高校を卒業して44年経ちますが、この間毎年のように同窓会の案内が来ます、、、そのたびに申し訳ないのですが不参加に○をつけて返信しているので未だ出席をしたことが無い。
そういう立場で言うのは不真面目な発言ですが「律儀」という感じだし、作業としては事務委託された人が名簿上の宛先に往復はがきを送っているに過ぎないのだろうが、もしかしたら「これだけの月日がたっても完全には忘れ去られてはいない」ような安心感もあるのだから勝手なものです。
尤も良い事でだけ目立ったわけではなくて、その反対の事も多かったので両方合わせてメモリアルのボリュームはあるかもしれません。
ともかく未出席、故郷で開かれる時も、首都圏開催の時も・・・
マア、ものぐさな性格でもあり、出席して「お前は昔から悪い奴だった」と言われるのが落ちなので臆病にも回避しているところもありますが、出席しない事が続くと何か出席するには特別な理由が必要な感じがして来ます。
若い頃は「昔話をするのには早すぎるのでは」と思っていましたが、年とともに変わったと言っても「昔話は嫌いではないが、そのために出かけるにはエネルギー不足」なのです。
それと数十人あるいはもっと多いかもしれませんが、そういう大人数の会合が好みでは無いところがある。
見知らぬ人の中の一人なら特に気にはならないと思いますが、全員嘗てのクラスメイトというのは知っている顔が多すぎる!?
そこで黙っているのも変だし、話すにしては話題を探すのは面倒くさい,つまり居心地の悪い空間・時間帯を堪える・・・こういうことに疲れる性格なのです。
いや、誰かとの会話で一時盛り上がる事はあり得るけれど、その波が通り過ぎた時が問題で、この白けた時間・白けた自分に耐えられない。
こういう波の繰り返しがあると予想できる・・・これは勤務先での忘年会などとも似ていると想像出来る。
だから、例えば黙って碁を打つだけの同窓会なんてものがあればきっと出席する。
(想像の話で)
住んでいるところから東京駅まで45分、新幹線で1時間20分+ローカル先で10分、あるいは前日に姉の家に1泊、それくらい手間暇と経費がかかっても良い。
それでどういう事をやるかと言うと、、、同窓囲碁会のイメージ。
会のタイトルは出来たら「同窓囲碁会」より、「富士山を見ながら囲碁を打つ会」なんて言うのが良い。
ある程度何気ない感じが良いと思う。
このタイトル通りなら会場は日本平の上にあるホテルとかその辺りの施設を借りることになる。
ここは毎年遠足の目的地・集合地点でした・・・朝、高校のグランドに集合して徒歩でここを目指すのです(3年間とも同じでした)。
思い思いのグループで、街の中を抜けお茶とミカンの間を通り抜け300メートルの丘の頂が目的地です。
そう言えば春の遠足なので田んぼのレンゲ、その脇の用水路のタニシ、遅咲きのサクラが記憶に残っている。
遠足は日本平の頂上で出席を取り、昼食後に再度出席を取ってから解散し下山はバスでも何でも良いと言う遠足でしたが、ともかくここは街のシンボル的地点であると同時に、高校3年間の遠足とも結びついている場所でもある。
ここからは晴れていれば富士山が大きく見えるし、麓の街、港、三保、駿河湾と向うには伊豆の山が見わたせるので、他県在住者も含めての会ならここが一番適しているはず、、、2番目は嘗ての学舎の体育館付属施設の合宿所か。
囲碁会ですから2,3局は打つ、、、マア昼食は各自対局の合間に対局者とか観戦者と一緒に。
対局以外の企画・・・例えば各自の「囲碁との出会い」、「囲碁との付き合い」などのタイトルで各自の話が聞けるのも良い。
この辺りはかなり興味がある。
私の記憶では高校3年間「囲碁」が話題になった事は一度も無い筈であるから、現在どのくらいの同窓生が囲碁を楽しんでいるのかも分からないけれど、楽天的な希望としては10人や20人はいるような気がする。
実はその当時から囲碁を知っていたのに話題にならなかっただけなのか、あるいはその後憶えたのか、それはいつどういうきっかけだったのかなどなど興味がある。
こういう話を聞けたなら、自分でもこういう方向で近況を話せたなら決して疎外感を味わうことは無いでしょう。
マア実際こういう企画があったとして、一体どれだけ参加者があるのか全く分かりませんが、この場合1学年だけでなく、オール同窓生およびオール恩師でも良さそう。
さて誰が世話人的な仕事をする?
