母に対しての怒りは依然とある
AC、モラハラ、ボーダーを学んで自分の怒りがどこからくるかに気づかされた
だが、それで「怒り」が消滅したわけではない
時々私を苦しめる「怒り」を綴っていこうと思う
綴ることによって鎮めたいわけでも減らしたいわけでもない
私は記し、残したいのだ
「母への怒り」で真っ先に上がるのは、去年、逝った父に対する仕打ちだ
父がすい臓癌であるとわかったときのことだ
私も兄も遠く離れて暮らしているため、父の病状、主治医の所見、治療の方針などは、ほとんど母の口からしか聞くことができなかった
母はそれを利用して、事実を自分の都合よいように曲げて私達に伝えていた
手術をするかどうか、病院側から打診があった(本当かどうか今となってはわからない)
お父さんね、手術しなかったら3ヶ月、しても1年しかもたないんだって。どう思う?
私:本人はどう言ってるの?
手術しても1年しかもたなくて、辛い治療しかできないんだったら好きなようにしてるほうがいいかと思うけど。でも本人の意志を尊重してほしい
そう!そうよね!!手術なんてしないほうがいいよね!!
母は父に治ってほしいなんて1ミリも思ってなかった
快復して退院してほしくない
看病は絶対に嫌
ウソだった
兄が見舞いに行ったとき、主治と話ができた
根治は難しいとは言ったものの、命の長さなんて一言も話してはいなかった
私の言葉は「手術しないほうがいい」というところだけ切り取られて
家族は手術に反対です
と伝えられていた
私も兄もそのウソを追求しなかった
母に言ったところで非を認めるわけない 無駄だと。
私は逃げたのだ
母の逆上するのは目に見えていた
当時、父は人質だった
【いったい誰のおかげでお父さんを看てもらえると思ってるんだ!】
【看病するのはこの私だ!】
【なにもしないくせに!!】
と、次から次へと罵倒されるだろう
あんな母でも父を任せるしかないと思うと、情けなかった
病院を兄の暮らす東京へ移すことはできないか、と真剣に考えたこともあった
だが、私は行動に移すことはしなかった できなかった 逃げた
治ってほしくない 退院してほしくない 母と、治ってほしい、家に帰してあげたい私達の溝は深まった
上述の罵倒は、違う状況のときによく言われた実際の母の言葉だ
**************
本当に3ヶ月ほど経ったころ、父が危篤になった
その電話をしてきたのは母なのだが、これまでにも病状、主治医の見解の報告に
ウソが多かったので、容易に信じることができなかった
私は、危篤の知らせのあと、念のため、親戚に電話した
危篤は本当だったのだが、
親戚に電話したことが母を逆上させた
なんで○○に電話した!!疑ってるのか!!!
私:お母さん思い込み激しいし、早とちりもあるから。3ヶ月しかもたないって話も違ってたじゃないの
本当に言ったとおり3ヶ月だろうがぁぁぁぁ
こういうのをウソから出た誠とでもいうのだろうか
言い返せなかった・・・・
今にして思えば、数々のウソを重ねてたので、私が親戚に一本電話しただけでも
「疑われてる!」と察知したのではないだろうか
父への仕打ちの怒りは、父を救い出せなかった無念の想いと共にいつも心の中で
渦巻いている
AC、モラハラ、ボーダーを学んで自分の怒りがどこからくるかに気づかされた
だが、それで「怒り」が消滅したわけではない
時々私を苦しめる「怒り」を綴っていこうと思う
綴ることによって鎮めたいわけでも減らしたいわけでもない
私は記し、残したいのだ
「母への怒り」で真っ先に上がるのは、去年、逝った父に対する仕打ちだ
父がすい臓癌であるとわかったときのことだ
私も兄も遠く離れて暮らしているため、父の病状、主治医の所見、治療の方針などは、ほとんど母の口からしか聞くことができなかった
母はそれを利用して、事実を自分の都合よいように曲げて私達に伝えていた
手術をするかどうか、病院側から打診があった(本当かどうか今となってはわからない)
お父さんね、手術しなかったら3ヶ月、しても1年しかもたないんだって。どう思う?
私:本人はどう言ってるの?
手術しても1年しかもたなくて、辛い治療しかできないんだったら好きなようにしてるほうがいいかと思うけど。でも本人の意志を尊重してほしい
そう!そうよね!!手術なんてしないほうがいいよね!!
