さて、今週後半にしたことなどを書き留めてみよう。
NEXCO東日本青森の3分ラジオドラマ2本を、3日の夜に書き上げて送信。4日が締め切りなのだが、昼間が仕事で動けないようなので、4日の朝までには上げておかないといけないのだ。
そして4日の夜に秋田トヨペットの3分ラジオドラマ1本を上げて送信。これも急遽今週中に欲しいと言われ、素早く書いた。
5日金曜日は、なんと、劇団モリオカ市民第2回公演「わたしのじゃじゃ麺」の制作発表記者会見。9時に白龍に集合し実行委員など6名で、朝じゃじゃを食べた。実は一昨日も某医大の先生に会うために白龍に行っていたのだが、一日おいて朝じゃじゃである。
実は俺、朝じゃじゃは初。初めてだったが、朝のじゃじゃは結構グーである。一汗かいてしまうので、なんというか、体が目覚める感じがするのだ。で、朝からニンニクぶち込んでしまいました。ニンニク、ショウガ、ネギと、体を温めるものがたっぷり入っているので、どうしても体が温まる。キュウリは体を冷やす働きがあり、陰陽のバランスは取っている。
いつも朝じゃじゃの実行委員、じゃじゃ麺ファンクラブのKさんに、先日の医大の先生の取材について話すと「その人下の名前はなんていうんです?」と聞くので「Tですね」と答えると「ええーっ、○○○○かぁ」となにやらあだ名をいう。どうもその先生は、Kさんの高校の頃の先生だったようだ。
うーむ、狭いぞ盛岡。
で、その先生は日本文学系の先生で、もりおか弁の本など出している。でありながら、昭和54年に盛岡に来ていながら、なんと、白龍初体験だというのだ!
あんまりびっくりしたので
「初めてですか?!」
「ホントに初めてですか?」
「いつ頃から盛岡ですか?」
と、驚きを隠さず質問していたところ
その先生はぽそりと言った。
「盛岡弁とか言ってる場合じゃないですね」
でも、美味しくいただいてくれたようでした。
話戻します。
んで、気合いを入れたあと、記者会見へ。冷麺の時の記者会見が、前代未聞の新聞、テレビの全マスコミが来るという盛況だったため、同様に平日の午前中に日程を組んだのだ。
しかし、第2回という現実はちょいときびしく、やや淋しい記者会見となった。んでもまあ、ちゃんと新聞に載ったし、うちのカミさんの実家からも電話かかってきたし、ま、仙台でも掲載されたっちゅうことだね。
で、いろいろとじゃじゃ麺芝居についてしゃべった。
午後は、久しぶりにゆいとぴあで整体。至福。
夜は稽古。おおざっぱなぶたいの出ハケ口が決まったので、とりあえず、立ってみる。動くとやはり、芝居も動く。秘密兵器たちが頑張っている。
土曜日は、先日お会いした医大の先生の紹介で日中東北の会の会合に参加。満州帰りの人の話を聞く。いろんな本では読んでいたものの、実体験を伴った肉声は、壮絶なものである。そして、たくましい。何しろスゴイと思ったのは、13か14くらいの頃に、山で2年、狩猟で生活をしていたというのだ。何しろ満州である。冬は-30度を下回る日だってあるのである。そんなところで年端もいかぬ少年が、2年自活できるという、そのスキルがスゴイ。もちろん精神力も並大抵ではない。
他にもものすごい話がたくさんあるのだが、まあそれはそのうち気が向いたら。
その後、カミさんと子どもらと合流し、息子の七五三から入学式まで使えるようなよそ行きの服を探す。
午後はシンベリンの子ども演劇ワークショップがあり、それに三年生の娘を無理矢理潜入させ、ネタを盗むべく見学。夜の稽古で早速応用。これはなかなかに良いネタである。これの理論的裏付けと、発展形を考えたいものだ。
夜は稽古。腕のある連中が組み合わさって稽古すると、やはり上が狙える。秘密兵器たちを上手い具合に引き上げてくれることを期待。
というわけで日曜日。掃除機をかけ一汗。午後、草取りをして一汗。カミさんと娘をシンベリンに送り出し、下の息子は、ご近所の仲良し兄弟となんかやって遊んでいる。
今週はラジオドラマの締め切りはないはずなのだが、「わたしのじゃじゃ麺」のプロット第一稿締め切りがある。油断なくすすめられたらいいなぁ。
って希望的観測じゃイカンよな。
