「酔う」と言う漢字にためらいを感じながら使っています。
というのも「酔う」という漢字は酒がついているわけで・・・酒を飲んだことが無い・いい気持ちになるほどには飲んだことが無いのですから、「酔う」とい感覚は分かっていないかもしれないのです。
車とか船には酔ったことはあるし、自己陶酔なら人並み以上にあるかも
マア、落語の真似事みたいなことでは酔っ払いのフリくらいはやったことはありますが、でもそれは傍から見た感じを真似ただけで、形を真似したことに過ぎません。
実際にお酒で酔っている人から見た風景とか、酔った人から見える周りの人の様子は未知の世界ともいえます
しかし、私としては想像の世界ですが・・・酔うと自分の意志と自分の手足が必ずしも一致した連携運動が出来なくなるらしく、怪しげな動きや口調になる。
物事の判断も其の時大真面目にかんがえて居ることが、周りの人の冷静な判断とだいぶかけ離れていたり・・・
物事がどうでも良くなったり、反対に細かなことに拘ったり・・・反応が○○上戸的になったり
同じ話を繰り返し繰り返し・・・
酔うと、そうなるらしい・・・逆にそうなっている人を酔っていると言うはず
と、言うことは・・・大変なことに気がつきました。
こういう酔った人の特徴に思い当たることがある。
私は酔っていなくても、そういう傾向があるのでは無いのか!。
つまり私はいつもノンアルコール、素面で酔っているようなものです。
私本人はいたって真面目に正気のつもりでも、物を見る目、判断、思考法、発言などなど、酔っ払いとたいした変わりが無いようなもの
それが最近特に激しい
これは「棋譜」に触発されて発症したかも知れません
棋譜を並べて・・・いやパソコンに入力しているだけですから、一手ごとに手を休めて、腕組みをして唸ってみたりとか、ハタと膝を打って大きくうなずく・・・などはありません。
そう言う仕草をしたりしても、どうせ自分の部屋の中でのことですから、余程大きな声を出さなければ誰にも迷惑はかからないからいいようなものですが・・・たった一人見ている・・・自分に恥ずかしいですね。
右手に結構重量感がある囲碁大系の本をもって左手で入力しています
(時代劇などに出てくる縁側付きの部屋に足つき碁盤に書見台は憧れです)
時折女房殿が部屋の前を通り過ぎますから、私が何をしているのかは分かってるはずですがどう思っているというか、どう映っているでしょうね。
本に書いてある棋譜(女房殿には棋譜の意味は分からないと思いますが)をパソコンに移して、説明を一心に読んでいる姿を見て・・・
きっと『何が楽しいのでしょうね』と思っているはずです。
それでも私が勝手にやっていることでもあり、人に強制しないから『まあ,いいか』(静かにしているのだから)みたいなものでしょう。
さて棋譜は、序盤は十数手の小分け棋譜ですが、数える碁ですと最後は120手くらいの棋譜になりますから、だいたい新聞碁くらいの譜分けです。
始めは手数が少ないし、手を捜すことも無いので入力には手間がかからないので、其の分解説に集中
仙知の棋譜くらいになると、だいぶ現代風な手法が現れるので、分かりやすいとまでは言えませんが、取っ付きやすくなる感じです。
解説の「これは江戸時代の定石・手法らしい」と言う部分が減ってきて、「現代風」と言う形がちらほら出てきます。
それでも置石の無い碁で空き隅の星打ちの棋譜には未だ出合っていません
小目、目ハズシ、高目・・・以外に目ハズシ・高目が多いですね
それにかかりっぱなし、かかりに手抜きも多い・・・
手を抜いて先を急ぐとか、全体の関連で捨てて打つとかそれはそれなりに難しい問題のようです
この辺の全体的なバランス感覚の良い人、その感覚に秀でた人、全体像の重要性に気がついている人が後世に名を残している見たいなところがありますね・・・当然勝率が良いし
勿論読みの力はかなりのものですが・・・その時代「強い人・抜きん出て強い人が何故強かったのか」と言う研究は無かったように思える。
つまり「強い」ということの要素みたいな・・・バランスとか、手合い割り的な迫り方とか・・・一括して強い人は読みが「深い」「鋭い」だったような気がします。
さて、勉強とまではいきませんが、古い棋譜に触れているのが・・・これがサウンドバッグみたいに私の囲碁にショックを与えたらしい
本当は自分に力が無いだけですが、体調も余り良くは無いらしいから複合的な不調状態です。
いや、体調と言っても持病では無さそう
先日の雪の日になれないウォーキングをした後遺症が残っている
もっとも酷いのは一手バッタリで投了が2度もありました
一度は当たりが見えていない(本当はそれ以前の問題)ので、ありえないコウ立てで自殺まがいの事件
もう一度は、簡単な死活を見過ごして(切断と手入れのどちらか)これまた・・・
とても素面だとは思えません
本人が信じられないのだから、相手の人はもっと呆れているでしょうね。
