奥さんなどと身の程知らずな表現ですね・・・「奥さん」と呼べるのは大名の奥方とかお公家さんの配偶者など身分のある階級で、旗本クラスなら「ご新造」。
いずれにせよ「奥」のある屋敷に住まいするやんごとなき・・・外を出歩くのは「奥」ではありえませんね
身分制度が無くなり(一応と断りをつけるべきかも知れませんが)、国民の多くが「中流」だと思い込むご時世ですから、「奥さん」と言う表現には何処からもクレームは来ないでしょう。
時代小説とか、時代考証が必要ならば当然引っかかります
私の子供時代の連続ラジオ小説に「ウッカリ奥さん」とか「ちゃっかり奥さん」とかの名前が出てきましたから、その頃までには「奥さん」のインフレ化というか庶民化が完了していたと思われます。
よく関西系の漫才などで「嫁」という言葉を耳にします。
私みたいにそこの文化圏に属しないためか、やや耳障りなのです
「嫁」というとどこか年令が若いイメージ・・・「嫁に貰う」とか「嫁いびり」にしても・・・「年をとっても”嫁”なのかな?」という感じです・・・いえ、個人的なイメージの話です。
それでも私が日頃使う「女房殿」も”恐ろしい表現”ではあるでしょうね
お公家さんとか、大奥とか源氏物語みたいな「女房」ですから、これも明治以降に値下がりした組
となると、落語的に「うちのかかあ」・・・それですと後日本人に知れた時に穏やかならぬことになるやも・・・。
ところで先日のTVでリハビリの番組を夫婦で見まして、「明日は我が身なんだからよく見ておかないといけない」みたいに言われたりして・・・
なんだか私の将来のシュミレーションか?
奥さんが脳梗塞で倒れたご主人の家事炊事の場面では「私が倒れたら、あなたがああなるのよ」みたいな半分以上恐喝まがいのお言葉
いずれにせよリハビリの重要性とか、人間の回復力の驚異とかは見せていただいた
でも考えたら私だってキャリア組でしす。
キャリアと言っても官庁のキャリアではないから全く威張れませんが・・・殆どの成人病関連の貴重な?キャリアを積んでいる
だからリハビリと言うのは実感として身に沁みます
もっとも病院などで、理論的に裏付けのある、組織だった方法でリハビリをしたわけでは無いのです
例えば「脳梗塞」の場合・・・幸い軽度の症状でしたからチャリで病院へ行って、その日の内に「脳梗塞」御託宣を受けましたが「入院の必要なし」ということで帰宅しましたが、片方の手足が以前のようには動かない。
それでも日常生活の場面では、怖い奥さんから「こうなったのも元はといえば自分の不摂生」みたいに断定されて「一切の特別扱いは無し」みたいな厳しいご沙汰・・・
当初は畳から立ち上がるのだって大変だったのに
それでも根が楽天的というか「懲りない」性格ですから、碁さえ打てればさしたる不幸とは言えないみたいな気分で『軽くて良かった』です
これは家族からみた『軽くてよかった』とは随分意味合いが違います
私が最も恐れるのは、例えば「言葉を失う」みたいに・・・イメージとして分かっていることを表現する言葉が見つからないみたいな形で碁を打てなくなること。
”当たりが見えない””死活が見えない”みたいに碁盤の全体に気が配れなくなることで、以前に比べて大きく棋力が落ちること・・・
そんなことばかり心配していたのですから、能天気なオジサンでした
まあ確かにそのような傾向は無かったとは言えませんが
でも、それを恐れていては囲碁をやめるしかありませんし、ザルとはいえそれでは「人間もやめる?」みたいなものです。
しかし恐ろしいもので、やり続けると何とかなるものみたい、元々何とかなるようなレベルではありますが・・・
囲碁を打つことがリハビリに繋がった面もあるようですが、ともあれ家族に似は助けられたようです・・・結果的にですが
女房殿からは、先程言ったように「今まで通りに自分でやんなさいよ」的な「放任」というか「冷たいお言葉」
当方としてはかなりの不自由さはあっても悔しいから助けなど借りない気持ち
これも結果的なリハビリになったかも知れません
例えば我が家から一番近いお店は、約200mのところにコンビニがあります
ですからここまで歩いて行く・・・勝手に自分の好きなものを買うのですから女房殿が助けてくれるわけがありません。
当時小6の息子は便乗組で、何かをねだるためについてきますが、これが介添えはしない「見守り役」
このコンビで殆ど毎晩コンビニに通いました。
おかげで最低限のリハビリ的運動をしたようです
TVのリハビリを見ながらその頃のことを思い出しました。
何と言っても「もし碁が打てなくなったら」という恐怖感ですね。
酒は飲まないタバコも吸わない、ネオンがらみや色町の遊びごともしない・・・そして囲碁も無くなったら、ただひたすら生きているだけみたいな・・・本当はそれだけなどと言えるのは罰当たりでしょうが。
それにしても自分の中から囲碁が消えたら、他の何かを探すのでしょうか
それとも、所謂無趣味状態になるのでしょうか?
