「シノギの術」と言うと「忍びの術」みたいで語呂が似ていますが、マア敵陣に乱破を放つと言う意味では似ています。
尤も一部の業界用語では「稼ぐ・生活する・やっていく」みたいな意味らしいので、寧ろこちらの方に近いかもしれません。
相手が安心している縄張りに殴りこむと言う見方をすればそっちの方ですね。
稼ぐだけ稼いでおいて、相手に大きな地が出来そうなところをドカンとやって、後は相手の猛攻を凌いでオシマイというイメージは坂田栄男か趙治勳でしょう。
マアあのくらいの実力者になれば、見通しがあってのこと・・・仮に「勝負どころで行くしかない」というものであっても、ある程度の成否のイメージはあるに違いない。
相手にしたって天下の坂田・趙がやってきたのだから、かなりの脅威であろう。
いやそれどころか、普通に考えればとても無茶な作戦であっても、コロンブスの卵ではないけれど、実はそれしかない作戦なのかも知れないし、もしかしたら下手な反発は逆に潰れてしまうような危険な仕掛けもあるかも知れません。
但し、それはプロ、しかも限られた棋士の世界で、コチトラはザルですからミーハーみたいにカッコウは真似しますが、中身は保証の限りではありません。
脅威というより驚異の部類でして、早く言えば”笑っちゃう”。
やってみなくてはわからない、落語で言えば「素人うなぎ」」ですから、「どういう結末になるかは相手に聞いてください」となる。
若い頃にK畑師匠に1番手直りの置き碁で教わっている頃によく言われたのは「そこまでやっていかなくても良さそうなもの」とか「そうせざるを得ないのは、そこまでが悪すぎる」の類のお叱り。
但し叱るのはK畑師匠ではなくて、横で観戦していた先輩の方々。
先輩がたは師匠に常先くらいで、私から見たら兄弟子格。
兄弟子方は筋も良いし・・・もしかしたら師匠よりも・・・
私の碁は確かに喧嘩碁と言うか力任せ的なところがあるから自分でも余り格好好くは無いとは思っているのですが、、、師匠本人はその事には触れないのです。
師匠本人が多少力戦タイプなところはありますが、、、だからといってそういう碁を奨励していたわけではなさそうです。
今から考えると、いくつか置いて打って戴いていたのですから、私に対し「戦って勝て」と言うことで打ってくれていたのでしょうね。
当時私は碁会所では若い方でしたが、囲碁の憶え方と言うか経歴みたいな影響?で、実戦よりは本などから得たような知識が多かったはずです。
当時の碁会所の常連達に較べたらそうでした。
当時も今も一部の碁会所のイメージには「筋は悪いけれど力は強い」があります。
だから、一見筋が良さそうでも考えられないところから崩れていったりしますから・・・多分師匠から見ると見るからに力不足だったのでしょう。
4子の置き碁から2子辺りまで戦いに明け暮れたと言って良いでしょう。
師匠の手が相手さえ居れば”ぶつかり稽古”で、誰かと対局をしている時は、少し離れたところから観戦しながら順番を待ったものです。
平日の夜はせいぜい1局ですが、土日ともなれば何局も付き合って貰いました。
「打ち込んでシノグ」「打ち込まれた石を取りに行くか、あるいは追い上げるか」、教えてもらっているのに、そういう緊張感がたまらなく好きでした。
特に「打ち込んでシノグ」これがたまらない。
自分でかなり自惚れ気味に感じていますが、同じ位のザル仲間ではシノギの術ではやや自信がある(勿論上手には通用しないでしょうが)。
そういうものが育ったのは師匠に鍛えられていた時期なんでしょう。
こういうものを今でも引きずっている
但し打ち込んでいくとき考えはしますが最後は「何とかなるだろう」か「ダメだったら潔く投げれば良いさ」で棋士のように「深い読みに基づいた作戦」ではなところが情けないですが・・・
「見通しの立たないことで楽しむとは相手に失礼ではないか」と言う感じもありますが、このスリルと成功した時の達成感は替え難いものがあります。