母は父に治ってほしいなんて1ミリも思ってなかった
快復して退院してほしくない
看病は絶対に嫌
ウソだった
兄が見舞いに行ったとき、主治と話ができた
根治は難しいとは言ったものの、命の長さなんて一言も話してはいなかった
私の言葉は「手術しないほうがいい」というところだけ切り取られて
家族は手術に反対です
と伝えられていた
私も兄もそのウソを追求しなかった
母に言ったところで非を認めるわけない 無駄だと。
私は逃げたのだ
母の逆上するのは目に見えていた
当時、父は人質だった
【いったい誰のおかげでお父さんを看てもらえると思ってるんだ!】
【看病するのはこの私だ!】
【なにもしないくせに!!】
と、次から次へと罵倒されるだろう
あんな母でも父を任せるしかないと思うと、情けなかった
病院を兄の暮らす東京へ移すことはできないか、と真剣に考えたこともあった
だが、私は行動に移すことはしなかった できなかった 逃げた
治ってほしくない 退院してほしくない 母と、治ってほしい、家に帰してあげたい私達の溝は深まった
上述の罵倒は、違う状況のときによく言われた実際の母の言葉だ
**************
本当に3ヶ月ほど経ったころ、父が危篤になった
その電話をしてきたのは母なのだが、これまでにも病状、主治医の見解の報告に
ウソが多かったので、容易に信じることができなかった
私は、危篤の知らせのあと、念のため、親戚に電話した
危篤は本当だったのだが、
親戚に電話したことが母を逆上させた
なんで○○に電話した!!疑ってるのか!!!
私:お母さん思い込み激しいし、早とちりもあるから。3ヶ月しかもたないって話も違ってたじゃないの
本当に言ったとおり3ヶ月だろうがぁぁぁぁ
こういうのをウソから出た誠とでもいうのだろうか
言い返せなかった・・・・
今にして思えば、数々のウソを重ねてたので、私が親戚に一本電話しただけでも
「疑われてる!」と察知したのではないだろうか
父への仕打ちの怒りは、父を救い出せなかった無念の想いと共にいつも心の中で
渦巻いている
いずれにしても、怒りを心の中にためておくのはよくありません。どんどん書いて、どんどん吐きだしてくださいね。応援しています。
人間の死という厳粛に対しても、何も感じない人(モラ)がいる・・・私の体験からの実感です。
当時の義父とアッちゃんさんのお父さんが重なります。
治る見込みのない病苦の中で、ただただ家に帰って畳の上で寝たい・・ばかり繰り返していましたが、その妻、息子、娘たち(みんなモラ)は知らん顔。
元姑は、息子(元夫)にイグサの座布団を持って来させ、病人の手に触らせ、
「ほら、あんたが望んでる畳よ、これで気がすんだでしょ」と言いました。
そういう意味じゃないでしょうよ・・と、義父がすごくかわいそうに思いましたが、今はわざわざそんな、病人がかえって辛くなるようなことをするモラ姑への恐怖と憐れみを感じます。
仮に家へ連れて帰るのが現実的に不可能でも
「ごめんね、願いかなえてあげられなくて・・」という切ない思いをするのが家族でしょう。そして、看病する家族の苦労を思いやって、病人もまた、「自分はこれでいいよ」という・・
死に臨んで、お互いが思いやり合う。世間ではそんな話をわんさと聞きます。
そんな感情一ミリもない人たちなわけですから。
お母さんに対しては、怒りをもつだけこちらの損かもしれません。
ご自分への無念の思いは、そんな思いはしないでいいよ、とお父さんは思ってくれてるのではないかな。
私が親の立場から娘を思うなら、そう思いますので。
おっしゃるとおり、書くことによって冷静になれるし、整理することができます
特に私の場合、「怒り」は感情が噴出してしまうため、そのときはなぜ怒っているのかをうまく説明できないことが多いのです
あとになって、ああいえばよかった。こう言えばよかったと、自分のふがいなさにクヨクヨ
してしまうんですよね
これからもどんどん書きますね!
いらっしゃってくれてうれしいです^^
お義父さま、重なりますね
私の父も、家に帰りたいと最初のころは言っていましたが、だんだんと言わなくなりました
モラ母に自分の願いを伝えたら、なにがなんでも阻止されますからね
相手の希望を踏みにじることが蜜の味なんですもの
私が未だに怒りを持ち続けていること、父は悲しむでしょうかね。。。
私がお父さんなら。
娘が怒るのが当然だと思います。怒らないで諦めてしまう方が娘のために悲しみます。
怒っても、人は怒りのままでいることはなく、必ず、次のステップがきますから。
これも、自分の体験からですけど・・。
常に葛藤はあるのです
怒らないと父がうかばれない!
という想いもあって
父もそんなに立派な人間だったわけではありません
夫として罪を犯したし、欠点もありました
そこに対して母に対してほど怒りがないのは
結局、許容範囲なんだろうなと思います
母はやはり理解の範囲を超えています