今回、実家で母と接して気付いたことがある
母は私になにか提案?したいときや頼みごとがあるときは否定形で質問するのだ
アッちゃん これ食べたくないやろ?
アッちゃん これいらないやろ?
アッちゃん ○○日は来れないやろ?
アッちゃん ○○へ行きたくないやろ?
↑これ おかしい 実におかしい 変だ!
否定形で聞かれたらなんて答えればいいのだ?
家にある蜜柑ひとつに「いらんやろ?」って・・・
普通は「いる?」「食べる?」って聞くよね
母を怒らせないような返事をしなければと身構えていた
はっきり「いらない」と返事すると母の気分を害するのではないかと
とっさに自己防衛の体制にはいる
このパターンが私の身に刻まれてしまっていた
一方で母はなぜこういう聞き方をするのだ?
まるで子供にあげたくない、別行動したいがためにそういう言い方をするのだと考えるのが一般的だと思うのだが
母の場合はそうではない
拒絶されるのが怖い
「これ食べる?」と好意で差し出したものを、
「いらない」と拒否されることが恐怖なのだ
モラ母は、相手が今は満腹で食べたくない、とかそれが苦手なものなのかもしれない、なんて相手の都合を考えることなどできない
自分が拒絶されるかもしれないことに過剰に防衛的になる
相手に拒否される前に、まず拒否した形でお願いすれば面子が保たれるのだろう
拒否に拒否で答えられれば「ほらやっぱりね」で安心できるし
「いやいや 下さい お願いします」と言われれば、「そうかいそうかい アンタにあげるものじゃなかったけど、あげてもいいよ どう?うれしいだろ?」
と優越感を得られる
このパターンが習慣化している
この状況は何度もあって苦笑してしまった
ある日、昼近くになって
母がため息交じりに訴えるような言い方で
「あーーー ラーメン食べたい」
と言った
(間違っても、「食べに行かない?」とか「連れてってほしい」なんて言わない)
来た来た~
プレッシャーを与え続けられるのはイヤなので
「じゃあみんなでラーメン食べに行こう」と私が提案
兄、私の夫と子供、母で総勢5人
昼前に着かないと混雑して入れないからと、みんなをせかすので
それならとみんな腰を上げて用意しだしたところに
あんた達 本当はお腹一杯で食べたくないの?
これは重症だ
ラーメンひとつにここまで頭の中がグルグルする母
自分はラーメンを食べたい
↓
誘ってくれるように仕向ける
↓
引き受けてもらってまず安心
↓
だがすぐに不安
↓
・本当はみんな食べたくないのかも
・申し訳ない(という気持ちも確かにあると思う)
・あとで自分のせいにされるかも
快く引き受けてもらっても常に疑惑がわく
本当に母というひとは不幸なのだと思う
こういう場合は
うれしい!付き合ってくれてありがとね
で終わるのに
母は私になにか提案?したいときや頼みごとがあるときは否定形で質問するのだ
アッちゃん これ食べたくないやろ?
アッちゃん これいらないやろ?
アッちゃん ○○日は来れないやろ?
アッちゃん ○○へ行きたくないやろ?
↑これ おかしい 実におかしい 変だ!
否定形で聞かれたらなんて答えればいいのだ?
家にある蜜柑ひとつに「いらんやろ?」って・・・
普通は「いる?」「食べる?」って聞くよね
母を怒らせないような返事をしなければと身構えていた
はっきり「いらない」と返事すると母の気分を害するのではないかと
とっさに自己防衛の体制にはいる
このパターンが私の身に刻まれてしまっていた
一方で母はなぜこういう聞き方をするのだ?
まるで子供にあげたくない、別行動したいがためにそういう言い方をするのだと考えるのが一般的だと思うのだが
母の場合はそうではない
拒絶されるのが怖い
「これ食べる?」と好意で差し出したものを、
「いらない」と拒否されることが恐怖なのだ
モラ母は、相手が今は満腹で食べたくない、とかそれが苦手なものなのかもしれない、なんて相手の都合を考えることなどできない
自分が拒絶されるかもしれないことに過剰に防衛的になる
相手に拒否される前に、まず拒否した形でお願いすれば面子が保たれるのだろう
拒否に拒否で答えられれば「ほらやっぱりね」で安心できるし
「いやいや 下さい お願いします」と言われれば、「そうかいそうかい アンタにあげるものじゃなかったけど、あげてもいいよ どう?うれしいだろ?」
と優越感を得られる
このパターンが習慣化している
この状況は何度もあって苦笑してしまった
ある日、昼近くになって
母がため息交じりに訴えるような言い方で
「あーーー ラーメン食べたい」
と言った
(間違っても、「食べに行かない?」とか「連れてってほしい」なんて言わない)
来た来た~
プレッシャーを与え続けられるのはイヤなので
「じゃあみんなでラーメン食べに行こう」と私が提案
兄、私の夫と子供、母で総勢5人
昼前に着かないと混雑して入れないからと、みんなをせかすので
それならとみんな腰を上げて用意しだしたところに
あんた達 本当はお腹一杯で食べたくないの?
