今NHKでやっている朝ドラのドラマが展開される中心は東京の月島で、主役の西田敏行はじめ地元の人は概ね祭り大好きで神輿を担ぐのが好きと言う設定です。
マア、ドラマの設定ですから文句があるわけではないのですが・・・どうも私はこのお祭り・神輿で血湧き汗が飛び散るというか、揉み合うというか・・・それが苦手というか性に合わないらしい。
父親の出た家が代々神主ですから、お祭りとは縁が深い血筋?ではありますが、性格だからしょうが無いのか、TVなどで報道される・・・例えば博多流山、岸和田のだんじり、東京の神田祭りなどなど所謂”勇壮な”お祭りは苦手のようです。
イヤ”勇壮”も少し違って、例えば相馬の野馬追いのような祭りは若くて地元に住んでいたならば参加したかったお祭りの一つ。
要するに、接触系が苦手のような気がします。
もっとも今となってはやりたくても出来ない・・・ドクターストップですが。
同じパレード系でも山車を引く方は見るのも参加するのも好き。
それに踊りながら練り歩く方も嫌いでは無い・・・どちらにしても夏のお祭りですから汗はかくはずですから、キーワードは”汗”ではなくて”接触”だと思う。
ところで、最近は派手なパフォーマンスを競うようなお祭りが盛んです・・・それも嫌いではありませんが、性格上?”地味な盆踊り”が好きです。
見方によっては地味かどうかは難しいですが、例えば郡上踊りとか、地蔵を背負って朝まで踊る盆踊りとか・・・一気の盛り上がりは無くても、押さえた感じで延々と続く、光も薄暗い部分もある・・・そういうのが好きなようです。
ですから、胡弓の調べで踊る八尾の風の盆とか、、、そうそう最近ポスターで見かけた山鹿の千人灯篭踊りとか、、、
灯篭を頭に載せた女性が千人も踊るのですから、あでやかとも思いますが、でも底を流れる”お盆”と言う感じが好きですね。
要するに”派手”で”力強い”のがダメで、”ヤヤ暗く””トーンダウン”した感じで続くものがあっているということです。
これは、やはり性格を表しているような気もします。
普段でも一気のパワーでは負けていますが、(短気な割には)細く長く続く方のようです。
ところでこういう性格は囲碁にも現れるのだろうか?
”続く”と言うことに関しては、囲碁のようなゲームを憶える事からして”続く”方の系統の性格が向いているような気はします・・・何を続けるのかと言うこともありますが。
囲碁に関して言うと、初めに訳が分からない遊びに見えるのに、分からないながらも続けていると入り口に辿りつくような感じがあります。
ですから”入り口まで行くかどうか”、その時期に”続くかどうか”が囲碁を憶えられるかどうかの分かれ道のような気がします。
「分からないながらも、始めてしまったのだから続けてみる」でも良いし、「続けて入れば、きっと何かがあるに違いないと思い込む」でもいいし・・・ともかく”続けられる”かどうか。
さて、久し振りにネット対局をしました。
リアルの方も職場では同好の人が見つからないし、碁会所も遠のいているしコミュニティも素通りなので、要するに対局そのものが久し振りです。
多分1週間は打っていなかったとは思います。
それでも、観戦は毎日していましたから丸っきりのブランクでもないですが、やや対局感としては不安といったところ。
こういう時に、対局開始前から観戦者がいましたので少し緊張。
「相手の方はともかく、私の碁で良いのかな?」「まあ、ともかく1手目から観戦するつもりなんだろうな」とか考えました。
それでも、ジイサマのキャリアと言うか、見られること自体はそれほど気にはなら無いので、対局が始まればもう観戦者の存在は気になりませんでした。
相手の人がやや不調だったか、私が今日は運が良かったのでしょう。
さて内容ですが、今日はお祭り神輿系ではなくて、押さえ気味の盆踊り系・・・意味が通じるでしょうか?。
