なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

日は暮れて道は遠い

2007-10-05 20:57:40 | Weblog
 昨日は暇な話・・・油断だったのか一転して今日は猛烈な忙しさです。
 余りに暇だと「偶には忙しいのもイイナ」と思うのだけれど、やっぱりそれは一時の気の迷いだと言うことがよく分かりました。
 居眠りする暇などあればこそ、昼休になって部屋の灯りが消されてもパソコンの前から動け無い状態。
 急ぎの入力事項と依頼されたデータ検索
 ムム、お昼のお弁当に大幅に遅れてしまった。
 向こうの席ではF氏はいつものペースで食べているのが見えるが、こちらは掻き込んで食べても追いつかないでしょう。
 それに当方はカロリー制限のために質量とも「粗食」に耐えているわけですから、ゆっくりかんで食べるしか対抗手段が無いのだし・・・
 ここはぐっと堪えるしかない
 F氏が誘いに来た時はまだ半分残っている状態だから涙を呑んでパス宣言・陳謝
 尤もKさんが居るはずだからFさんの組み合わせが変わるだけですが
    それにしても忙しい
 向かい側の席机は主の無い空席ですが、机に書類が積み上げられています。
 それはその席の隣の人が流れをせき止めているに他ならない
  やがてはそれらが堰を切って流れ出すはずで、鉄砲水なって押し寄せる
 それは結局データの入力を受け持っている私のところに来る・・・恐ろしい
  と言うことは今でもめったやたらと忙しいのだからどうなることやら
   マア、そうは言っても向かい側の人みたいに書類を山にしても平然としていられれば良い訳で、それをプレッシャーと感じなければいいのでしょう。
 手は二本しかないし、1人でやれる仕事は限りがあるし焦ってみてもしょうがない・・・私にも居直りジイサマの術があるのだ。
 パソコンの前から動かなければいいだけの話・・・この辺り化け猫もどきのジイサマは肝が据わっていると言うか、ふてぶてしいと言うか我ながらいい根性

 さてこの化け猫もどきジイサマも上手に掛かっては優しいおじさんになってしまう、いや「優しい」と言うより「易しい」だろうな
 多分分かりやすい反応をするのだろう、本人としてはそのように想像している
  きっとそうです
対局相手をABCの三つに分けてみると(ほぼ同じ点数のゾーンです)
A,どうも苦手で勝率が極端に悪い相手
  これは相手が強くてこちらが弱いのだと言われれば、その通り
  だが相手もいつも同じような点と言うことは私がやられるように、その人も同じ人にやられているに違いない
 そういうことで敵さんは平均を保っている
B、まあ概ね勝ったり負けたりの相手で、その日の調子で結果が決まるような
  でもこのような相手は意外と少ないのではないかと思う
C,Aの裏返しで、私には有りがたいお得意さん。
 さて見栄かも知れないがAで棋力差とは言い切れるかどうか?
  同様に反面のCでも棋力の差とは言えないと思うのです
 点数制度でやっているわけで、個別の勝率はともかくトータルがその時のレベルを示していなくてはならない。
 ではAの結果は何故起こるのか?
  棋力差で無いとしたら、一言で言うと「相性」と言えるのかも
 Bのようにヤジロベエではないがバランスのいい相手は少ないわけで、結局はAとCのバランスで点数を維持していることになるらしい。
  ということは、「相性」の中身を見据えてそれを克服することが点数アップの道ですね 
 そして点数のアップは点数制度ですから、棋力アップのスケールと言うことでしょうか。
 では「相性の克服」とは?・・・それが簡単に分かれば苦労は無いのですね
  方向と言うかアウトライン的なイメージはある
 私の打筋に何処かに弱点があってそれを的確に咎められている
  気がつかないうちにマンネリになっている癖があるかも知れない・・・それは言い悪いと言うより癖みたいな打ち方で
 逆に相手にもそういうところがあるはずなのに(私らクラスでは完璧な人はいないですから)、それが見えていないか、対処方を誤っている。
 そういうことはミスの領域とは少し違うかも知れない・・・そういうことで勝敗が分かれるのはBでしょう
  ミスと言えばミスと言えるけれど、無自覚で繰り返すと言う罪が重そうな感じ
 自分で5分の別れだと思っているのが違っていたり・・・
  必ず病気の元が潜んでいるのに発見できないもどかしさですね

 よく教育とかスポーツの分野で、「欠点に余り拘らず、長所を伸ばす!」なんて良いことを言います・・・確かに一理あるには違いない
 さて自分の碁でも当てはまるかどうか・・・どうもそう思えない
  第一長所が分かるくらいなら、欠点にも気がつきそうな気がする。
   性格的な短所は分かりやすい人間ですが
 さて帰り道
  残暑だの季節外れの夏日だのと言っていますが、日の短さは季節通りです。
 帰り道では既に日は傾き力が弱くなっている
  「日暮れて道遠し」にぴったりの帰り道(自転車で25分は遠くないかもしれませんが)
 アマでも高段者・県の代表を争うようなそういうレベルは夢のまた夢ですから「日暮れて・・・」は少しオーバーに聞こえるでしょう。
  「多少は自己満足を感じる程度に」という意味です
   人間満足したらお終い!?
  その通りだけれど、少しは満足してみたいものです。
 ・・・まもなく日が暮れそうです。