山伏をいっとき体験してみようという人は、そこそこいるだろう。でも、彼はハマッた。なぜか? 幼少期に大病を患い、死線をさまよった体験がそうさせているようだ。子供の頃には、死を暗示させるような闇をさまよう不思議な夢をよく見たともいう。そうした原体験は、その人の心の底流に根強く居座っているものだ。彼の職業はイラストレーターであるが、その発想の大元は、すべてこうした原体験から生まれているようにも思える。この本のなかには、彼のイラスト、版画が随所にちりばめられている。山伏の雰囲気、世界観をよく表現しているのは、そんなところに起因するのかもしれない。
山伏の修行とは、俗世間から隔絶し、自然との一体化を試み、心を浄化しようというものではないか。そのためには、ゆるぎない規律と作法(儀式)の遵守、そして精神の集中と解放が必要になるだろう。呪文を唱え、山道を歩き、山中に籠もり、水垢離をし、口にするものは、自然のささやかな恵み。まさに人間が自然とともに暮らそうとする共生の営みだ。
ただし、彼が実践した山伏は、師がつくったカリキュラムに沿った山伏。現世ときっぱり縁を切るわけではなく、荒縄のようなものでつながっている。だから、実際の山伏とは、一定の距離を置きつつ、コアな部分の周辺を経巡ることになる。そうそう現世での生活を断ち切ることはできないから、それはそれ、隙間から山伏という異世界を盗み見したり、疑似体験するのは、どっぷりつかって、そこから抜け出せなくなるよりも、第三者の視点から観察もできるし、理解もできるというものだ(!?)
とはいえ、彼はもう立派な山伏といえるんじゃないか。矛盾するようだけど。何度も山伏体験修行をしていれば、その分だけ、山伏として前進しているはずだしね。
でも、彼はこの先どうするのだろうか。俗世に身を置いたまま、ときどき山伏という今のままなのか、あるいは身分は山伏、ときどきイラストレーターとか、はたまた完全なる山伏となり、四六時中山中で大自然と寝食を共にするのか。ちょっとばかり興味がある。10年後の彼はいったい何をしているのだろう。
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