これは重症だ
ラーメンひとつにここまで頭の中がグルグルする母
自分はラーメンを食べたい
↓
誘ってくれるように仕向ける
↓
引き受けてもらってまず安心
↓
だがすぐに不安
↓
・本当はみんな食べたくないのかも
・申し訳ない(という気持ちも確かにあると思う)
・あとで自分のせいにされるかも
快く引き受けてもらっても常に疑惑がわく
本当に母というひとは不幸なのだと思う
こういう場合は
うれしい!付き合ってくれてありがとね
で終わるのに
人様のお母さまのことを悪く言うのは気が進まないけれど、アッちゃんのお母さま、じつに屈折していますね~。よほど不幸な育ち方をなさったのでしょうか。
アッちゃんのお母さまに比べたら、わが母など仮性モラだったのかしら、という気がしてきました。それでもわたし、充分に傷つけられて、ゆがんでしまったんですけど。
アッちゃんが普通の感覚の持ち主に育ったのが、奇跡のように思われてきます。
確かにそうですね
母がもっと若い頃はここまで酷くなかったと思うのですが、一体いつごろから?
本人も苦しいんだろうな、と察してしまうくらいなので、他人事のようになってきているのでしょうか
私が普通の感覚かどうかはわかりません(汗)
マーチさんがおっしゃるように、親友には
「よくちゃんと育ったよね!」と何回か言われたことがあります
究極の反面教師!ですね
きっと想像もつかないほど人に拒否される事が嫌なのでしょうね(うちの母もですよ・・)。。。
世間知らずというかすごく神経質に気を使われるのでしょうが、きっとなにか間合いがづれていて、自分と同様のリズムで生活する以外の人間を認められなくて、自分の見解に凝り固まってしまうというようなところでしょうか・・・・
確かに母が若い頃は女の子は嫁に行くものだと、世間を知ることもなく、大人になり母となってしまったのですから、、、うちの母の場合母の母がまだ母が嫁ぐ前になくなってますので、自分が母となってからもまったく良いも悪いもお手本がなかったと言うところでしょうか、、、
いつもの事ですが我が母もまったくこちらの時間も都合も考える事無くお構いなしに電話をしてきます。
自営業と言う事をいつでも自分に付き合えて暇があると勘違いしてるらしく・・・・
最近思います。モラ母には他人の生活リズムを想定するキャパというか能力が欠けているのだと。
普通の人が出来る事が出来ないのです。
性格のように言われがちですが、決してそうではなく持って生まれた能力の問題のように思います。
そう思うようになってから少し楽になりました。
些細なことでも他人に拒否されると自分を否定されたと思い込む
相手の立場で考えることができない
普通のひとができることが出来ない
本当にそうですよね
近頃の母の言動でますますそう思うようになりました
病を患っているようです・・・
もっとひどいかも。
否定語使うのも、人に頼み事や誘いが出来ないのも。
「拒絶されるのがこわい」というあっちゃんさんの分析は私もそのとおりだと思います。
でも、アッちゃんさんちのお母さんはわかりませんが、ウチの婚家の場合は、厳密にいえばちょっとちがうような・・。
拒絶されるのが怖い、んだと思うと、なんか同情の余地もあるじゃないですか。
じゃなくてね、「私を拒絶する人間を赦さない」
「私を拒絶してくれたら、それをネタに相手にごねることが出来る」
ここまで行ってましたよ。
ねじれの捻れ状態。
昔ですが、義母が病院に検査に行くと云ってたから(軽い検査です)夜、結果を聞く電話を入れたんです。
そしたらねち~っとした声で、
「あなた、日にちを1日間違えてるわねえ」
「は?今日でしょ検査」
「つきそってもらってる人ばかりだったわよ。私1人で恥ずかしかった」
「だったら、前の日にそう言ってくれたらよかったですのに」
「今日できるならきのう電話してきてもいいでしょ?つきそいましょうかって」
「気が付きませんでした」
「いいのよ、そんなこと頼めないものねえ、誰だって都合あるんだし、私のことなんかいいのよ」
これ、たぶんアッちゃんさんならおわかりでしょう。
つきそってほしいのではないんですよね。
「付き添ってこなかったことにイヤミ言いたい」
だけなんですよ。
すべてあとから文句言うというこのパターンでしたから。
決してひとに頼まず。
そして、こちらが先に気を利かせたときがまた見もの。
それこそ恐怖症のように、大仰にことわったり
聞こえないふりしてましたよ。
やりにくい「子供」そう思わないとしかたがないですね。
彼女をそこまでにさせたものは一体なんなんでしょうね???
検査の日もわざと間違えて伝えたのでしょうか?
きっとそうなのでしょう
いつもそうやってどうしたら陥れることができるかばかり考えているのは不幸だ、と思うところですが、姑さんはそれが幸せなんでしょうね
趣味!趣味!!
最近は母がなにか大げさに訴えてきたり、文句を言うのを趣味だと思うようになりました