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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

退屈はネコをも殺す?

2010-03-25 00:10:49 | Weblog
 私は今日は心臓エコー検査でした。
  経過を見なくてはいけない要注意人物なので、「今年も春には心臓エコー」みたいな感じで普通に血圧検査をするような気分です。
 でも、考えて見れば初めて医師から「心臓エコー」と言われた時は少し不安感があったと思う。
 「そんなに悪いのかな?」とか「検査結果で即入院となったら困る」とか・・・
 今ではそういう不安は常につきまとうものの「さあ見てくれ」的な俎板の鯉。
  しかし今回は初めに感じたような何か不安な感じを味わいました。
 
 初めに検査室が並ぶ一角受け付けを済ませ、予約した検査室前廊下の長椅子で検査に呼ばれるのを待ちます。
 私の検査は心臓ですからここでゆっくり呼吸を整える時間は必要でしょうね。
  ふと廊下の向かい側の長椅子を見るととこには私と同年輩のご夫婦が順番待ちをしていて、二人の会話が耳に入りました。
 ご主人「少し不安だね」、奥さん無言でうなずく(これだけですから会話とは言えない?)。
  会話の様子でご主人が検査かと思ったら、奥さんが呼ばれ手検査室へ。
 そこの部屋には「内視鏡検査」の札がかかっていました。
  夫婦で検査なら、どこか悪いところがあったと言うより、、年令的に「この辺りで検査をしておこう」の感じ。
 もしも奥さんだけが検査なら、精密検査・あるいは再検査みたいでやや不安が残りそう・・・でもそういう時に旦那が「不安だね」などと言いそうもないナ。
   こういう詮索をするのが好きなんです・・・ただ聞こえてくることからいろいろ想像する・・・ただそれだけですが。

 さて私が呼ばれて検査室に入ると「まず上半身裸になって下さい」と声がかかり、「何度も受けている検査ですから慣れていますね」というわけで、検査の人はこちらの検査履歴は承知なわけです。
 ただし、なんだか若い女性のオペレーター・・・マア先輩の検査技師もついていますが。
  この検査はゼリー状のクリームみたいなものがやや気持ち悪いのと、先に金属の着いた器具を押しつけられる不快感があるのですが、なんだかこれまでと違って押し付け方が弱い感じ。
 これが器具の進化でソフトタッチで検査が出来るように改善されたのなら良いのですが、被検査体本人としては検査院が慣れていないのではないのではないかというイメージ。
 彼女は若そうで、男性の検査にどこか遠慮があるのか・・・尤も男性と言っても還暦を過ぎているので孫娘とジイサマの図に違いないが。
 ということは、単に未熟なだけ?
  結局先輩の検査技師が「寒くはありませんか」と声をかけて来て、「やや見えにくいところがありましたので、そこを見ます」ということになった。
 こうなると疑い深い私としては、未熟な検査員の結果に先輩検査技師がフォローしているのか?
  あるいは、検体たる私の方に念入りに検査を要する箇所があったのか・・・不安になる。
 結果は約1カ月後の「定期検査で発表!」・・・ふざけている場合ではありませんが、マア結果を聞かなくては分からないので、今から心配しても仕方が無い。
  こういう時の諺かな・・・チョット意味が違うような気がしますが「退屈はネコをも殺す」
   なんとなくマッチしていると思いませんか?

 ところで今日のネット対局。
  「基本は詰め碁」という、部分的にせよ真理に違いない事柄を再確認しましたこと・・・多少の自慢話コミで報告します。
 この対局は私の白番で148手完・・・黒投了の短い碁でしたが、その決め手は黒の一団の生死でした。
 この黒の一団の隣の白石にそのまた隣の黒石の生きを確認するための1線のハネツギが打たれまして、通常では打たれた方としては①カタツギ、②カケツギを選ぶ。
 ①は目形の確保の必要が無ければ後からコウ材にならないように堅く継ぐ、②の場合は目形を整える必要がある場合・・・常識の話ですがついでに、①にせよ②にせよ黒が先手なわけで、ここで③として他の継ぎ方を考えて逆に白が先手を取ることが出来る場合もある。
 つまりこの碁の場合直接継では無く、やや離れた反対側の黒との接点を1線下がりで間に合わせる。
 これが実は隣の黒の死活のポイントになる筈・・・なんで結果的に先手で黒から先手を取り返す場面なのに黒は無視して多方面に転戦!?
 という事で折角なので・・・という経過で148手完。

 さて定石にしてもヨセにしても基本は詰め碁であると確認しました。
  単なる生き死にで成り立っている詰め碁と、経済性が含まれる定石、総合的なヨセの場合と、どちらにしても「詰め碁」的要素は大事だと再確認。
 若い頃詰め碁ばかりやって一人遊びの時代もありましたが無駄にはなっていないようです。
  「泣く泣く生かされる」場面もありますが
  「喜んで献上して多方面に先行する」作戦を比較的(独りよがりにせよ)自信を持って出来る事は楽しいですよね・・・自慢話はここまでに。