最近でもこういう商売はあるのだろうか。
私が若い頃はしかるべきところに行けば必ず居た・・・困ったものだけれど居た。
暮れの中山が有馬記念で終わるとその年の中央開催は終わりで、年明けの金杯までお休みとなります。
しかしレースファンにとってはそのせいぜい10日が寂しいわけで、暮れと年明けは「地方」の船橋に通うことになる(行かなくても良いのに)。
私の場合も1年でこの時期だけは船橋に行ったものです。
当時の馬券発売窓口は、まだ機械化が進んでいなくて馬券ごとに違う窓口で買う事になります。
薄い紙にパンチで数字が分かるようになっている。
そして3種類の馬券を買おうと思ったら3箇所の窓口に並ぶのです。
したがって人気サイドの券は窓が2つとか3つに増設・・・そんなですから時間一杯になると大変な忙しさ、そんなところに私設馬券なんていうのが付込む隙があった。
藁半紙を小さく切ったメモ用紙を渡されて・・・突き返すのも恐いから受け取ります。
側にバスの車掌さんみたいな、ひも付きのカバンをに札束を一杯持ったお姉さん・・・地方競馬の印象は私設馬券と、いかにも知り合いみたいに声を掛けてくるコーチ屋でした。
馬券は、何処の窓口に並んだかを見ればその人が何を買ったかが分かる・・・そこで件のコーチ屋が登場します。
「山ちゃん元気にしてる?」突然肩を叩かれてこういう風に声を掛けられます。
もし私の知っている山ちゃんのことをイメージして、その知り合いかと思って返事をすると、そこから話が繋がって行き、結局は「教えるとおりに馬券を買いなさい」となる筈です。
もしその通りに馬券が当たると、レース後にコーチ料の集金に来るらしい。
ですから返事をしないに限る
プロのコーチ屋はいろんな人にいろんな馬券を教えるらしいから、誰に何を教えたのか憶えるだけでも”凄い”職業?・・・マア困った商売ですが。
今は電子化が進んだから、この職業?も成り立たないでしょうね。
これが囲碁の場合・・・馬券のコーチみたいに勝手に教えて料金を請求する人はいませんが、自分より1ランク2ランク下の人に教えるのが好きな人はいますね。
”居る”と言うかよく見かけます。
きっとお金を払ってでも教えたい口でしょうね。
まるで自分が打つより、人の面倒を見るのが趣味みたいな人。
よく、対局しながら隣の盤が気になってしょうがないというような・・・自分の碁はそっちのけで隣の碁の解説を始める人・・・
それでも一概に迷惑だと片付けられない面もあります。
例えば下手の中にはこういう人にお”お世話になっている”と感じている人もいるようですし・・・こういう人が居るからその碁会所に通ってくると言うこともある。
少なくとも、その碁会所に来てその人が居れば放って置かれる心配は無いわけですしね。
教える方も、教えている間は”先生”であるし、少なくとも”先輩”ではあるわけですし・・・人間は本来教えるのが好きかも知れないし。
ともかく”自分より一寸強い人”と言うのが良いのかも知れない。
感覚的には分かり合える共通点が多いのかも。
さてこういう”教える”と言う事は、場合によっては嫌味な感じを含む押し付けになることが怖い。
それに棋力が大きく違うと、”別世界”の人ではありませんが、教わるほうもかなり腰が引けてしまうようなところがあります。
少なくとも私はそういう風に感じてしまうので、基本的態度としては黙って見ているわけです。
観戦して感じたことはあっても横から口を出すことは無い。
これは何かを言うのが嫌なわけではなくて、逆の方向からの遠慮なのです。
それに、周りに拒否されたくないという臆病な態度でもあります。
但し、局後に聞かれれば別です・・・この場合は「私はこう思う」と言うカッコつきですが感じたことを話します。
ですから、普段は黙って見ているわけですが、困った時もある。
もし「先輩格」の人が”弟子”に間違った解説をしていたら・・・
どう考えても間違った解説をしてたら、、、あるいは戦いの場面で結果が入れ替わるような、、、
さてその場合、横から頼まれもしないのに訂正を入れるとしたら、先生の顔を潰して、弟子との関係を壊すことにならないだろうか?
イヤ、私の想像では両者から「頼まれもしないのに余計な事を言うオヤジ」という烙印を押されそうな気がします。
それでも、そういうことより”真実”が大事なのかハムレットになってしまいます。?
