なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

我が家のエスニックブーム

2010-03-16 00:24:32 | Weblog
 エスニックと言うと言葉の解釈では外国風とか異国風ということですが、例えばタイ料理とかトルコ料理ならエスニックと言いますがフランス料理はエスニックとは言いませんね。
 この辺りは多少差別意識みたいなものがあるのでしょうか。
  それと差別ではないのですが、日本人独特と言いますか外国の物を取り入れる感覚もありますね。
 例えばハンバーグは分類すればアメリカ料理でしょうか?
  でも感覚的には日本料理とは言わないまでも、家庭での日常料理という感じですね。
 同様に中国生まれのラーメン、餃子、韓国からはキムチ、日本風アレンジのカレー
  記憶ではうどんだってもとは中国から渡って来たとか・・・
 日本人は食に関してはバイタリティーがあるのかも知れません。

 我が家では今息子と私はエスニック傾向があります。
  と言ってもケチで貧乏ですから美味くても高いのはダメ。
 この条件でフランス料理、近所のスペインレストラン、ドイツレストランは除外。
  インド料理店もギリギリ・・・当然日本料理・割烹・寿司・天ぷらなど「高級」を売りなところは対象外。
 今のところタイ料理の店か韓国料理。
  どちらもネイティブの人が作っていてこれまで親しんできた家庭料理とは違うイメージなので、こういうものを好む時期があるのかも知れません。
 家で、女房殿の都合で昼とか夕食が出ない時に息子と「おい、行くか?」「良いね」という感じで、今二人のトレンディは韓国料理。
 なんと言っても安くて美味い・・・独特の辛さがお気に入り。
  日曜日でも日替わり定食があって550円から700円程度ですから、これに二人で一つトッポッキかチヂミを頼んでも5,600円ですから二人で2000円で足りてしまうので、ファミレス並みの値段です。
 しかもまるで韓ドラの中に居るような気分も味わえるのですから楽しい。
  例えばTVではどこかで見たことがあるようなドラマが流れていますが、当然原語で字幕無し。
 壁にはあちらのブロマイドが並び、風景写真もある。
  壁紙は漢字+ハングルで、どうやらお経のような気がします。
 そうそう箸は金属ですしご飯も金属の器。
  ですからカッコつけて茶碗を置いたま食べたり、スープの中にご飯を入れてかき混ぜて食べたり・・・こういうことを遊びみたいに楽しんでいます。
 そして帰りにチャンジャとかキムチ、甘辛系のトウガラシをお土産に買ったり・・・
  片道車で20分、コイン駐車場1時間200円のほんのささやかな贅沢・遊びをやっています。

 マア今だけのマイブームかもしれませんが・・・
  少し前にNHKの番組で「米食う人々」という番組がありました。
 中国南部のお米、フィリピンの棚田、アメリカのお米・・・世界各地でお米が作られて、それぞれのお米にあった食べ方がある。
 私たちの意識の中に「日本のお米が最高」だと言う認識が定着しているかもしれませんが、もしかしたら其々のお米に適した食べ方があるかも知れません・・・パエリヤとかジャンバラヤとか・・・ですから○○料理店では無くて、いろんなお米をいろんな食べ方出来る店があったら楽しいですね。
 番組の中で海外取材のレポーターが「今まで日本のお米が最高だと思って来た・・・けれど」と呟いたところが頭から離れません。
 つまり「それはどういう味なのか」体験してみたい。
  最高級の物を求めると言うより、それぞれの地域での美味しいものを探すと言う感じです。


 

鶯が啼いて春の気分!

2010-03-15 00:09:39 | Weblog
 春が来たシンボルみたいなウグイスの啼き声・・・春が来たからウグイスが啼くのですが、あたかも逆に「ウグイスの啼き声でが春を呼んできた」みたいな気分にさせてくれるものです。
  朝の8時半頃に突然外で鶯の啼き声が響きました。
  ここに住んで30年近くになりますが、表から鶯の啼き声が聞こえるのは初めての事ですから、思わず耳を疑ってしまいました。
 最近の人の特徴というか悪い癖みたいなもので、通常と違うことが起こると何か別の作為を考えてしまうのです。
 例えば江戸屋猫八みたいな人が指で真似をしている?、鶯の笛?・・・それにしても大きな声で連続して啼いている。
 我が家のベランダは中層住宅で囲まれた中庭に面しています。
  大小さまざまな木が植えてありますが季節柄落葉樹には葉が無いし、常緑樹の方もそれほど密に葉が茂っているわけでもないので、どこにいるか見える筈・・・なのにケヤキの枯れ枝にムクドリらしき大きさの鳥がとまっているいる以外は鳥の姿がありません。
 それでも鶯のホーホケキョは響く。
  声の方向に目を凝らして、やっとスズメくらいの大きさの、緑っぽい色の鳥を発見。
 確かにウグイス・・・当然鶯色の鳥で、あちこちの枝にとまりながら移動して春の鶯の鳴き声をサービスしてくれました。

