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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

無言の行?

2010-03-31 00:04:29 | Weblog
 無言の行と言っても禅僧の修業ではありません。
  話は例によって回りくどくなりますが、御用とお急ぎでない方は寄ってらっしゃい聞いて下さい。

 金曜日の朝は当地は冷たい雨が降り出しました。
  この日はあいにく息子の運転免許の学科試験の日で、本来なら自転車で最寄り駅まで行って、そこからJR電車で二駅+路線バス7,8分という予定でしたが、マア前祝いのご祝儀みたいなもので車で送っていきました。
 出勤前の30分の回り道でしたが、おかげさまで試験は合格・・・こういう朝の大サービスも合格に貢献して居る筈ですね、多分。
  学科試験は昔に比べると難しくなったようですね。
 昔の感覚だと学科試験では9割以上は合格していたように思うのですが、今回は450人中130人は不合格だったそうで、概ね7割の合格率です。
 ということは「受験すれば受かる」ということより、もう少しありがたみが増したようです。

 それでも一旦免許証を手にすると、自分の苦労はともかく他人の協力は忘れる傾向にある。
  格言で言えば「喉元過ぎれば熱さ忘れる」・・・少し違いますね。
 「水を飲む時は井戸を掘った人の苦労を思う」・・・これも少し違いますか。
 ともかく公認ライセンスを手にすると、オヤジのこれまでの協力・・・面白くも無い法規の問題集に付き合わしたことなど奇麗さっぱり忘れてしまうものです。
 マアそれほど恩着せがましく言うほどのものでもありませんが、「子供は一人で大きくなったと思っている」・・・そんな感じ。
 尚且つ、免許証を手にして初運転につきあわせるのですから。

  この超初心者運転の助手席は居心地が宜しく無い。
 まさに若葉マークにふさわしい運転だし、本人も自分では下手だとは思っている・・・ここが難しい・・・これが助手席は修業以上の場所です。
 「アーここで車線変更」「視野を広く・・・」「停止線から離れ過ぎ」「ハンドル切り過ぎ」「思い切りが悪い」という叫びは胸の中にしまって無言の行。
 余程の危険か、危険に遭遇する可能性が高くなければここは黙って見ている。
  これには訳があります。
 その昔、まだ子供たちが幼かった頃女房殿が一念発起して、夏休みを利用して免許を取ったのです・・・しかも当時の事ですのでマニュアルしかない時代。
 今考えるとぞっとしますが。
  ともかく免許証を取得して初めて家族を乗せて運転した時。
 助手席に私、後部座席には娘と息子がいたのですが、この子供たちが大騒ぎ!
 「怖い!」「ダメ!」「止めて」「お父さんと替わって」の合唱。
 確かに子供たちにしたらそうだったかも知れない・・・運転手との信頼関係が無ければ車酔いもするでしょうし。
 おかげで、女房殿はすっかり自信を失い・いや自分の運転を不安だと思いこみ、以来ペーパードライバーなのでゴールドなのです。
 おかげで事故を起こさずに済んでいるのかも知れませんが、ともかく初心者の時の運転は後を引くのでしょう。
 私の場合は免許を取得した午後には仕事で社員の送迎をしていましたから、必要かどうか・やらなくてはいけないのかどうかなどが一つのカギでもある。
 息子の場合は少々の嫌味も気にせずに乗るでしょうが、マア黙って見ている方がすんなり運転に慣れるような気がします。
 でも「言いたい事は一杯あるのに黙って見ている」のは相当努力が必要ですね・・・殆ど修業。
  マア気がついた事を話しても、アドバイスというよりウルサイ小言でしょうね。
 当分は「木の上に立って見ている」=「親」という事です。
  親は修業なんですね・・・祖父・父・私・息子と世代のバトンタッチで修業です。