今朝勤め先のロッカールームに農家出身の人がいたので、先日の敷地内の枇杷の話をしてみました。
流石に餅は餅屋。
彼は田舎の所謂大百姓の跡継ぎ息子・・・農作業は全く手伝わないから、日本農業の先行き不安の一つのサンプルみたいな人ですが、それでもすぐに「あの枇杷には鳥が集まって騒いでいるよね」との返事があった。
農業は手伝わなくても、屋敷周りには実のなる木もあるだろうし、見るところは見ていると言うべきか・・・知らなかったのは私だけだったのかも。
いずれにしても、鳥が集まるということは不味くは無いという証か?
今ならまだ鳥が味見をしていない実が残っている可能性が・・・しかし我が身がヤヤ浅ましい感じがしますね・・・こういう時「高楊枝スタイル」をとるように育てられたせいか、「エーカッコしイー」か「実効あるのみか」揺れる。
さて、優柔不断なジイサマに来年はあるだろうか。
ところで日曜日に「腕前が分かる」と言う話をしましたが、私の経験でいうと、「見た感じで概ね分かる事が多い」のと「序盤の20から30手で完璧に分からされるような時がありました。
見た感じというのは一種のオーラみたいなものでしょうか、それとも目に宿る自信みたいなものでしょうか、いずれにしてもこちらに伝わってくるものがあるように思います。
また、初対面の人に「とりあえず互い先」で打ち始めたものの、20から30手で『手合いが違う』と思ったことがありました。
何処がどうと説明はしにくいのですが、ともかく隙が無い感じで、相手は何もしなくても『相手(私)が勝手にコケる』あるいは『相手のことなど考えていない』と言うか・・・こういう時勝敗は勿論手合い違いと感じます。
マアこれはあまり多くは経験で、今のところ二人かな
普通「腕前が分かる場面」というと、例えば対局していて、私が「ごく普通の流れの中の手」と思って打った手に相手が考え込む時。
勿論私の大チョンボに、相手が腰を落として考えているのかも知れないけれど、そうではなくて、私には『何気ない手』が相手には問題の場面となる時。
私には何が問題なのか分からないのに・・・
これは私の単なる見落としの場合のほかに相手の思考レベルあるいは碁盤上の視力にレベルの差がある場合もある。
それは下された次の一手で分かる場合と・・・現実に盤上に現れないこともあるけれど・・・
いずれにせよ、「男児(女性でも同じです)三日会わざれば、括目して見よ」という言葉を思い出す。
相手が若い人の場合・・・私が今より若い時代に若い人だったということで、今ではそれほど若くはないのですが、囲碁の場合も始めた時期とか、実年令で先輩後輩みたいな関係があります。
しかも昔はいくつか置かせて打った相手。
彼にとっては、私などもいづれは乗り越える・上達の一里塚みたいな存在な訳で、、、逆から見ると乗り越えられるべき存在?
私自身も途中で何人かの先輩を乗り越えたように、私もいずれ乗り越えられる運命!
こういう後輩と打つとき、彼の目つきが変わってきています
ギラギラとかそういうものではなくて、変な表現ですが目線に芯が入っているような感じというような、、、
ですから気分で押されるとうようなところは無くなって、寧ろ先輩の方がタジタジな場面が、、、先輩の意地でそ知らぬ顔で打ちますが。
お互いの読み合いと言うか、呼吸があってくると・・・「向こう先はせいぜいここ1,2年で、その先は恐らくひっくり返されるだろうと覚悟する。
流石に餅は餅屋。
彼は田舎の所謂大百姓の跡継ぎ息子・・・農作業は全く手伝わないから、日本農業の先行き不安の一つのサンプルみたいな人ですが、それでもすぐに「あの枇杷には鳥が集まって騒いでいるよね」との返事があった。
農業は手伝わなくても、屋敷周りには実のなる木もあるだろうし、見るところは見ていると言うべきか・・・知らなかったのは私だけだったのかも。
いずれにしても、鳥が集まるということは不味くは無いという証か?
今ならまだ鳥が味見をしていない実が残っている可能性が・・・しかし我が身がヤヤ浅ましい感じがしますね・・・こういう時「高楊枝スタイル」をとるように育てられたせいか、「エーカッコしイー」か「実効あるのみか」揺れる。
さて、優柔不断なジイサマに来年はあるだろうか。
ところで日曜日に「腕前が分かる」と言う話をしましたが、私の経験でいうと、「見た感じで概ね分かる事が多い」のと「序盤の20から30手で完璧に分からされるような時がありました。
見た感じというのは一種のオーラみたいなものでしょうか、それとも目に宿る自信みたいなものでしょうか、いずれにしてもこちらに伝わってくるものがあるように思います。
また、初対面の人に「とりあえず互い先」で打ち始めたものの、20から30手で『手合いが違う』と思ったことがありました。
何処がどうと説明はしにくいのですが、ともかく隙が無い感じで、相手は何もしなくても『相手(私)が勝手にコケる』あるいは『相手のことなど考えていない』と言うか・・・こういう時勝敗は勿論手合い違いと感じます。
マアこれはあまり多くは経験で、今のところ二人かな
普通「腕前が分かる場面」というと、例えば対局していて、私が「ごく普通の流れの中の手」と思って打った手に相手が考え込む時。
勿論私の大チョンボに、相手が腰を落として考えているのかも知れないけれど、そうではなくて、私には『何気ない手』が相手には問題の場面となる時。
私には何が問題なのか分からないのに・・・
これは私の単なる見落としの場合のほかに相手の思考レベルあるいは碁盤上の視力にレベルの差がある場合もある。
それは下された次の一手で分かる場合と・・・現実に盤上に現れないこともあるけれど・・・
いずれにせよ、「男児(女性でも同じです)三日会わざれば、括目して見よ」という言葉を思い出す。
相手が若い人の場合・・・私が今より若い時代に若い人だったということで、今ではそれほど若くはないのですが、囲碁の場合も始めた時期とか、実年令で先輩後輩みたいな関係があります。
しかも昔はいくつか置かせて打った相手。
彼にとっては、私などもいづれは乗り越える・上達の一里塚みたいな存在な訳で、、、逆から見ると乗り越えられるべき存在?
私自身も途中で何人かの先輩を乗り越えたように、私もいずれ乗り越えられる運命!
こういう後輩と打つとき、彼の目つきが変わってきています
ギラギラとかそういうものではなくて、変な表現ですが目線に芯が入っているような感じというような、、、
ですから気分で押されるとうようなところは無くなって、寧ろ先輩の方がタジタジな場面が、、、先輩の意地でそ知らぬ顔で打ちますが。
お互いの読み合いと言うか、呼吸があってくると・・・「向こう先はせいぜいここ1,2年で、その先は恐らくひっくり返されるだろうと覚悟する。