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山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

サハラに死す

2013-04-14 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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『サハラに死す 上温湯隆の一生』 上温湯隆〔著〕 長尾三郎〔構成〕 ヤマケイ文庫

70年代にサハラ7000Kmをラクダ1頭とともに単独横断を試みた若者がいた。私は、その存在すら知らなかったのだが、1975年11月時事通信社から、手記が刊行されていた。その本を読んだ若者が彼に続けとばかり、サハラ横断にチャレンジしている。同志社大学探検部の飯田望、そしてリヤカーに荷物を載せてサハラを縦断した男、永瀬忠志。前者は79年で、上温湯同様まったく知らなかったのだが、リヤカーマンはリアルタイムで書店で見ているからよく覚えている。なぜリヤカーなんだ?と不思議に思ったものだ。

余談はさておき、この本の著者である上温湯隆は、自分の成し遂げたこと、失敗したこと、感じたこと、考えたたことを、20代の若者らしい感性でストレートに書いている。自らを振り返ると、20代の頃は、彼と似たような人生の蹉跌みたいなものを感じていた。自分よりも多少でも人生経験が長い人から、なんだかんだとアドバイスを受けながら、その時代を乗り切ってきたわけだけど、最後は自分次第なんだよね。自ら決断して実行しなければ、何も始まらない。

上温湯のサハラ横断の出発点は、モーリタニアのヌアクショット。そこまでほとんどヒッチハイクに近い状態でたどりつく。この地でラクダを1頭購入し、さっそくアラビア語で「わが友」を意味する「サーハビー」と命名する。そしていざ出陣、意気揚々と砂漠に乗り出すのだが、すぐに食糧問題に直面する。道々調達するはずが、町や遊牧民のテントを見つけられなかったのだ。コンパスや地図をもっていても、進むべき方向に少しでもずれがあれば、進む距離とともにその誤差は拡大していくばかりだからね(地図にきちんと磁北線を引いていたのだろうか)。彼はこの苦境を出発点に戻ることで回避する。いったん事を始めてしまうと、振り出しに戻るのは難しいものだが、彼は旅の途中で知り合った友の忠告を反芻し、戻ることを決断する。

再出発するも、砂嵐に遭ったり、体調を崩したり、サーハビ-が失踪したりと苦難の連続となる。そして最大の危機が訪れる。サーハビーを疲労させて死なせてしまったのだ。ここで挑戦は終わりかと誰もが思うが、上温湯は周囲の援助を受けて再びサハラ横断の挑戦を決意する。不屈の精神だと関心しながら先を読み進めると、突然幕は下りる。

小説ではないから、遭難死したら、そこで突然シャットダウンしてしまうのだ。本のタイトルが「サハラに死す」だから、死んでしまうのはわかっているのに、実際に読み進めてそうなると、納得がいかないし、もうがっくり。上温湯の人となりもわかっているし、彼の生き様に共感を覚えながら感情移入しているからね。

日本の外務省に上温湯が死んだという連絡が入って、上温湯の母にその報が伝わるという事実が淡々と綴られていく。そして次第に明らかになっていく死の真相。あまりにもあっけない死。再び購入したラクダ(やはりまたサーハビーと命名)が気が荒く、食糧や水を積んだまま逃げたらしいということ。残酷だ。日中の気温が50℃にもなるサハラ。ここで水がなければ、どういうことになるか。この過酷な状況を想像すると身の毛がよだつ。

                                 

冒険に情熱を費やした男がいた。短命ではあったが、関わった人々の心に大きな足跡を残したし、われわれ読者にも共感や、人生捨てたもんじゃないぞという希望を残してくれた。70年代にこんな破天荒な男がいたのだ。この本がまた新たな冒険家を生み、上温湯は伝説になるのだろう。

サハラに死す――上温湯隆の一生 (ヤマケイ文庫)
クリエーター情報なし
山と渓谷社

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