Part2のつづき
コースタイム 9月25日 三伏峠小屋テント場5:38--6:48三伏峠から2km地点6:53--7:20林道へ下りる直前の鞍部7:25--8:30鳥倉林道駐車場先路肩
本谷山から三伏沢(水場)へ下る分岐を探しながら歩いてくると、それらしき場所があった。ロープが張られていて、立入禁止になっていた。朝登ってくるときには、三伏沢テント泊禁止という文字しか目に入らず気づかなかったが、まさにここだった。閉鎖されたルートにわざわざ入っていくのは気が引けたので、三伏沢へ下り、水場をまわって三伏峠のテント場へ戻るルートは取りやめ、朝来た道を忠実にたどり、テント場に戻った(24日14:05)。
テント場に戻る道すがら、山の神と、烏帽子岳へ向かう道から水場に行けそうだけど遠そうだよなとか、水は小屋で買うか?とか、へなちょこ(死語!?)な会話をかわしていたが、やはり汲みに行くことにした。
最初は渋っていたから、当然行かないと思っていた山の神は、水汲みに同行することになった。歩き始めてすぐ、先ほどテント場ですれちがった妙齢の女性たちが容器に水を満たして帰ってくる。時計を見ると、あれから30分くらい経っている。往復でそんなものか。意外に近い。
烏帽子への分岐から水場へ下っていくと、三伏山の緑が目にまぶしくうつる。見上げる山頂には人影が見え、いぶかしそうにこちらを覗いているように見える。ここに水場があることを知らないのだろうか。
水場は熊が出るらしく、ラジオがつけっぱなしになっていた。
それにしてもなぜ、三伏沢ルートは閉鎖されたのだろうか。このときは熊のせいか、あるいは土砂災害のせいかと思っていたが、ネットで調べてみると、最大の理由はし尿処理の問題ということだ。もともとここには三伏小屋があり、その周囲が三伏沢テント場だったのだが、その問題があって、2003年に小屋は閉鎖、あわせてテント場も閉鎖となったようだ。
左:水場のタンク。ポンプで水を小屋へ上げている 右:恐ろしい張り紙「熊に注意」
翌25日も4:00起床。昨日のうちにテントを撤収して下山していった人もいたが、われわれはムリせず、もう一泊しての下山を選択した。おかげでもう1回、満天の星空を拝めた。久々に見る昴は感動的だった。
テントをたたんで、三伏峠を5:38出発。三伏峠小屋からも人があふれ出てきた。今日塩見岳へ登る人は、すでに暗いうちに出発しているから、どうやら皆下山組のようだ。
左:そろそろ新しいデカザックがほしいな 右:暗い樹林帯。休憩ポイント
3連休最終日ながら、今日登り始める人もいる。次から次へと登山者とすれ違った。そのなかで、ひときわ変わったシャツを着た一見インド人ふうのおじさんに大きな声で「おへーす」と挨拶された。一瞬頭が真っ白になった。なんて言ったんだ今? 「おはようございます」の彼独特の省略らしかった。ふふ~ん、そう来たか、自分の挨拶バリエーションにも追加しとこうかと。
往路もそうだったが、林道歩きが長く感じた。山の神とくだらない会話をかわしていると、いつの間に来たのか、後ろから追い越していくおじさんがいた。挨拶もせず、歩度をゆるめることなくスタスタと軽快な足取りだ。もしや、テレポーテーション(瞬間移動)。まったく後ろから来る気配がなかった。そして、ふと気づくともう100メートル先くらいを歩いている。またハッと気づくと、はるか前方を歩いていて、いつのまにか視界から消えた。
ホントは、テレポーテーションで家から来たんじゃないかとアホな想像をめぐらす。今もテレポーテーションを繰り返してるから、どんどん先を歩いていくように感じるんだ。駐車場に着いてもあのおじさんはいないぞ、きっと。車で帰るフリをして、じつはテレポーテーションで帰宅だ。などとふざけているうちにゲートが出てきて、駐車場に着いた。そのおじさんは当たり前だが、帰り支度をしていた。最近、テレポーテーションが出てくる、半村良『産霊山秘録』を読んだせいの妄想だった。
帰途、中央高速の諏訪SA内の温泉に立ち寄る。オープンの10:00を少し回っていて、タイミングよく入れた。男湯は湯船が2つあって、湯船1つの女湯より広い。トラックの運転手さんが主に利用するからなのだろうか。気持ちよく湯浴みして山の神と合流。その後、多少渋滞にはまったものの、14:30には帰宅できた。