 ウグイスが何のためにここで啼いているのかは分かりませんが、聞く方はなんとはなしに嬉しくなってしまうものです。
 最近の表現で言うとナマウグイスということでしょうか。
  でも私は少し古い感覚なんでしょうか、「処処テイチョウを聞く」を思い浮かべました。
 いずれにしてもウグイスの声は春が来たシンボルみたいな響きです。
  
 昔の話ですが、子供の頃育ったところは郊外はほぼミカン山かお茶畑か雑木林・・・釣り竿みたいな竹の先にトリモチを着けたものと鳥駕籠を持って山に入る人がいたようですが、それはつまりそこには対象となる小鳥がいたと言う事ですね(勿論捕獲は法律違反)。
 言葉としてはウグイスを取りに山に入ると言っていましたから、ウグイスがいた筈。
  ああいう田舎の風景の中でならウグイスは分かります。
 大学生時代で、初夏の頃に登山道(林の中)でウグイスの声を聞くのは珍しくありませんでした。
  しかし、現在住んでいる埋立地の集合住宅群の中で生ウグイスは初めて。
 近くに人口の海浜公園があって、人口の林もあるのでそういうところに住んでるか、漂鳥だった筈ですから移動の途中に留まっているのかもしれません。
 これまでにオナガのグループとかがこの中庭にやってきてはギャーという啼き声で大騒ぎをして行くことはありましたがホーホケキョは初めて。
 何だか得をしたような、なんとはなしに嬉しくなるような響きです。
  まさに「梅は咲いたか、桜はまだかいナ」といったところです。

 土曜日のサッカーでは贔屓チームはホームで一応の結果がありましたし、個人的にはネット碁で調子が良いし、短い瞬間ではありますがまさに春状態ですので、行きずりのウグイスに祝って貰った気分です。
 流石に9連続はなりませんでしたが、マアそろそろこんなものさみたいな気分で後を引くことは無さそうです。
 日曜日はサッカーの中継を2試合、それにネット碁を2局観戦。
  お風呂に入ってさっぱりしたところで「誰か良さそうなお相手はいませんか?」といったところです。

向う先・互い先になりそうな人

2010-03-14 05:27:04 | Weblog
 土曜日の朝・未明に目が醒めるとお馴染みの方がスタンバイ状態。
  つまりネット碁に接続して観戦をしたまま4,5時間は転寝をしてたことになります。
 こういうのは転寝というか、時間から見れば本格的に寝たのと変わりませんが、強いて名前を付ければ「ながら寝」とでも言いましょうか。
 我が家では女房殿のサッカー観戦・応援をからかいます。
  どういう事かと言いますと、贔屓チームの試合は必ずTV応援するし、結果如何にかかわらずスカパーの再放送を見る・・・のに、試合中ウタタネの名人なのです。
 ですから私は息子と二人で「この種のスポーツを見ながら眠れるのはきっと特殊能力に違いない」と言っているくらいです。
 しかし、からかうのは厳禁、「私は仕事と家事で疲れているのです」と開き直るに決まっているので、稼ぎの悪い亭主と脛カジリの息子は一気に旗色が悪くなる筈なので、これは触らぬ山の神。

 話は戻ります。
  こういう形で目が醒めた時は一種不思議な感覚だと思うのです。
 事実として眠っていたのですから、脳は睡眠パターンになっている筈ですが、感覚としては観戦中に数秒眠ったくらいの感じがある。
 つまり実際には何かを始めるには一旦起き上がって顔を洗ってからの方がよさそうなのに、感覚としては誰かに誘われればすぐにでも対局したいと言うような感じです。
 おそらく、これで対局したら思わぬところでチョンボをして形勢が一気に傾く事でしょう。
  ですから目が醒めたばかりの状態では、まずは「対局の誘惑」との戦いです。
 それともう一つ、睡眠5時間というのは仮眠では無いわけですが、逆に本格的睡眠というのにはやや短い感じです。
 ですからこのくらいの睡眠時間で翌日仕事には行く事は出来ますが、毎日は続けられないですね・・・毎日5時間はチョット辛い。
 尤も私の場合は週中で水曜日に休みが入りますから、この辺りはいい加減な生活態度が長続きしそうな感じで助かって?いる。

