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本に出ていた通りの形に相手が打って来ました・・・表現がおかしいかもしれませんが。
たまたまそうなったのか、その方も同じ本で勉強していてそうなったのか分からないということです。
それと少し変わったと言うか、工夫を感じる打ち方ですから、何かの意図的なものを考えてしまいます・・・
少しでも効率が良い手を考えた工夫とも言えるし、場合によっては相手が(この場合私が)勝手に躓いてくれるかもしれないという期待感?
その変わった形が持つ特有の効果を期待して・・・まあ相手に半歩でも先んじようとする工夫でしょうか
呉清源の「この手ご用心・小目編」に出てくる手ですから、嵌め手の要素も無いわけでは無いでしょう。
尤もこの本に出てくる手は、相手が受け損なったら嵌め手的目覚ましい効果があると言うだけで、嵌らなくても不利になるわけでも無さそうだから、所謂嵌め手とは違うかも?。
そういう意味ではこちらが勝手に嵌るかどうかだけが問題ではある。
但し、相手に少しぐらいは「嵌ってくれると嬉しいな」という気分はあるかもしれないけれど、これは聞いて見なければ分からないし、聞いても本当の答えが返ってくるかどうかは怪しい。
ともかく序盤のある隅で
黒小目、白小ケイマかかり、黒2間高ハサミ、白2間トビ。
ここまでどうと言うことの無い進行
白は挟まれて3三に変わるか、上に飛ぶかどちらかでしょう
それで上に飛ぶなら1間は1見固そうだけれど足が遅くて良くないし、黒から圧迫を受けると先輩に教えられたことがありまして、今でもこれを思い出しながら打ちます。
ともかくこの時黒は白に2間の石のどちらかにつけてくるか、黒も3線に2間とびなら普通です・・・が4線に大ケイマで打って来ました。
この手が「ご用心」の一つです。
この手を打たれた瞬間に呉清源先生の本を思い出しました。
そこのところはジイサマの頭はまだ完全にボケてはいないようで安心ですが後がいけない「何て書いてあったっけ?」的な思考回路です。
これはこの形を本当の所は理解できていないと言うことの暴露みたいなものです
全く情けない話です
「素人なりにですが、理解した知識でその場で最善の応手を考える」なら良いのですが、どう書いてあったかを思い出そうともがくのですからね。
まあしかし、対局中に本を探したい衝動は抑えましたが、当然ですね。
局後まあ何とかテキストから外れてなかったことは確認できましたが・・・
ところで今読んでいる「アマの知らない最先端定石」にも似たような形が出発点になっている折衝が出ています。
多分2間とか大ケイマとか石が多少離れた感じの配石では、変化の手段が多いのですね。
だからまだまだ何が飛び出してくるか分からない分野なのかも知れません。
不安定と変化の余地の多い形は裏腹でしょう。
それは失敗すれば痛手を負うけれど、もしかしたら多少は多めに利益を戴けるかも知れない・・・そんな形でしょうか。
先日話しました「冒険趣味」ではないけれどその辺に興味を感じます。
もっとも余りに仕掛けられると多少はムッとしますが・・・
同時に「来た来た!」とわくわくしたり
ネットの向こうの人の手に自分勝手に一喜一憂です
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