な少女風情は衝撃の告白とは結びつかないものだった。
コロナも明けてしばらく経ち、打ち上げも気にせず行えるようになった席上で、その事実が明らかになった。
「あの・・・Tってわかります?」
わかるも何も、去年までもりげきにいたTくんのことだ。モリシミの担当で頑張り、夜中の「かつや」で飯を食っていたTくんである。筋トレマニアで聖地と言われる仙北町のとあるジムに通いたいがために盛岡に就職した男である。学生時代には某二郎系ラーメン店でバイトし、まかないのラーメンを食べては腹を下していたTくんである。その店の秋田支店開店のときには、スタッフとして学生ながらひと月くらい秋田暮らしをした男である。マッチョの大会前の減量では、タンパク質とともに糖質は絶対に必要だと力説していたTくんである。良質なタンパク質の代名詞、鶏ムネ肉をレアに加熱してこれまた腹を下したTくんである。コロナ時代にマスクをした顔しかわからなかった頃、マスクを外したらあごひげがあって、予想通りの唇の厚みと相まって、ワイルドな顔をしているTくんである。
あっという間にこのくらいのエピソードを思い出してしまうくらいの男である。まあ、なんか間違いがあってもご愛敬ってことで。
「あたし、マッチョ好きなんですよ」
とまあそんなわけで、SさんとTくんがお付き合いしているという、衝撃の告白だった。聞いてみると、大学時代は軽音楽部で同期ということで、当時はお付き合いしてはいなかったのだが、卒業してからお互い数年経って、なんかの機会で久しぶりに会い、なんかそう言う流れになったみたいだった。
なんというか、SさんにもTくんにも、幸せになってほしいなぁ、と思っていたので、まとまって幸せになってくれると、なんだか面白いやね。