 さて、5時間の睡眠後もう一度寝直して、再度目が醒めた時(ネット碁には接続のまま)、いつものMさんが対局中でした。
 これがMさんの白番で3子の置き碁なのでびっくり。
  Mさんの置き碁は初めて見ました。
 なかなか白らしい感じで上手く打っているようでしたが、結果は黒が数目残しました。
  感想としては・・・3子の置き碁としては白も相当に頑張ったし、黒の人の勉強にもなったような気がします。
 但し、私は3子の置き碁を打つ勇気には乏しい。
  誤解があるといけないのですが、3子が嫌というわけではありません・・・コミュニティなどのリアル碁では4子でも5子でも黒氏が置いて打ちたい数の置き碁でお相手しています。
 でもネット碁では基本は結果によって点数が増減するのです。
  「なかよし棋院」というジャンルで打てば点数は変わりませんが、その他の「サンサン棋院」「早碁棋院」では自動的に結果が連動します。
 従って指導的な対局というより勝負優先ということになります。
  この意味で3子で勝負はちょっと遠慮しておきたい・・・「頑張っても終局までに追いつけない気分」「追いつくにはかなりインチキくさいトリックを仕掛けたくなる自分が嫌」
  私も嘗てはK畑先生に置き碁で鍛えられた事を考えれば随分我がままですが、あれは公的な点数では無く個人的な一番手直りなどで打って貰っていたのです。
 つまりこのネットで言えば「なかよし棋院」みたいな感じです。
  ネットで個人間の友好関係というのも難しい・・・「勝手に門下生・弟子」みたいな仕組みでもあれば良いですね(つまり「○○さんに打って欲しい」と言うリクエストと「良いですよ」が合致すると師弟関係というか、兄弟弟子関係が成立するような)。

 ともあれ勝負碁的な対局は2子からの気がしています。
  このくらいですと黒からの攻めも鋭いものがありますが、白からも常に一杯に打つ感じで黒に迫って行く事で追いついていけそうな感じがしている。
  たまたまこの時の対局待ちリストの人とは2子の手合い。
 ここまで7連勝したのだから、ここで仮に1局落としてもこれは2子の稽古台替わりという事で気持ちが整理出来るだろうと言う事で、こちらからも対局オファー。
 こういうゆっくり気分が結果に左右するのだろうか・・・幸いなな結果で8連勝してしまいました。
 中盤黒氏との競り合いで、黒氏にチョットした攻め合いで読み間違いか読み不足があり投了したのですが、仮にここから最善と思われる手で終局まで打つとすると・・・なんと白の1目半勝ち。
 もしかしてこの微妙な将来を感知しての投了なのか?
  それなら2子も恐るべしかも。
 イヤ、単に不本意な結果に闘志が湧かなくなったので投了なのか?
  それにしても投了のタイミングが良いので、今日の結果はともかく、もしかしたらこういう人は近い将来には2子では無くて向う先・互い先になって来るような予感がしました。
 

ホーム開幕

2010-03-13 01:55:09 | Weblog
 イヤー今週はサッカーの試合を何試合みただろうか。
  J1にJ2、それにACL、リーガエスパニョーラ・・・1月1日の天皇杯や高校選手権以来、多少飢えていた分、一気にこれでもかと言うほど観戦しました。
 これからワールドカップも含め長いシーズンが始まる初日ですから、ほどほどにして置く方が大人の態度だとは思いながら、実際にはそうはいかないのですから、ファンというものは実年令とは関係なく子供みたいなものですね。

 それにしても今年は・・・というか今年もいろいろありそうな予感がする幕開けでした。
  残念なことに選手のプレイのレベルの他に、今年もジャッジの問題に左右されそうな感じが・・・
 ルールの解釈、運用上の熟度、実際のレフェリング能力。
  こういうものが試合内容、結果に大いに左右するのですから重要な問題です。
 今年もオフサイド判定にラインズマンの判定に怪しげなものがいくつか・・・
  ピッチのサイドライン沿いを走行するカメラがあれば、判定について検証映像を見ることが出来ます。
 そうすることによって、その判定そのものは覆らないものの、判定に対する審判の質というか責任感というか、マアそういう感覚を向上することが出来る筈です。
 それと今年は競り合いに関してより厳しい判定を下すと言う事で、手を使った競り合いについて笛が吹かれる・・・その事自体はサッカーですから当然としても、見ている限りどうも判定そのものの基準というか運用の仕方が曖昧な感じがぬぐえない。
 これはレフェリーの試合に関与する割合がより高くなる可能性があるから、質の高いレフェリングが無いと嫌なことが多く起こる可能性が多いと予測できます。
 案の定わけのわからないPKが起こりました。
  PKの発端になったプレイノ判定についても、シュミレーション気味のところも曖昧だし、、、PKの場面についても後で協会から驚きの判定がコメントされたりしました。
 尤も、結果は覆らない・・・これが結果を訂正すると最大6億円の可能性があるトトが成立しなくなると言うのが実情だろうな。
 結果はともかく反スポーツマン的行為とかルールを理解していない判定を下した審判に対しては事後でも処分はすべきだとは思うのですが、どうもそういうところは曖昧に済ませそうです。
 そういうことが開幕初日に起こりまして、祝開幕だけど素直に喜べない初日でした。
  そして今日はホームでの開幕ですので。見る方も気持ちを新たに見なくては。