尤も一部の業界用語では「稼ぐ・生活する・やっていく」みたいな意味らしいので、寧ろこちらの方に近いかもしれません。
相手が安心している縄張りに殴りこむと言う見方をすればそっちの方ですね。
稼ぐだけ稼いでおいて、相手に大きな地が出来そうなところをドカンとやって、後は相手の猛攻を凌いでオシマイというイメージは坂田栄男か趙治勳でしょう。
マアあのくらいの実力者になれば、見通しがあってのこと・・・仮に「勝負どころで行くしかない」というものであっても、ある程度の成否のイメージはあるに違いない。
相手にしたって天下の坂田・趙がやってきたのだから、かなりの脅威であろう。
いやそれどころか、普通に考えればとても無茶な作戦であっても、コロンブスの卵ではないけれど、実はそれしかない作戦なのかも知れないし、もしかしたら下手な反発は逆に潰れてしまうような危険な仕掛けもあるかも知れません。
但し、それはプロ、しかも限られた棋士の世界で、コチトラはザルですからミーハーみたいにカッコウは真似しますが、中身は保証の限りではありません。
脅威というより驚異の部類でして、早く言えば”笑っちゃう”。
やってみなくてはわからない、落語で言えば「素人うなぎ」」ですから、「どういう結末になるかは相手に聞いてください」となる。
若い頃にK畑師匠に1番手直りの置き碁で教わっている頃によく言われたのは「そこまでやっていかなくても良さそうなもの」とか「そうせざるを得ないのは、そこまでが悪すぎる」の類のお叱り。
但し叱るのはK畑師匠ではなくて、横で観戦していた先輩の方々。
先輩がたは師匠に常先くらいで、私から見たら兄弟子格。
兄弟子方は筋も良いし・・・もしかしたら師匠よりも・・・
私の碁は確かに喧嘩碁と言うか力任せ的なところがあるから自分でも余り格好好くは無いとは思っているのですが、、、師匠本人はその事には触れないのです。
師匠本人が多少力戦タイプなところはありますが、、、だからといってそういう碁を奨励していたわけではなさそうです。
今から考えると、いくつか置いて打って戴いていたのですから、私に対し「戦って勝て」と言うことで打ってくれていたのでしょうね。
当時私は碁会所では若い方でしたが、囲碁の憶え方と言うか経歴みたいな影響?で、実戦よりは本などから得たような知識が多かったはずです。
当時の碁会所の常連達に較べたらそうでした。
当時も今も一部の碁会所のイメージには「筋は悪いけれど力は強い」があります。
だから、一見筋が良さそうでも考えられないところから崩れていったりしますから・・・多分師匠から見ると見るからに力不足だったのでしょう。
4子の置き碁から2子辺りまで戦いに明け暮れたと言って良いでしょう。
師匠の手が相手さえ居れば”ぶつかり稽古”で、誰かと対局をしている時は、少し離れたところから観戦しながら順番を待ったものです。
平日の夜はせいぜい1局ですが、土日ともなれば何局も付き合って貰いました。
「打ち込んでシノグ」「打ち込まれた石を取りに行くか、あるいは追い上げるか」、教えてもらっているのに、そういう緊張感がたまらなく好きでした。
特に「打ち込んでシノグ」これがたまらない。
自分でかなり自惚れ気味に感じていますが、同じ位のザル仲間ではシノギの術ではやや自信がある(勿論上手には通用しないでしょうが)。
そういうものが育ったのは師匠に鍛えられていた時期なんでしょう。
こういうものを今でも引きずっている
但し打ち込んでいくとき考えはしますが最後は「何とかなるだろう」か「ダメだったら潔く投げれば良いさ」で棋士のように「深い読みに基づいた作戦」ではなところが情けないですが・・・
「見通しの立たないことで楽しむとは相手に失礼ではないか」と言う感じもありますが、このスリルと成功した時の達成感は替え難いものがあります。