今のところは「棋譜に酔っている」ということにしておきます
というのも「酔う」という漢字は酒がついているわけで・・・酒を飲んだことが無い・いい気持ちになるほどには飲んだことが無いのですから、「酔う」とい感覚は分かっていないかもしれないのです。
車とか船には酔ったことはあるし、自己陶酔なら人並み以上にあるかも
マア、落語の真似事みたいなことでは酔っ払いのフリくらいはやったことはありますが、でもそれは傍から見た感じを真似ただけで、形を真似したことに過ぎません。
実際にお酒で酔っている人から見た風景とか、酔った人から見える周りの人の様子は未知の世界ともいえます
しかし、私としては想像の世界ですが・・・酔うと自分の意志と自分の手足が必ずしも一致した連携運動が出来なくなるらしく、怪しげな動きや口調になる。
物事の判断も其の時大真面目にかんがえて居ることが、周りの人の冷静な判断とだいぶかけ離れていたり・・・
物事がどうでも良くなったり、反対に細かなことに拘ったり・・・反応が○○上戸的になったり
同じ話を繰り返し繰り返し・・・
酔うと、そうなるらしい・・・逆にそうなっている人を酔っていると言うはず
と、言うことは・・・大変なことに気がつきました。
こういう酔った人の特徴に思い当たることがある。
私は酔っていなくても、そういう傾向があるのでは無いのか!。
つまり私はいつもノンアルコール、素面で酔っているようなものです。
私本人はいたって真面目に正気のつもりでも、物を見る目、判断、思考法、発言などなど、酔っ払いとたいした変わりが無いようなもの
それが最近特に激しい
これは「棋譜」に触発されて発症したかも知れません
棋譜を並べて・・・いやパソコンに入力しているだけですから、一手ごとに手を休めて、腕組みをして唸ってみたりとか、ハタと膝を打って大きくうなずく・・・などはありません。
そう言う仕草をしたりしても、どうせ自分の部屋の中でのことですから、余程大きな声を出さなければ誰にも迷惑はかからないからいいようなものですが・・・たった一人見ている・・・自分に恥ずかしいですね。
右手に結構重量感がある囲碁大系の本をもって左手で入力しています
(時代劇などに出てくる縁側付きの部屋に足つき碁盤に書見台は憧れです)
時折女房殿が部屋の前を通り過ぎますから、私が何をしているのかは分かってるはずですがどう思っているというか、どう映っているでしょうね。
本に書いてある棋譜(女房殿には棋譜の意味は分からないと思いますが)をパソコンに移して、説明を一心に読んでいる姿を見て・・・
きっと『何が楽しいのでしょうね』と思っているはずです。
それでも私が勝手にやっていることでもあり、人に強制しないから『まあ,いいか』(静かにしているのだから)みたいなものでしょう。
さて棋譜は、序盤は十数手の小分け棋譜ですが、数える碁ですと最後は120手くらいの棋譜になりますから、だいたい新聞碁くらいの譜分けです。
始めは手数が少ないし、手を捜すことも無いので入力には手間がかからないので、其の分解説に集中
仙知の棋譜くらいになると、だいぶ現代風な手法が現れるので、分かりやすいとまでは言えませんが、取っ付きやすくなる感じです。
解説の「これは江戸時代の定石・手法らしい」と言う部分が減ってきて、「現代風」と言う形がちらほら出てきます。
それでも置石の無い碁で空き隅の星打ちの棋譜には未だ出合っていません
小目、目ハズシ、高目・・・以外に目ハズシ・高目が多いですね
それにかかりっぱなし、かかりに手抜きも多い・・・
手を抜いて先を急ぐとか、全体の関連で捨てて打つとかそれはそれなりに難しい問題のようです
この辺の全体的なバランス感覚の良い人、その感覚に秀でた人、全体像の重要性に気がついている人が後世に名を残している見たいなところがありますね・・・当然勝率が良いし
勿論読みの力はかなりのものですが・・・その時代「強い人・抜きん出て強い人が何故強かったのか」と言う研究は無かったように思える。
つまり「強い」ということの要素みたいな・・・バランスとか、手合い割り的な迫り方とか・・・一括して強い人は読みが「深い」「鋭い」だったような気がします。
さて、勉強とまではいきませんが、古い棋譜に触れているのが・・・これがサウンドバッグみたいに私の囲碁にショックを与えたらしい
本当は自分に力が無いだけですが、体調も余り良くは無いらしいから複合的な不調状態です。
いや、体調と言っても持病では無さそう
先日の雪の日になれないウォーキングをした後遺症が残っている
もっとも酷いのは一手バッタリで投了が2度もありました
一度は当たりが見えていない(本当はそれ以前の問題)ので、ありえないコウ立てで自殺まがいの事件
もう一度は、簡単な死活を見過ごして(切断と手入れのどちらか)これまた・・・
とても素面だとは思えません
本人が信じられないのだから、相手の人はもっと呆れているでしょうね。
今のところは「棋譜に酔っている」ということにしておきます