イヤ。もしかしたら横で見ている私の方が間違って居たら・・・
黙って出来るだけ無表情で見ているようで、結構嵐が吹き荒れている場合もあるのです。
それと黙って、かの先生の説明を聞いていることが「肯定」となるかも知れない・・・などなど。
観戦は好きだけれど、リアルの観戦はなかなか大変です。
私が若い頃はしかるべきところに行けば必ず居た・・・困ったものだけれど居た。
暮れの中山が有馬記念で終わるとその年の中央開催は終わりで、年明けの金杯までお休みとなります。
しかしレースファンにとってはそのせいぜい10日が寂しいわけで、暮れと年明けは「地方」の船橋に通うことになる(行かなくても良いのに)。
私の場合も1年でこの時期だけは船橋に行ったものです。
当時の馬券発売窓口は、まだ機械化が進んでいなくて馬券ごとに違う窓口で買う事になります。
薄い紙にパンチで数字が分かるようになっている。
そして3種類の馬券を買おうと思ったら3箇所の窓口に並ぶのです。
したがって人気サイドの券は窓が2つとか3つに増設・・・そんなですから時間一杯になると大変な忙しさ、そんなところに私設馬券なんていうのが付込む隙があった。
藁半紙を小さく切ったメモ用紙を渡されて・・・突き返すのも恐いから受け取ります。
側にバスの車掌さんみたいな、ひも付きのカバンをに札束を一杯持ったお姉さん・・・地方競馬の印象は私設馬券と、いかにも知り合いみたいに声を掛けてくるコーチ屋でした。
馬券は、何処の窓口に並んだかを見ればその人が何を買ったかが分かる・・・そこで件のコーチ屋が登場します。
「山ちゃん元気にしてる?」突然肩を叩かれてこういう風に声を掛けられます。
もし私の知っている山ちゃんのことをイメージして、その知り合いかと思って返事をすると、そこから話が繋がって行き、結局は「教えるとおりに馬券を買いなさい」となる筈です。
もしその通りに馬券が当たると、レース後にコーチ料の集金に来るらしい。
ですから返事をしないに限る
プロのコーチ屋はいろんな人にいろんな馬券を教えるらしいから、誰に何を教えたのか憶えるだけでも”凄い”職業?・・・マア困った商売ですが。
今は電子化が進んだから、この職業?も成り立たないでしょうね。
これが囲碁の場合・・・馬券のコーチみたいに勝手に教えて料金を請求する人はいませんが、自分より1ランク2ランク下の人に教えるのが好きな人はいますね。
”居る”と言うかよく見かけます。
きっとお金を払ってでも教えたい口でしょうね。
まるで自分が打つより、人の面倒を見るのが趣味みたいな人。
よく、対局しながら隣の盤が気になってしょうがないというような・・・自分の碁はそっちのけで隣の碁の解説を始める人・・・
それでも一概に迷惑だと片付けられない面もあります。
例えば下手の中にはこういう人にお”お世話になっている”と感じている人もいるようですし・・・こういう人が居るからその碁会所に通ってくると言うこともある。
少なくとも、その碁会所に来てその人が居れば放って置かれる心配は無いわけですしね。
教える方も、教えている間は”先生”であるし、少なくとも”先輩”ではあるわけですし・・・人間は本来教えるのが好きかも知れないし。
ともかく”自分より一寸強い人”と言うのが良いのかも知れない。
感覚的には分かり合える共通点が多いのかも。
さてこういう”教える”と言う事は、場合によっては嫌味な感じを含む押し付けになることが怖い。
それに棋力が大きく違うと、”別世界”の人ではありませんが、教わるほうもかなり腰が引けてしまうようなところがあります。
少なくとも私はそういう風に感じてしまうので、基本的態度としては黙って見ているわけです。
観戦して感じたことはあっても横から口を出すことは無い。
これは何かを言うのが嫌なわけではなくて、逆の方向からの遠慮なのです。
それに、周りに拒否されたくないという臆病な態度でもあります。
但し、局後に聞かれれば別です・・・この場合は「私はこう思う」と言うカッコつきですが感じたことを話します。
ですから、普段は黙って見ているわけですが、困った時もある。
もし「先輩格」の人が”弟子”に間違った解説をしていたら・・・
どう考えても間違った解説をしてたら、、、あるいは戦いの場面で結果が入れ替わるような、、、
さてその場合、横から頼まれもしないのに訂正を入れるとしたら、先生の顔を潰して、弟子との関係を壊すことにならないだろうか?
イヤ、私の想像では両者から「頼まれもしないのに余計な事を言うオヤジ」という烙印を押されそうな気がします。
それでも、そういうことより”真実”が大事なのかハムレットになってしまいます。?
イヤ。もしかしたら横で見ている私の方が間違って居たら・・・
黙って出来るだけ無表情で見ているようで、結構嵐が吹き荒れている場合もあるのです。
それと黙って、かの先生の説明を聞いていることが「肯定」となるかも知れない・・・などなど。
観戦は好きだけれど、リアルの観戦はなかなか大変です。