目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

裸の山ナンガ・パルバート

2011-08-27 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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トンガっている。ラインホルト・メスナーって若い頃は、自由奔放、やりたい放題だったのかなと思わせる、感情むき出しの筆致にちょっと驚いた。日本で言えば、亡くなった長谷川恒男みたいな印象だ。

この本は、ラインホルト・メスナーが25歳のときにドイツのナンガ・パルバート遠征隊に参加して、その頂上を極め、直後遭難死寸前で助かったときのことを詳細に書いている。メスナーの人となり、そしてこの現場で何が起こったのかを克明に読者の前にさらけだしている。

このときの隊長であるヘルリヒコッファーとのその後の確執はすさまじく、訴訟に到っている。ヘルリヒコッファーはある面、優秀な経営者的なセンスで、隊を統率、指揮した感がある。ただし鼻持ちならない狡猾な面ももちあわせていたようだが。それに対してメスナーは、ヘルリヒコッファー何するものぞという一匹狼的なやんちゃぶりで、彼の独善的な管理に反発している。管理しようとする側と管理される側の確執は、一歩間違えれば、労働争議が勃発するのだ。

メスナー兄弟の遭難の発端は、弟のギュンターが無茶をして、山頂を目指す兄のメスナーを追ったことにある。ギュンターは兄に追いつくために体力を消耗し、登頂後ベースキャンプへ下る余力を失ってしまうことになる。そのギュンターを救うためにメスナーは、手を尽くすのだが、万策つき、唯一の助かる道は、縦走してディアミール谷へ下ることだと決意する。その途上、ギュンターは雪崩に遭って命を失う。

隊長ヘルリヒコッファーは、メスナー兄弟は死んだという判断のもとにベースキャンプをたたみ、捜索隊を編成することもなかった。だが、ラインホルトは生きていた。幻覚を襲われながらも生きて谷を下り、村人と出くわす。凍傷にやられた足では歩けず、村人に背負われ、即席担架で運ばれ、軍のジープに乗せてもらい、命からがら町に戻るのだ。あまりに生々しいその記録、描写は、読んでいて卒倒しそうになる。

ラインホルトは、その後さまざまな物議をかもす。それだけ自分の考えや行動に自信をもっているのだろう。そのトンガリの度合いは、最近はだいぶ鈍ってきているようだが、まだまだ舌鋒するどく相手をこっぴどく批判する態度は健在のようだ。ドイツ国内では、いまだにメスナーが正しいのか、ヘルリヒコッファーが正しいのかの論争がつづいている。

このナンガ・パルバートの遭難については、『奇跡の生還へ導く人』や、『ラインホルト メスナー自伝』にも登場する。『自伝』では、あまりにも淡々と描かれていて、私のなかでは何の印象も残らなかった。『自伝』は、彼の実績を誇り高い勲章のように掲げているから当然なのかもしれないが。

最後にひとつ付け加えておこう。驚くべきことに、ラインホルトは再びナンガ・パルバートに帰ってきた。今度はディアミール壁を越えての単独登頂のために。まさに超人といわれるゆえんだ。

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裸の山 ナンガ・パルバート
クリエーター情報なし
山と渓谷社

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