先日学生時代にお世話になったK助教授の事を書きました。
そしてK先生の同僚の先生にも囲碁を打って戴いたことも。
私も年のせいか、昔の事を懐かしく思い出すような・・・最近の事よりも記憶がはっきりしていると言うほどでもありませんが、マア最近は同じような事の繰り返しが多いので、新鮮味と言うか心に衝撃見たいなものが少ないようです。
それに比べたら人生で20年余りの頃は初めてのことが多いし、いろんな事が予測の範囲に入らない事が多いので、新鮮な気持ちで接し多分記憶に強く残って行くようです。
囲碁を憶えて初めて対局したのは中学1年の時に、同級生が私の家に遊びに来てくれた時でした。
まだ市境の川の近くの社宅に住んでいた頃・・・工場は別の市に新しい敷地を取得し統合されて移転した後で、工場が倉庫代わりに残り社宅も残っていた頃で、がらんとした工場の敷地の日当たりのよい場所で、家から持ってきた折りたたみ碁盤で対局した記憶が残っています。
日当たりが良くて暖かだった事・・・だから冬だったのでしょうね。
木工場部分で大きな屋根の下で、木くずが足元に散らばっていて、丸太に腰かけて対局した記憶があります・・・それらの情景は特に意味がある事ではないけれど、情景として頭の中にセットされている感じです。
友達と五目並べでもやろうと誘ったら、何故か彼から「囲碁」にしようと誘われたもの。
彼は祖父と同居していて、相手が出来るように祖父に教えられたのだとか。
私は誘われて「じゃ、打とう」と応じたのですから相当ズーズーしかったですね・・・一度も打った事が無いし、新聞の棋譜を毎日見ていると言うだけの話です。
ペーパードライバーがいきなり運転をしたようなものです。
毎日助手席で運転を見ていたら、自分も運転が出来ると思い込む・・・「やれば出来る」と何の疑いも持たない・・・そういう性格だったのですね。
この勘違いの第一歩から50年は経っている今日まで囲碁は続いているのですから、最初の勘違いと第一歩を踏み出すと言うことは恐ろしいものです。
さてそれが生涯の第一局でありまぐれでの初めての勝利でした。
もっとも第二局は大学に入ってからクラブの後輩と打つまで間が開く。
8年後くらいが第二局。
そこからは後輩たち・・・植物のクラブなのに囲碁を打つ変な先輩と言うより、ヘボ初心者の中のお山の大将。
この時代にK助教授と先生の同僚の教授に打って戴いたりしました。
この頃の棋力・・・想像ですが、当時の自分の考えでも初段は無かった筈で、恐らく甘くて2級か、概ね3級くらいだったと想像しています。
マア、大したことは無いのですが・・・しかし、一人で憶えて勝手に打っていただけでもあるので、雑誌も囲碁クラブくらいだけの割には上達したのかも知れません。
当時自分でも井の中の蛙的な囲碁ファンである事は分かっていましたが、さりとて大学の囲碁部に行って教わるような機会もありませんでした。
但し自分がはたしてどのくらいで打てるのかが知りたいとも思うわけです・・・
そんなころに友人の知り合いで囲碁好きな学生を紹介して貰いました。
彼は学生寮住まいで、囲碁部には入っていないけれど相当な囲碁ファン。
ですから彼も日頃の対局相手を探していた。
囲碁ファンの出会いって面白いものですね。
同じような囲碁ファンに出会うことは嬉しい・・・但し自分が相手と互角以上に戦えるかどうか不安を憶えるものです・・・要するに不安と喜びが同居するようです。
彼との対局は学生寮の彼の部屋でした。
3.4局打って確か打ち分けで、お互いにほっとした気分でお互いの顔を見た思い出があります。
「お互いどのくらいかな?」
「そうね、2級くらいかな?」
「うん、そんなところかな」
「きっとそうだと思うよ」
そんな会話を交わしました。
それは私にとって初めての他流試合で、勝てなかったけれど負けもしなかった・・・ソコソコ打てた安心感・・・そういう気分を憶えています。
その彼の名前も思い出せないけれど、そういう気分は憶えているものです。