 それにしても囲碁の方は少なくとも判定に左右されると言うことが無いとは言わないまでも、殆ど無いくらいに少ないのが嬉しいですね。
 プロの世界では歴史に残るようなルール上の解釈問題はあるにしても、アマの方はそういうことは起こる事は少ない。
 少なくとも私レベルでは第三者に判定を仰ぐような事は起きた事はありませんし、仮に起きたとしてもそこでストップさせておいて、先達の判定を乞うということが出来ます。
 少なくとも判定で不本意な結果は起きた事はありません。
  碁会所レベルでは時折起こると可能性があるのは隅の生きの問題でしょうか。
 隅の曲り4目・・・日本ルールでは無条件死ということですが、これを実戦に即して運用すると言う事で解決は出来る。
 外ダメの具合とかコウ材とかの問題を見ながら実際に取りに行けば・あるいは生きに行けばよいだけのことです。
 マア厳密にいうと問題は発生する可能性は無い事も無いらしい。
  そのために碁会所にも日本棋院囲碁規約なるルールブックは置いてありましたが、さて実際に規約を読みながら判定で決着させたと言うようなことは起きませんでしたし、見たこともありません。
 40年以上打っていてそれですから、あり難いです。
  これが、個人対個人のゲームで判定に左右されていたらもっとファンが少なくなってしまいますね。
 不本意な結果はあったとしても、囲碁の敗戦の最も大きな原因は自分が未熟である事とはっきりしているので、むしろサバサバと受け入れる事が出来ます。
 これが他人が関与する事が主原因ではたまりません。

 さて本日ホーム開幕。
  我が家族の平安の為にも良い結果が望まれます。
 不本意な事が起きると来週の半ばまでは暗い家庭になる事ははっきりしています。

7連勝万歳

2010-03-12 00:04:16 | Weblog
 一時より10も負け越したからこそ7つ勝ち越しただけであって、本当は全く万歳とは言えないのですが、ネット碁でもあり誰も祝ってくれるはずも無いので、自分で自分を褒めるしかない。
 マア、IDネームで打っているところと違うので、そういうところよりは個人の調子は周囲が気がつきやすいかも知れませんが、それも程度問題と言いますか、それほど他人の成績など気にはしていない筈ですから、調子が成績に左右する事大ですから、自分で自分の背中を押すしかないでしょう。
 というのも、一気に7つ勝ててしまったと言うことは、ここらでちょっと一休みになる可能性が大きいから、「そろそろ負け頃」なのか「7つ続けば8つだってある」と信じてしまうか、、、二つに一つのサイコロというよりコインの裏表みたいなものです。
 囲碁ですから序盤中盤といろいろあるにしても、結果だけを考えるとそんなものでしょう・・・ザルですし。

 ところで今日のお相手は
  夕方ネットに接続するとNさんが待機中でした。
 この方はここ2,3年は対局は少ないのですが、一時は結構打っていた記憶があります。
  そしてその後は私の対局を観戦している事もありました。
 私程度の碁・・・癖のありそうな、地に拘るような碁を観戦する人は少ないので良く覚えています。 
 但し、参考になったかどうかは甚だ怪しいから、もう少し筋の良い人の碁を見た方が良かったかも知れません。
 想像するに、Nさんは私と打っていて地が足りなくなるような感想を持ったのかもしれません・・・そういう事で地を稼ぐ、あるいは相手に地をやらないような事を見ようとしたのかもしれません。
 いずれにしても余り参考にはならなかったでしょうが。
  今日はNさんの先で黒から半目コミ出しですから、だいたい以前と同じこんなところでしょうか。
 但し、Nさんは私の手の内を十分知っているわけだし、何局か観戦しているので油断が出来ません。
 そう、私の年代は平らな廊下でも躓くのですから、どんな時でも細心の注意が無くては危なくて歩けないのです・・・囲碁も同じで。

