少し前ですが、小学校で円周率が3.1にしたとか・・・また3.14の戻すようですが。
これは円周率自体が近似値ですから小数点以下何桁まで使うかは出題して答えを要求する人の事由みたいなものですが、これを使って何か精密なものを作ろうとしたらかなりの桁が要求されるはずです。
従って小学生の円周率=3.1というのは円周率と言うものに慣れるという意味ではあるけれど、、、答えを得るのに簡単にしただけであってレベルを落としたような印象がありました。
円周率で1桁の違いが、現実の計算結果でどの程度の違いがでるかという以上に、簡単にした=面倒なことをやらないと言うことにつながりそうです。
何時だったか、子供が小さな頃に学校に電卓を持って行っても良いということを聞いて驚いたことがあります。
どういう使い方をするのかはっきりとは覚えていませんが、まさか算数の問題を電卓で解いたりはしないでしょうが・・・
科学の問題で濃度とかの計算をするのとは違いますから・・・小学生だし・・・不思議
良い悪いを抜きにして、、、私もこういう道具は使いますが・・・例えば今タイピングしているパソコンのキーボード、電卓のボード、携帯のボタン、、、苦手とは言いたくありませんが、得意とはいえません。
何がどうしてかと言いますと、私の体にやや難有りなのです
つまり標準サイズより指が太めに出来ているらしい・・・標準と言うものに抗議したい気持ち
ですから、パソコンのキーボードは普通サイズのものならマアマアといったところですが、電卓・携帯は大きめボタンで無いと困るのです。
子供の頃の思い出ですが、、、小学校の時に算数で「ソロバン」の授業がありました
私は不器用なのと、指の問題で全くお話にならない・・・ので、小さな紙にメモを取りながら、読み上げ算を紙と鉛筆でソロバンに対抗
先生には授業の意図と違うので叱られましたが、紙と鉛筆でかなり良い成績・・・と言うことは算数の計算でソロバンを使わないならば私の方が有利?
いろんな機械が出来て、家庭電化製品が出来て便利な世の中になりました
このパソコンだってそうだし、ブログも読んでいただけるわけだし、、、
さて、それを囲碁に限って考えると
棋譜の記録、伝達、保存と言うことでは相当便利になったでしょう。
またそれらが情報として瞬時に飛び交うのですから、情報の共有となる
また情報を使って研究なども進化・深化しているはずです・・・マアそれはプロ棋士の世界ですが
それでも、アマであっても情報を入手したり、自分なりの遊びを兼ねた勉強道具にはなっているとは思います。
プロの修行期間では、何局も毎日並べるらしいのですが、そこはそれアマの遊びですから、私の場合は碁盤に並べるのではなくて、パソコンに並べて記録まで取って染むと言う1石2鳥の遊びです。
尤も最近は・・・もしかしたらこれも思った以上に勉強になるのかも・・・と思い始めています。
と、言うのも、これはもしかしたらチョウ・フニョンさんの陰謀なのか、あるいは出版社の単なる手抜きなのか・・・
アノ本の巻末の棋譜です
本文で話題に取り上げた対局の棋譜で、1-100までと101-終局までの2つに分けて掲載されています・・・が
不便と言うか、何と言ったら良いか
この棋譜にはコウ取りとか半コウ継ぐとか、2目取りに1目取り返しのような棋譜の欄外の注が無いのです。
1ページに2分割の棋譜だけですから、初めは「さっぱりした棋譜」だなとおもっただけでしたが、入力して、気がついたのです
コウ取るとか、取り返すとか自分で考えなくてはいけないのです。
これは急いで棋譜を入力すると言う意味では、指示が無いのですから不便
考える習慣をつけると言えばそう考えられなくも無い・・・
韓国とか中国ではこれが普通なのでしょうか?
それとも出版社の手抜きなのか、はたまたチョウさんの陰謀か?
これは円周率自体が近似値ですから小数点以下何桁まで使うかは出題して答えを要求する人の事由みたいなものですが、これを使って何か精密なものを作ろうとしたらかなりの桁が要求されるはずです。
従って小学生の円周率=3.1というのは円周率と言うものに慣れるという意味ではあるけれど、、、答えを得るのに簡単にしただけであってレベルを落としたような印象がありました。
円周率で1桁の違いが、現実の計算結果でどの程度の違いがでるかという以上に、簡単にした=面倒なことをやらないと言うことにつながりそうです。
何時だったか、子供が小さな頃に学校に電卓を持って行っても良いということを聞いて驚いたことがあります。
どういう使い方をするのかはっきりとは覚えていませんが、まさか算数の問題を電卓で解いたりはしないでしょうが・・・
科学の問題で濃度とかの計算をするのとは違いますから・・・小学生だし・・・不思議
良い悪いを抜きにして、、、私もこういう道具は使いますが・・・例えば今タイピングしているパソコンのキーボード、電卓のボード、携帯のボタン、、、苦手とは言いたくありませんが、得意とはいえません。
何がどうしてかと言いますと、私の体にやや難有りなのです
つまり標準サイズより指が太めに出来ているらしい・・・標準と言うものに抗議したい気持ち
ですから、パソコンのキーボードは普通サイズのものならマアマアといったところですが、電卓・携帯は大きめボタンで無いと困るのです。
子供の頃の思い出ですが、、、小学校の時に算数で「ソロバン」の授業がありました
私は不器用なのと、指の問題で全くお話にならない・・・ので、小さな紙にメモを取りながら、読み上げ算を紙と鉛筆でソロバンに対抗
先生には授業の意図と違うので叱られましたが、紙と鉛筆でかなり良い成績・・・と言うことは算数の計算でソロバンを使わないならば私の方が有利?
いろんな機械が出来て、家庭電化製品が出来て便利な世の中になりました
このパソコンだってそうだし、ブログも読んでいただけるわけだし、、、
さて、それを囲碁に限って考えると
棋譜の記録、伝達、保存と言うことでは相当便利になったでしょう。
またそれらが情報として瞬時に飛び交うのですから、情報の共有となる
また情報を使って研究なども進化・深化しているはずです・・・マアそれはプロ棋士の世界ですが
それでも、アマであっても情報を入手したり、自分なりの遊びを兼ねた勉強道具にはなっているとは思います。
プロの修行期間では、何局も毎日並べるらしいのですが、そこはそれアマの遊びですから、私の場合は碁盤に並べるのではなくて、パソコンに並べて記録まで取って染むと言う1石2鳥の遊びです。
尤も最近は・・・もしかしたらこれも思った以上に勉強になるのかも・・・と思い始めています。
と、言うのも、これはもしかしたらチョウ・フニョンさんの陰謀なのか、あるいは出版社の単なる手抜きなのか・・・
アノ本の巻末の棋譜です
本文で話題に取り上げた対局の棋譜で、1-100までと101-終局までの2つに分けて掲載されています・・・が
不便と言うか、何と言ったら良いか
この棋譜にはコウ取りとか半コウ継ぐとか、2目取りに1目取り返しのような棋譜の欄外の注が無いのです。
1ページに2分割の棋譜だけですから、初めは「さっぱりした棋譜」だなとおもっただけでしたが、入力して、気がついたのです
コウ取るとか、取り返すとか自分で考えなくてはいけないのです。
これは急いで棋譜を入力すると言う意味では、指示が無いのですから不便
考える習慣をつけると言えばそう考えられなくも無い・・・
韓国とか中国ではこれが普通なのでしょうか?
それとも出版社の手抜きなのか、はたまたチョウさんの陰謀か?