そしてK先生の同僚の先生にも囲碁を打って戴いたことも。
私も年のせいか、昔の事を懐かしく思い出すような・・・最近の事よりも記憶がはっきりしていると言うほどでもありませんが、マア最近は同じような事の繰り返しが多いので、新鮮味と言うか心に衝撃見たいなものが少ないようです。
それに比べたら人生で20年余りの頃は初めてのことが多いし、いろんな事が予測の範囲に入らない事が多いので、新鮮な気持ちで接し多分記憶に強く残って行くようです。
囲碁を憶えて初めて対局したのは中学1年の時に、同級生が私の家に遊びに来てくれた時でした。
まだ市境の川の近くの社宅に住んでいた頃・・・工場は別の市に新しい敷地を取得し統合されて移転した後で、工場が倉庫代わりに残り社宅も残っていた頃で、がらんとした工場の敷地の日当たりのよい場所で、家から持ってきた折りたたみ碁盤で対局した記憶が残っています。
日当たりが良くて暖かだった事・・・だから冬だったのでしょうね。
木工場部分で大きな屋根の下で、木くずが足元に散らばっていて、丸太に腰かけて対局した記憶があります・・・それらの情景は特に意味がある事ではないけれど、情景として頭の中にセットされている感じです。
友達と五目並べでもやろうと誘ったら、何故か彼から「囲碁」にしようと誘われたもの。
彼は祖父と同居していて、相手が出来るように祖父に教えられたのだとか。
私は誘われて「じゃ、打とう」と応じたのですから相当ズーズーしかったですね・・・一度も打った事が無いし、新聞の棋譜を毎日見ていると言うだけの話です。
ペーパードライバーがいきなり運転をしたようなものです。
毎日助手席で運転を見ていたら、自分も運転が出来ると思い込む・・・「やれば出来る」と何の疑いも持たない・・・そういう性格だったのですね。
この勘違いの第一歩から50年は経っている今日まで囲碁は続いているのですから、最初の勘違いと第一歩を踏み出すと言うことは恐ろしいものです。
さてそれが生涯の第一局でありまぐれでの初めての勝利でした。
もっとも第二局は大学に入ってからクラブの後輩と打つまで間が開く。
8年後くらいが第二局。
そこからは後輩たち・・・植物のクラブなのに囲碁を打つ変な先輩と言うより、ヘボ初心者の中のお山の大将。
この時代にK助教授と先生の同僚の教授に打って戴いたりしました。
この頃の棋力・・・想像ですが、当時の自分の考えでも初段は無かった筈で、恐らく甘くて2級か、概ね3級くらいだったと想像しています。
マア、大したことは無いのですが・・・しかし、一人で憶えて勝手に打っていただけでもあるので、雑誌も囲碁クラブくらいだけの割には上達したのかも知れません。
当時自分でも井の中の蛙的な囲碁ファンである事は分かっていましたが、さりとて大学の囲碁部に行って教わるような機会もありませんでした。
但し自分がはたしてどのくらいで打てるのかが知りたいとも思うわけです・・・
そんなころに友人の知り合いで囲碁好きな学生を紹介して貰いました。
彼は学生寮住まいで、囲碁部には入っていないけれど相当な囲碁ファン。
ですから彼も日頃の対局相手を探していた。
囲碁ファンの出会いって面白いものですね。
同じような囲碁ファンに出会うことは嬉しい・・・但し自分が相手と互角以上に戦えるかどうか不安を憶えるものです・・・要するに不安と喜びが同居するようです。
彼との対局は学生寮の彼の部屋でした。
3.4局打って確か打ち分けで、お互いにほっとした気分でお互いの顔を見た思い出があります。
「お互いどのくらいかな?」
「そうね、2級くらいかな?」
「うん、そんなところかな」
「きっとそうだと思うよ」
そんな会話を交わしました。
それは私にとって初めての他流試合で、勝てなかったけれど負けもしなかった・・・ソコソコ打てた安心感・・・そういう気分を憶えています。
その彼の名前も思い出せないけれど、そういう気分は憶えているものです。