新田次郎の苦悩が赤裸々に書かれている。とくに気象庁の仕事と作家の仕事という2足のわらじをはいていたので、職場の人間関係には悩まされたようだ。作家として売れてくれば、収入や名声に対してのやっかみが生まれる。役人としての仕事をおろそかにしているんだろうと、後ろ指を差される。でも何事にも真摯に取り組むのが新田次郎流で、自分自身や職場で言い訳をしないために原稿書きは深夜まではやらない。翌日職場で居眠りしていては、ダメだと自分に言い聞かせるという姿勢をもっていた。すごいね!
そのうち仕事ぶりが評価されて、富士山山頂にレーダーを設置する担当課長になる。仕事の鬼と化し、技術屋としての能力もフルに発揮するし、理詰めで業者選定をして管理能力をも発揮する。いっぽうでは原稿の執筆量は減ったとはいえ、短編を書き上げるという恐るべき執念を見せる。
いわゆる役所の課長職というのは、現場の長で、現場で起こること一切合財を取り仕切るという絶大な権限をもっていて、重要なポジションであり花形ポストである。しかし、富士山頂にレーダーを設置し終えてみると、一転して早くポストを後輩に明け渡せと、圧力がかかるんだね。結局職を辞すことになるのだけれど、よせばいいのに、職場の中をぐるりと後任とともにあいさつ回りをする。そのときの人間模様は面白い。最初から嫌な思いをしそうだと、うすうすは感じていただろうに。
この人間模様や職を辞したことが、しばらく尾を引いて、小説の邪魔をする。しかし、そんなことは、時の移ろいとともに、きれいさっぱりと、人生の後景に去っていくものだ。新田次郎もその例外ではなく、再び精力的に仕事をこなしていくことになる。
年賦を見ると、驚くほどの作品数だ。仕事が来なくなる、あるいは書けなくなるという、作家が少なくとも一度は経験する恐怖感が人一倍強く、書かなければという使命感からひたすら構想を練り、書いて書いて書きまくった結果がこれなのだろう。
でも、それを表す象徴的なエピソードとして、こんなことが紹介されている。夕飯を食べて、いざ原稿を書くために2階の書斎へ上がっていくときに、毎日「たたかいだ。たたかいだ」と声にだして自分を叱咤していたとある。あるとき娘がその言葉を真似したのを聞いて、自制したらしいが、それだけ、自分に活を入れていたということなんだろう。
小説に書けなかった自伝 (新潮文庫) | |
クリエーター情報なし | |
新潮社 |