ゴルフでも囲碁でも何でも、何かの為に集まるという企画が良い。
確かに同窓会も一つの目的ではあるが「集まこと」が目的みたいで、どうもエネルギーが湧いてこない。
知っている人の中で、かえって疎外感を味わうような予感・・・性格が歪んでいるのか尻ごみ。
もし「囲碁大会」の案内状が届けば、きっと何も考えずに出かけるに違いない。
そういう立場で言うのは不真面目な発言ですが「律儀」という感じだし、作業としては事務委託された人が名簿上の宛先に往復はがきを送っているに過ぎないのだろうが、もしかしたら「これだけの月日がたっても完全には忘れ去られてはいない」ような安心感もあるのだから勝手なものです。
尤も良い事でだけ目立ったわけではなくて、その反対の事も多かったので両方合わせてメモリアルのボリュームはあるかもしれません。
ともかく未出席、故郷で開かれる時も、首都圏開催の時も・・・
マア、ものぐさな性格でもあり、出席して「お前は昔から悪い奴だった」と言われるのが落ちなので臆病にも回避しているところもありますが、出席しない事が続くと何か出席するには特別な理由が必要な感じがして来ます。
若い頃は「昔話をするのには早すぎるのでは」と思っていましたが、年とともに変わったと言っても「昔話は嫌いではないが、そのために出かけるにはエネルギー不足」なのです。
それと数十人あるいはもっと多いかもしれませんが、そういう大人数の会合が好みでは無いところがある。
見知らぬ人の中の一人なら特に気にはならないと思いますが、全員嘗てのクラスメイトというのは知っている顔が多すぎる!?
そこで黙っているのも変だし、話すにしては話題を探すのは面倒くさい,つまり居心地の悪い空間・時間帯を堪える・・・こういうことに疲れる性格なのです。
いや、誰かとの会話で一時盛り上がる事はあり得るけれど、その波が通り過ぎた時が問題で、この白けた時間・白けた自分に耐えられない。
こういう波の繰り返しがあると予想できる・・・これは勤務先での忘年会などとも似ていると想像出来る。
だから、例えば黙って碁を打つだけの同窓会なんてものがあればきっと出席する。
(想像の話で)
住んでいるところから東京駅まで45分、新幹線で1時間20分+ローカル先で10分、あるいは前日に姉の家に1泊、それくらい手間暇と経費がかかっても良い。
それでどういう事をやるかと言うと、、、同窓囲碁会のイメージ。
会のタイトルは出来たら「同窓囲碁会」より、「富士山を見ながら囲碁を打つ会」なんて言うのが良い。
ある程度何気ない感じが良いと思う。
このタイトル通りなら会場は日本平の上にあるホテルとかその辺りの施設を借りることになる。
ここは毎年遠足の目的地・集合地点でした・・・朝、高校のグランドに集合して徒歩でここを目指すのです(3年間とも同じでした)。
思い思いのグループで、街の中を抜けお茶とミカンの間を通り抜け300メートルの丘の頂が目的地です。
そう言えば春の遠足なので田んぼのレンゲ、その脇の用水路のタニシ、遅咲きのサクラが記憶に残っている。
遠足は日本平の頂上で出席を取り、昼食後に再度出席を取ってから解散し下山はバスでも何でも良いと言う遠足でしたが、ともかくここは街のシンボル的地点であると同時に、高校3年間の遠足とも結びついている場所でもある。
ここからは晴れていれば富士山が大きく見えるし、麓の街、港、三保、駿河湾と向うには伊豆の山が見わたせるので、他県在住者も含めての会ならここが一番適しているはず、、、2番目は嘗ての学舎の体育館付属施設の合宿所か。
囲碁会ですから2,3局は打つ、、、マア昼食は各自対局の合間に対局者とか観戦者と一緒に。
対局以外の企画・・・例えば各自の「囲碁との出会い」、「囲碁との付き合い」などのタイトルで各自の話が聞けるのも良い。
この辺りはかなり興味がある。
私の記憶では高校3年間「囲碁」が話題になった事は一度も無い筈であるから、現在どのくらいの同窓生が囲碁を楽しんでいるのかも分からないけれど、楽天的な希望としては10人や20人はいるような気がする。
実はその当時から囲碁を知っていたのに話題にならなかっただけなのか、あるいはその後憶えたのか、それはいつどういうきっかけだったのかなどなど興味がある。
こういう話を聞けたなら、自分でもこういう方向で近況を話せたなら決して疎外感を味わうことは無いでしょう。
マア実際こういう企画があったとして、一体どれだけ参加者があるのか全く分かりませんが、この場合1学年だけでなく、オール同窓生およびオール恩師でも良さそう。
さて誰が世話人的な仕事をする?
ゴルフでも囲碁でも何でも、何かの為に集まるという企画が良い。
確かに同窓会も一つの目的ではあるが「集まこと」が目的みたいで、どうもエネルギーが湧いてこない。
知っている人の中で、かえって疎外感を味わうような予感・・・性格が歪んでいるのか尻ごみ。
もし「囲碁大会」の案内状が届けば、きっと何も考えずに出かけるに違いない。