なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

犬も歩けば!!

2007-10-01 17:56:18 | Weblog
 これは少し前の土曜日の話です
 「犬も歩けば棒に当たる」・・・もう昔むかし?の「犬棒カルタ」の「い」ですが、私は二つの意味で間違って使っています。
 このカルタの意味は「犬はむやみに(用もないのに)出歩くから災難に遭う」のような意味なんだそうですね。
 同じように意味が変わりつつあるのが「情けは人のためならず・・・」これは「情けをかけるのは結局はその人の為にならない」みたいに少し冷たくなってきているのでこれは怖い変わり方
 犬棒に戻って、間違いとは知りつつも「出歩けばたまには好いこともあるかもしれない」の方が好きですね。
  新聞記者とか刑事さんは足で仕事をする・・・出歩くことが良いこと!
 もっとも自分でそういう使い方をしたときに間違いを指摘されるのが嫌なのでまずこれは使うことはない言葉です。
  もう一つ間違っているのは・・・個人的な間違いです。
  「歩く」ですね
 この場合の「歩く」は「出歩く」=「出かける」でしょうから、それなら間違いではないのですが、私の場合遠くへ行くのは本当に用事がある時だけ。
 比較的近場なら殆どが自転車で、ここのところに変に拘りがある
  栄養指導の先生からは「ウォーキング」を強く勧められているのですが・・・
  私は先生にきっぱり拒否反応・・・その点は悪い生徒です
   理由は「脳梗塞以来、右手右足に違和感があって当然生活では歩くけれどウォーキングはしたくない!」
 「体重を落とすのには効果があるのですがね」
 などとおっしゃるが、この「違和感」は当事者でないと分からないでしょうね
  老人とか半病人を装った甘えだと言われようと

 ともかく「犬も歩けば・・・」間違った方の話
 先週末の土曜日にいつもの図書館に行きまして、当然と言うか習慣?で2週間分の本を借りまして、帰りにロビーでコーヒーを一杯・・・自動販売機のパックですが
 そこでコミュ囲碁クラブのOさんと出会いました。
   これが私にとって今日の収穫みたいな出来事
  この人もコミュとか図書館が好きで時々は出会いますが、今日は久しぶり
 聞けば土曜日の「子供と打つ会」は暫くお休みになっているらしい
  お相手をするボランティアのおじさんたちは人数が居るし、やる気はあるのですが、子供たちが小学校から中学に入ると「囲碁離れ」するらしいのです
  進学とかの問題と「囲碁」がはかりに掛けられるらしい
   どこか違うと思うのだけれど・・・
 進学勉強の為に部活や趣味が排除されるのかもしれません・・・勉強一筋のつもりがどれだけはかどるのでしょうね? と悪態をつきたくなります。
 尤も本当に勉学一筋の子は少ないでしょうが・・・どこかで息抜きをしなくてはやっていられないはずですから

  逆に囲碁一筋だって、みんながみんな全国大会に出られるように強くなれるとは限らない。
  でも勉強の合間に好きなスポーツで体を動かすのと同じだと思う
  隙間の時間にTVゲームとか携帯などに夢中になるよりよほど健全だと思うののです
  それともう一つ疑問なのは、本人の自発的な意志はどの程度あるのか?ということ・・・全て本人の意志なのか?
 最初から考えて、子供が囲碁を始めるきっかけは親の意志がかなり強く反映していたかも?
 でもやっているうちに本人が囲碁の面白さを少しは感じていると思うのに、今度は親の意志で止めさせるのだろうか?
 それとも本人が「イマイチ打ち込めず」止めても良いと思うのだろうか・・・回りからそれとなくかかってくるプレッシャーを察知して。
 
 そんなことで今は土曜の午前中は休会状態なんだそうです
 自分で熱心にタッチしていないのに意見を言うことはヤヤ無責任だとは思うのだけれど・・・
 こういう会で、「ただ打つだけ」ということしか提案できなかったボランティアのおじさんたちにも責任があると思うのです
 「絵が描かれていない」というか
つまり「囲碁を憶えると楽しいよ」とは言っているのですが
 「憶える」「覚える」「強くなる」・・・などのシステムみたいなもの・・・
 毎週通って来ると強くなる=そういう楽しさも示せないといけないのではないだろうか?
 それに目標が無い
  具体的な変化を実感できるものが欲しいですね
   だからオジサンたちの自己満足だったかもしれません
プロになるとか何段になるとかでなくて良いのですが、少年大会に出るとか他のクラブと親善・対抗戦を行うとか・・・
 ネットを使ってもいいし・・・
  真剣に碁を打つことの楽しさ、人との関わり合いの楽しさを実感できなくてはいけなかったのでしょう
 ともかく碁を理解する道筋・碁が強くなる道・碁を楽しむことそういうことが具体的でないとただ打っているだけになってしまうでしょう
 だから竜頭蛇尾ではないけれど尻切れトンボみたいに終わってしまうのはある意味では必然の結果でしょう。
 
 ところでOさんたちはコミュニティでは活動が停止しているけれど、彼の近所の小学校では「囲碁の会」を続けている模様。
 定期的に学校で対局しているという
  きっと理解のある校長先生とか居るのだろう
 でも先ほどあげたことなどを整理して実行しないとコミュニティでの出来事の繰り返しになるような気がする。
 それはあまりにももったいない
  
 余談ですが、その会に一人強い少年が居るらしい
 あるプロ棋士の碁会に参加しているようだがそこで三段だとか
 Oさんは自身が初段あるかないかなので、少年に3つ置いて「教わっている」のだそうだ。
 局後手直しが早くて手馴れているとか・・・少し興味がある
  「今度人手が必要なら声をかけて下さい」と伝えたけれど
 
 さて今日借りた本は前回の続きです
「呉清源・王立誠 囲碁の真理を探る 第三巻」 2002年
  前回の第二巻に続いてこれが最終巻のようです
 大きなサイズで250ページ程度ですから第二巻の方は2回は読んだのですが、目を通しただけということかも知れない・・・つまり理解したとかの自信は無い
 それでも続巻の第三巻を借りてしまいました。
  マアこれもともかく読まなくては・・・
 理解できたとか、身につくとかではなくともかく
 だから雑多な知識が未整理のまま転がっているようなものでしょう
  もっとも転がっていればたいしたもので、たいていの物は2,3日もしないで蒸発してしまうかな
 ともかく第三巻の私としての目玉は第一章と二章
  二連星対に連星とか、三連星関連の話です
 これは楽しみですね
  休みの日には図書館・本屋・コミュニティそれにK畑師匠の居る碁会所などに出かけなくてはいけませんね、きっと何か良いことに出会えるでしょう