余りに恐ろしいから考えるのを止めます。
いずれにせよ「奥」のある屋敷に住まいするやんごとなき・・・外を出歩くのは「奥」ではありえませんね
身分制度が無くなり(一応と断りをつけるべきかも知れませんが)、国民の多くが「中流」だと思い込むご時世ですから、「奥さん」と言う表現には何処からもクレームは来ないでしょう。
時代小説とか、時代考証が必要ならば当然引っかかります
私の子供時代の連続ラジオ小説に「ウッカリ奥さん」とか「ちゃっかり奥さん」とかの名前が出てきましたから、その頃までには「奥さん」のインフレ化というか庶民化が完了していたと思われます。
よく関西系の漫才などで「嫁」という言葉を耳にします。
私みたいにそこの文化圏に属しないためか、やや耳障りなのです
「嫁」というとどこか年令が若いイメージ・・・「嫁に貰う」とか「嫁いびり」にしても・・・「年をとっても”嫁”なのかな?」という感じです・・・いえ、個人的なイメージの話です。
それでも私が日頃使う「女房殿」も”恐ろしい表現”ではあるでしょうね
お公家さんとか、大奥とか源氏物語みたいな「女房」ですから、これも明治以降に値下がりした組
となると、落語的に「うちのかかあ」・・・それですと後日本人に知れた時に穏やかならぬことになるやも・・・。
ところで先日のTVでリハビリの番組を夫婦で見まして、「明日は我が身なんだからよく見ておかないといけない」みたいに言われたりして・・・
なんだか私の将来のシュミレーションか?
奥さんが脳梗塞で倒れたご主人の家事炊事の場面では「私が倒れたら、あなたがああなるのよ」みたいな半分以上恐喝まがいのお言葉
いずれにせよリハビリの重要性とか、人間の回復力の驚異とかは見せていただいた
でも考えたら私だってキャリア組でしす。
キャリアと言っても官庁のキャリアではないから全く威張れませんが・・・殆どの成人病関連の貴重な?キャリアを積んでいる
だからリハビリと言うのは実感として身に沁みます
もっとも病院などで、理論的に裏付けのある、組織だった方法でリハビリをしたわけでは無いのです
例えば「脳梗塞」の場合・・・幸い軽度の症状でしたからチャリで病院へ行って、その日の内に「脳梗塞」御託宣を受けましたが「入院の必要なし」ということで帰宅しましたが、片方の手足が以前のようには動かない。
それでも日常生活の場面では、怖い奥さんから「こうなったのも元はといえば自分の不摂生」みたいに断定されて「一切の特別扱いは無し」みたいな厳しいご沙汰・・・
当初は畳から立ち上がるのだって大変だったのに
それでも根が楽天的というか「懲りない」性格ですから、碁さえ打てればさしたる不幸とは言えないみたいな気分で『軽くて良かった』です
これは家族からみた『軽くてよかった』とは随分意味合いが違います
私が最も恐れるのは、例えば「言葉を失う」みたいに・・・イメージとして分かっていることを表現する言葉が見つからないみたいな形で碁を打てなくなること。
”当たりが見えない””死活が見えない”みたいに碁盤の全体に気が配れなくなることで、以前に比べて大きく棋力が落ちること・・・
そんなことばかり心配していたのですから、能天気なオジサンでした
まあ確かにそのような傾向は無かったとは言えませんが
でも、それを恐れていては囲碁をやめるしかありませんし、ザルとはいえそれでは「人間もやめる?」みたいなものです。
しかし恐ろしいもので、やり続けると何とかなるものみたい、元々何とかなるようなレベルではありますが・・・
囲碁を打つことがリハビリに繋がった面もあるようですが、ともあれ家族に似は助けられたようです・・・結果的にですが
女房殿からは、先程言ったように「今まで通りに自分でやんなさいよ」的な「放任」というか「冷たいお言葉」
当方としてはかなりの不自由さはあっても悔しいから助けなど借りない気持ち
これも結果的なリハビリになったかも知れません
例えば我が家から一番近いお店は、約200mのところにコンビニがあります
ですからここまで歩いて行く・・・勝手に自分の好きなものを買うのですから女房殿が助けてくれるわけがありません。
当時小6の息子は便乗組で、何かをねだるためについてきますが、これが介添えはしない「見守り役」
このコンビで殆ど毎晩コンビニに通いました。
おかげで最低限のリハビリ的運動をしたようです
TVのリハビリを見ながらその頃のことを思い出しました。
何と言っても「もし碁が打てなくなったら」という恐怖感ですね。
酒は飲まないタバコも吸わない、ネオンがらみや色町の遊びごともしない・・・そして囲碁も無くなったら、ただひたすら生きているだけみたいな・・・本当はそれだけなどと言えるのは罰当たりでしょうが。
それにしても自分の中から囲碁が消えたら、他の何かを探すのでしょうか
それとも、所謂無趣味状態になるのでしょうか?
余りに恐ろしいから考えるのを止めます。