新田次郎の山に関するよもやまエッセイだ。エッセイというものは、書き手の性分が如実に現れるものだから、その書き手が何を考えているのか、それについてどう感じているのかがわかって、面白い。この本もごたぶんにもれず、新田次郎の人となりがよく現れていて、興味深い。
このエッセイのなかで、印象的だったことをいくつか記してみよう。
まず何度も登場する、歩くのが遅いというエピソード。最後のタイトルには、なんと「遅足登山」と付けられている。まさにそのものずばりだ。とにかくフツーの人が簡単に追い越していけるほどのスピードで一歩一歩踏みしめながら歩くということだ。だから、まずガイド(当時はガイドをつけての登山が当たり前だった)が、あれっと思う。いつの間にか、はるか後方にいるから。立ち止まって、さあ歩調をあわせようとするも、またいつの間にかはるか後方を歩いている。それを繰り返して、ようやく新田次郎の歩調がわかるのだ。南アルプスの山行記中に出てくる、うら若き乙女にガイドしてもらったときも同様で、乙女が振り返ると、新田次郎は、ゆっくりゆっくりと後方から登ってくる。ただ、歩調はゆったりしていても、ごはんをとるとき以外は、休みなしで登り続けたというから、変わっている。
もうひとつ、よく出てくる新田次郎のエピソードは、白くて立派な花をつけるコブシが好きだと公言していることだ。しかし、あるときコブシと思っていたのは、タムシバだったと、白状している。タムシバといえば、枝にちり紙がのっかっているように見えるあの花だ。山の神に、「タムシ+むし歯」で覚えられると、冗談めかしていっていたのを思い出す。ちなみにタムシバとコブシはそっくりで、違いは、コブシの花の直下には葉があり、タムシバにはない。
立山の雨中山行は、よくやるよなと、感心した。大雨注意報が出ていれば、フツーは出発せず、延期するか、あきらめるものだ。無茶というか、冒険好きというか、決めるともうテコでも動かない頑固者なのだろう。このときのガイドはかの有名な佐伯邦夫氏。雨の中もくもくと新田次郎を案内したというから脱帽だ。
新田次郎は、本人が書いているように、同じネタを、小説にしたり、エッセイにしたりということはしない。さしずめ現代の企業でいえば、「ワンソース、マルチユース」で、つまり一つのネタで、2度も3度も儲けようというのが普通の考え方なのだが、それは決してしない。不器用なのか、読者に対してのマナーなのかはよくわからないが、ある面、非常に良心的かつ、潔癖な作家といえる。書き手によっては、同じネタで何度も書きまくっているから、あれれどっかで読んだなというのはよくあることだ。たんに忙しすぎて書いたことを忘れたとか、この話を書くには、どうしてもこのネタに触れなければならないとか、いろいろ事情はあるんだろうけど。
最後に今年は、新田次郎生誕100年。この本の解説に書かれてもいたが、それを記念して、『新潮45』6月号で「新田次郎特集」が編まれていた。でも新潮のサイトでチェックしてみると、残念ながらすでに売り切れ。ほかには、ヤマケイから『よくわかる新田次郎』という生誕100年記念文集が出ているので、入手したいところだ。それに最近は新潮文庫が生誕100年の帯をつけて売っているよね。私個人としては、この「生誕100年」で盛り上がっているのだが、みなさんはどうだろうか。
新田次郎 山の歳時記 (ヤマケイ文庫) | |
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