大きな盛り上がりは無かったけれど、逃げ切り成功。
マア、ドラマの設定ですから文句があるわけではないのですが・・・どうも私はこのお祭り・神輿で血湧き汗が飛び散るというか、揉み合うというか・・・それが苦手というか性に合わないらしい。
父親の出た家が代々神主ですから、お祭りとは縁が深い血筋?ではありますが、性格だからしょうが無いのか、TVなどで報道される・・・例えば博多流山、岸和田のだんじり、東京の神田祭りなどなど所謂”勇壮な”お祭りは苦手のようです。
イヤ”勇壮”も少し違って、例えば相馬の野馬追いのような祭りは若くて地元に住んでいたならば参加したかったお祭りの一つ。
要するに、接触系が苦手のような気がします。
もっとも今となってはやりたくても出来ない・・・ドクターストップですが。
同じパレード系でも山車を引く方は見るのも参加するのも好き。
それに踊りながら練り歩く方も嫌いでは無い・・・どちらにしても夏のお祭りですから汗はかくはずですから、キーワードは”汗”ではなくて”接触”だと思う。
ところで、最近は派手なパフォーマンスを競うようなお祭りが盛んです・・・それも嫌いではありませんが、性格上?”地味な盆踊り”が好きです。
見方によっては地味かどうかは難しいですが、例えば郡上踊りとか、地蔵を背負って朝まで踊る盆踊りとか・・・一気の盛り上がりは無くても、押さえた感じで延々と続く、光も薄暗い部分もある・・・そういうのが好きなようです。
ですから、胡弓の調べで踊る八尾の風の盆とか、、、そうそう最近ポスターで見かけた山鹿の千人灯篭踊りとか、、、
灯篭を頭に載せた女性が千人も踊るのですから、あでやかとも思いますが、でも底を流れる”お盆”と言う感じが好きですね。
要するに”派手”で”力強い”のがダメで、”ヤヤ暗く””トーンダウン”した感じで続くものがあっているということです。
これは、やはり性格を表しているような気もします。
普段でも一気のパワーでは負けていますが、(短気な割には)細く長く続く方のようです。
ところでこういう性格は囲碁にも現れるのだろうか?
”続く”と言うことに関しては、囲碁のようなゲームを憶える事からして”続く”方の系統の性格が向いているような気はします・・・何を続けるのかと言うこともありますが。
囲碁に関して言うと、初めに訳が分からない遊びに見えるのに、分からないながらも続けていると入り口に辿りつくような感じがあります。
ですから”入り口まで行くかどうか”、その時期に”続くかどうか”が囲碁を憶えられるかどうかの分かれ道のような気がします。
「分からないながらも、始めてしまったのだから続けてみる」でも良いし、「続けて入れば、きっと何かがあるに違いないと思い込む」でもいいし・・・ともかく”続けられる”かどうか。
さて、久し振りにネット対局をしました。
リアルの方も職場では同好の人が見つからないし、碁会所も遠のいているしコミュニティも素通りなので、要するに対局そのものが久し振りです。
多分1週間は打っていなかったとは思います。
それでも、観戦は毎日していましたから丸っきりのブランクでもないですが、やや対局感としては不安といったところ。
こういう時に、対局開始前から観戦者がいましたので少し緊張。
「相手の方はともかく、私の碁で良いのかな?」「まあ、ともかく1手目から観戦するつもりなんだろうな」とか考えました。
それでも、ジイサマのキャリアと言うか、見られること自体はそれほど気にはなら無いので、対局が始まればもう観戦者の存在は気になりませんでした。
相手の人がやや不調だったか、私が今日は運が良かったのでしょう。
さて内容ですが、今日はお祭り神輿系ではなくて、押さえ気味の盆踊り系・・・意味が通じるでしょうか?。
大きな盛り上がりは無かったけれど、逃げ切り成功。