NEXCO東日本青森の3分ラジオドラマ2本を、3日の夜に書き上げて送信。4日が締め切りなのだが、昼間が仕事で動けないようなので、4日の朝までには上げておかないといけないのだ。
そして4日の夜に秋田トヨペットの3分ラジオドラマ1本を上げて送信。これも急遽今週中に欲しいと言われ、素早く書いた。
5日金曜日は、なんと、劇団モリオカ市民第2回公演「わたしのじゃじゃ麺」の制作発表記者会見。9時に白龍に集合し実行委員など6名で、朝じゃじゃを食べた。実は一昨日も某医大の先生に会うために白龍に行っていたのだが、一日おいて朝じゃじゃである。
実は俺、朝じゃじゃは初。初めてだったが、朝のじゃじゃは結構グーである。一汗かいてしまうので、なんというか、体が目覚める感じがするのだ。で、朝からニンニクぶち込んでしまいました。ニンニク、ショウガ、ネギと、体を温めるものがたっぷり入っているので、どうしても体が温まる。キュウリは体を冷やす働きがあり、陰陽のバランスは取っている。
いつも朝じゃじゃの実行委員、じゃじゃ麺ファンクラブのKさんに、先日の医大の先生の取材について話すと「その人下の名前はなんていうんです?」と聞くので「Tですね」と答えると「ええーっ、○○○○かぁ」となにやらあだ名をいう。どうもその先生は、Kさんの高校の頃の先生だったようだ。
うーむ、狭いぞ盛岡。
で、その先生は日本文学系の先生で、もりおか弁の本など出している。でありながら、昭和54年に盛岡に来ていながら、なんと、白龍初体験だというのだ!
あんまりびっくりしたので
「初めてですか?!」
「ホントに初めてですか?」
「いつ頃から盛岡ですか?」
と、驚きを隠さず質問していたところ
その先生はぽそりと言った。
「盛岡弁とか言ってる場合じゃないですね」
でも、美味しくいただいてくれたようでした。
話戻します。
んで、気合いを入れたあと、記者会見へ。冷麺の時の記者会見が、前代未聞の新聞、テレビの全マスコミが来るという盛況だったため、同様に平日の午前中に日程を組んだのだ。
しかし、第2回という現実はちょいときびしく、やや淋しい記者会見となった。んでもまあ、ちゃんと新聞に載ったし、うちのカミさんの実家からも電話かかってきたし、ま、仙台でも掲載されたっちゅうことだね。
で、いろいろとじゃじゃ麺芝居についてしゃべった。
午後は、久しぶりにゆいとぴあで整体。至福。
夜は稽古。おおざっぱなぶたいの出ハケ口が決まったので、とりあえず、立ってみる。動くとやはり、芝居も動く。秘密兵器たちが頑張っている。
土曜日は、先日お会いした医大の先生の紹介で日中東北の会の会合に参加。満州帰りの人の話を聞く。いろんな本では読んでいたものの、実体験を伴った肉声は、壮絶なものである。そして、たくましい。何しろスゴイと思ったのは、13か14くらいの頃に、山で2年、狩猟で生活をしていたというのだ。何しろ満州である。冬は-30度を下回る日だってあるのである。そんなところで年端もいかぬ少年が、2年自活できるという、そのスキルがスゴイ。もちろん精神力も並大抵ではない。
他にもものすごい話がたくさんあるのだが、まあそれはそのうち気が向いたら。
その後、カミさんと子どもらと合流し、息子の七五三から入学式まで使えるようなよそ行きの服を探す。
午後はシンベリンの子ども演劇ワークショップがあり、それに三年生の娘を無理矢理潜入させ、ネタを盗むべく見学。夜の稽古で早速応用。これはなかなかに良いネタである。これの理論的裏付けと、発展形を考えたいものだ。
夜は稽古。腕のある連中が組み合わさって稽古すると、やはり上が狙える。秘密兵器たちを上手い具合に引き上げてくれることを期待。
というわけで日曜日。掃除機をかけ一汗。午後、草取りをして一汗。カミさんと娘をシンベリンに送り出し、下の息子は、ご近所の仲良し兄弟となんかやって遊んでいる。
今週はラジオドラマの締め切りはないはずなのだが、「わたしのじゃじゃ麺」のプロット第一稿締め切りがある。油断なくすすめられたらいいなぁ。
って希望的観測じゃイカンよな。
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