なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

久しぶりの指導碁

2008-02-15 18:09:12 | Weblog
 最後に指導碁を受けてから、多分10年以上は経っていると思う
  最近ではプロ棋士の指導碁を覗いたり、解説を聞くことはあっても自分では受けていません。
 こういうものは、受けるとなると土砂降り的に受けるようなところがあって、その頃は最低でも着きに局は打って頂いていたから、年間にすると50局は越ええいたでしょう・・・その割りには・・・といわれてしまうと、なんだか先生の教え方の問題みたいですが、やはり本人の問題ですね。
 さて今朝の指導碁・・・今朝6時ごろの話です
  『ネットでの指導碁ですか?』と訊かれそうですがそうではありません。
 先にネタをバラしてしまいますと「夢」の話です。
  夢ではありますが相当リアルでして、私としては普段のネット碁よりも、数倍も真剣に対局していました。
 石の運びから言うと多分私は3つは置いていたはずです
  序盤の隅とか辺の折衝で私は素晴らしい展開・・・(夢の話です)・・・具体的な手は分からないのですが、イメージとして大優勢です
  尤も、相手の方は指導ですから「勝負」ではなくて、私に思う存分打たせるように打っている感じが伝わってくる
  こういうことを全てイメージとして感じたと、夢の記憶にある
 序盤の折衝が一段落して中盤に入っていく時に、大長考をした
  「地合いでははっきりいいので、全体のバランスに注意して打つ」か、あるいは目の前の白の弱い石を標的として一気に攻めに入る」、、、
 相当真剣に考えました・・・
  碁盤を囲んだギャラリーの声は、「攻め中心」みたいだったけれど、私は「バランス」を選んだようです
 いずれにせよ碁盤全体を見回して考えての結論
  ところで、この夢の中での長考は実時間で数秒のことでしょうか?
   人は一瞬の間に一生分の夢を見ることが出来るとか言いますし、中国の故事・邯鄲の夢と言うこともある・・・
 さてさて、この夢は「いつも、もっと真剣に考えて打ちなさい」という警告かもしれないし「考えて打つことへの願望の表れ」かもしれない

 ところで、教えてくれた人はプロではない
  夢の中でその人はキチンとスーツを着ていて、そう去年のJFE囲碁大会で初めて顔を見た人に違いない。
 実際に始めてみた時、私のインスピレーションでは「この人は強いに違いない」でした。
  ですからそういう思いでも頭のどこかに残っていて夢にでてくるらしい
 マア3つ以上置かなければいけないかどうかは分からないにしても、、、

 夢での話ではなくて、現実の指導碁で必ずしも良い思いでばかりでは無い・・・ということも併せて思い出しました。
  いつも同じように指導を受けている人に大学の先生が二人いました。
 そこそこの棋力はあるらしいのですが、棋士の指導碁以外は受けないのです
  プロの先生も「たまにはどうですか」と仕向けるのですが、「アマとは打つ気は無いらしい」
 そういう人もたまにいますね
   プロ棋士を尊敬するのはいいとして、同じアマをかなり見下すタイプ
  あるいは自分より強い人に打ってもらうけれど、自分と同じか下の人とは打たないひと・・・
 
 夢の中で指導を受けたり、昔の指導碁の思い出が蘇ったり・・・
  朝から、疲れそうな一日の始まりでした。