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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

勝敗は時の運・・・ではあるけれど

2008-02-19 17:44:27 | Weblog
 一時不本意な負けが続きまして、短期間にトータルで10程負け越しました。
(本意の負けは殆ど無いから、心づもりとしては負けは不本意ではありますが)
  負けが込むと「地獄の底まで落ちていく気分」と「負けるだけ負ければそのうち勝てるさ」みたいな開き直りがミックスされてきます。
 まるでノビ太君のような悲観的な部分とドラえもん命みたいな他力本願、根拠薄弱の楽天的なものが混在しています。
 それでも、ヘボなりの囲碁の内容というよりは「勝った」「負けた」に拘るようになるみたいです。
 そういう拘りが、勝ち星に繋がったり内容の向上のバネになるのならいいですが、大体悪い時は悪いスパイラルにつながりますね。

 今回のスランプの原因は(最大の原因は私が弱いのですが、それ以外ということで)、はっきりはしないのですが、丁度古い棋譜をパソコンに入力し始めた頃と重なる気がします。
 本当にそれが原因なのかどうかは・・・
  現代のプロの解説では『今ならこうは打たない』みたいな言葉をよく目にしますが、それは研究が進み、「コミ」碁で鍛えられた現代のトッププロレベルの話でしょう。
 私らのレベルでは少し事情が違います
  確かに形の上ではいかにも現代風?な布石かも知れませんが、必ずしも全ての意味が分かっているわけでもない・・・
 つまり、今風なプロの真似的なところも多いと思うのです
  いやそれは私だけであったりして、断定は出来ないでしょうが
 マア、ともかくそんな状態のところへ、古い棋譜の情報が溢れたのですから、本人の知らないうちに脳がパニックを起こしていたかも知れません。
 都合よく解釈すれば・・・私が弱いという以上に頭が勝手にパニック状態になっていた?
  ところが、面白いことに最近になって負けこみをほぼ解消した・・・10敗の負け越しをほぼチャラに
 それが単に悪いスパイラルの底を打ったのか、株価動向みたいに反発なのか分かりませんが
  今度はその理由を考えると、もしかして棋譜入力でお馴染みになった形を積極的に打ってみたからも知れないということに思い当たった。
  何時までもパニック頭ではいられないので、ここは一番「仙知モドキ」で行ってみようという具合で、「小目」「目ハズシ」「高目」のオンパレードです
 こうなると不思議なことに相手の中国流が怖くなくなってくる・・・
   今の所相手が戸惑っているだけかも知れませんが、本当に自分のスキルとなるかどうかはここからが正念場でしょう。

 さて話は変わりますが、このところ少し気になることがあります。
  ある方の敗戦の弁なのですが、「アソコで、ああやったので負けにしてしまった」的な発言が多いのです。
 いや発言内容そのものは間違っていないし、寧ろ正しいとは思うのです
  「勝負に行くべきところでは無いのに・・・準備不足で・・・」
  「自分にも弱いところがあることが分かっていなくて・・・」
 私から見るとそういう事を「繰り返すところが一番問題のところ」という感想ですが、これはかなり意地悪な感じがするので口には出せません。
 それと彼は「捻り合いになると、上手に力を出されてしまうので下手はやられてしまう」と言います・・・が、私はこの発言はかなりの部分で正しく無いと思って聞いています。
 私は、上手と下手で一番違うのは(ランクの差はありますが)序盤の構想力みたいな部分で、接近戦の読みそのものはそれ程違わないと思うのです。
 死活などでは人によってはそう差は無いでしょう
  あるとすれば、いろんなことを総合的に結びつけて考えるとか、部分邸な損得より全体を見れるかどうか・・・のような部分かも

  私程度では余り偉そうに言えないですが、マア相対的にと言うことです
 それと「無理な戦いをしたのが敗因」ではあっても「無理であろうと行かざるをいないように感じさせられてく・・・」という事もあるはずなんだけれど
 ともあれ勝敗は時の運みたいなつもりらしい・・・けれど、孫子が言うような「百戦危うからず」の道を探るのも大切だと思うのです。
 勿論「パチンコ必勝法」みたいな都合の良いものでは無いが・・・ともあれ同じ失敗を繰り返すのはもったいない
  他山の石的な例でお話すると
 私の知っている・・・何万何十万局もキャリアを積んでいる友人ですが
  これだけの対局数ということは、それだけでも人との付き合いとか囲碁の楽しみとかは大変なものです・・・この点については脱帽
  しかしこれは必ずしも棋力の向上には繋がってい無いのがミステリー・・・これだけ打っても段があるかどうか?
 いや2段クラス互い先で勝って見せたりする代わりに2,3級の人にコロリト負けたりします・・・その原因は
  敗因と、同時に勝因とも向き合っていないのだと思うのです。
 「勝敗は時の運」だからそんなに深刻に考える必要は無いのだと考えているのでしょうね・・・、マアそれもその人なりの楽しみ方かも知れませんが
  「運」を楽しむ遊びだと割り切れるかどうか