なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

忘れ物のDNA

2008-07-31 18:17:14 | Weblog
 おかげさまで、当地は夕べも凌ぎやすくて快眠で朝を迎えました。
 夕べの11時半頃から今朝5時半までぐっすり眠りました。
 若い頃と違って、起こされるまで寝ているというような体力は無いのですが、それでも連続6時間は満足感があります。
 それに5時半に目が覚めたからといってすぐに起床するわけではなく、1時間くらいは、グズグズしていますから実質?7時間と言ってもいいでしょう。
 もっとも目が覚めてパソコンを見ると、私と一緒にスリープだったようで、こすって起こすと画面はネット碁の終局の場面でした。
 ということは、今日も誰かにご迷惑をかけたかも知れません。
 中押しで勝負がついていますから、不本意な負け方かも知れない・・・それで、何時までも対局室がクロースされないというのは嫌なものかも。

 ところで最近は勤め先に対局相手がいないので、専ら昼食後は仮眠タイムです。
 パソコンの中に囲碁・将棋ソフトでもあれば多少は遊べるかもしれませんが、どういうわけか私に支給されたノートパソコンは愛想が無くて、僅かにトランプゲームが4つだけです。
 ソフト0ではないということは全面禁止でもなさそうですが、でももしかしたら相手を見てこのパソコンを渡された可能性も相当ありそうです。
 そんなわけで、最近は昼食後は仮眠を取るのが日課です。
 それはそれで健康的?かも知れませんが、やはり物足りない、、、それに今日みたいに充分睡眠をとった日は仮眠をどうしても必要と言うわけではない
 朝、仕事に行く前にこういうことを考えているのです・・・かなり真剣に。
 ですから、前の日に買った囲碁の本が丁度良かろうという結論・・・鞄に入れて持っていって食後に読めば、暇つぶし兼何がしかの勉強になるはず。
 しかも、そういう読み方に向いていそうな本ですから、テーブルの上に置いて朝食やら、朝の支度・・・
 ところが、肝心の昼食後鞄を開けて本を探したのに入っていない・・・
 落とすはずの無い鞄ですから、まずは家に忘れた!
  全く情け無い!、年は取りたくない!ですが・・・考えて見ればもっと若い頃からこの傾向はありました。
 いや子ども時代からあった!
  小学校の頃はクラスの忘れ物チャンピオンだった。
 当時所謂級長だったから、忘れ物を検査する立場、、、立場を利用して巧く誤魔化していただけで、実質堂々のトップだったことは自覚。
 そういうDNAは確実に娘と息子に伝わっている。
  二人とも中学時代は学校に公衆電話を使って私にSOSを入れてきたものです。
 家から学校までは100メートルも無いから届けるのは良いとして、内心「似て欲しくないところは親に似る」とがっかりしたものです。
 二人の子供の母親は”しっかりもの”だからそういうだらしの無い忘れ物はしない・・・つまり私のDNAがバトンタッチされたらしい。
 そういえば私の祖父も、明治時代に結構な品物をなくしたとか、落としたとかの伝説がある・・・してみるとこういうDNAは確実に我が家に流れているに違いない。
 生活でこれですから、囲碁で「ウッカリ」「肝心なところで忘れ物」「信じられない落し物」は我が家の伝統・血統の証明と開き直るしか無いですね。
 もっとも、ザル仲間ではそういうところが気に入ってもらって仲間付きあいをしてくれている人も居るかも知れません。
 あまりにしっかり者では友達を無くすかも?
  そういう意味では「捨てる神あれば拾う神あり」かもしれません。

 さて夕方家に帰って見ると、件の本はテーブルの上には無くてベッドサイドに置いてありました。
 これは二重に勘違いと記憶違い・・・全く情けない。
 年はとりたくないけれど、年をとらないと長生きできないわけで・・・