 さて今日は黒2連星に白2連星で始まりました。
  ここで黒は白の2連星にかかるのか、大場を占めるのかの選択権がある。
 Nさんどうするのかなと見ていると黒3連星に構えて来ました。
  ここで私はチョット詐欺師的な気分で・・・「黒に大きな模様を構えさせて、大きな地が出来そうな気持ちにさせる」「但し、後から多少はヨセが利くようにしておいて、2,3割バーゲン予定」「そして相手より少しだけ多く地を作る」
 NHK囲碁講座のゾーンプレスに近い気分で「相手にも稼いで貰うけれど、それより少しだけ多く分け前を貰う・・・」
 マア、作戦というより気分の問題でしょうか。
  そういうのはNさんも先刻承知なのでなかなか思うようにはさせてもらえませんので、かなり拮抗して終盤に入るところで、Nさんにミスショット。
 一隅で精一杯頑張った形にしたため反って味悪で手が生じ、結果セキになってしまいました。
 おそらくNさんは私の性格を知っていたから反って頑張り過ぎたのかもしれません。
  実は私はこの時点でまだまだ細かいと感じていたのです。
 でもNさんは闘志がしぼんでしまったのかここで投了。
  でも、細かかったのです。
 セキと言っても白の後手セキなので見た目程は大したことは無くて、仮にこの後を普通に寄せたとして白1目半程度。
 マアNさんとしては良い碁を一転させてしまったショックはあったのかもしれません。
  それでは余り頑張らずに、隅で生き優先で打った場合、いかにもファイトの感じられない対応ですが、実はそれだと盤面黒3目程度残りそうですから、コミ半目差し引いても黒に残っていたらしい。

 という事で結果7連勝でも内容は寒い。
  ただ勢いだけの感じですから、そろそろ堅い壁に跳ね返される頃です。
 そういう時に「起こり得る事が起きただけ」「再度チャレンジ」という気持ちを用意しておいてから幻の8連勝を目指します・・・運が頼りですが。

薬の執行猶予延長

2010-03-11 03:13:48 | Weblog
 水曜日は生活習慣病の定期検査の日。
  去年の暮れから年明けに血糖値が上がっていました・・・おそらくこれは季節的?と言いますか、忘年会・新年会シーズンと言いますか、家でも食習慣のタガが外れると言いますか、そういう事であろうと言う事で、対策として薬を新たに増やすのではなくて、自分の努力により経過を見ると言う事になっていました。
 従って今回の検査如何では対処方法が変わる・・・
  マア、このひと月それなりに努力はしましたので、今回数値に現れるとしんじていた・・・それなのに。
 ひと月前と数値が同じ!・・・そんな馬鹿な。
 
 原因は2,3週刊前の風邪が関係があるのかも知れないのだそうです。
  かなりたちの悪い風邪で、発熱は大したことは無かったのですが、咳が酷くて困りまして、ほんの数日前までは咳が残っていました。
 風邪対策は他のクリニックの診察で総合感冒薬+咳止め薬4日分でしたが、これを薬手帳で示すと、「ああ、この薬ですね、これは弱い薬ですから余り効かなかったでしょう」・・・だって。
 かなり長く風邪ひき状態だったのが、風邪が強力というより薬が弱かった・・・それでいつまでも風邪ひき状態だったということになる。
 何だかショックです・・・無駄な辛抱・努力をしていたみたいです。
  ともあれ今回の血糖値についての医師の判断では
 「あなたのような体質の人は風邪などをひくと、それは体に対するダメージなので、体は自然にいろんなホルモンが作用して血糖値を上げるのです。」という事で今回の血糖値が改善されなかった事については風邪の関与がかなりあるかもしれないと言うことになり、もうひと月経過観察。
 但し「インシュリンを自分の体でつくれないなら薬として使う方が体には良いのですが・・・マア手間がかかるので・・・」ともかく執行猶予の再判決。

 結局、自分の体で血糖値がコントロールできないと言うことは、通常の薬+食習慣でコントロールするのですが、「それにも限界があるのですよ」ということらしい・・・まあ別の方法では対抗手段があると言う事なのですが、なんだか「強力な薬に頼るしかない」という見通しに聞こえまして、不安というより自分の体ながら寂しい気分です。

 話としては暗い気分ですが、本当はそれほど落ち込んではいません、なんと言っても私「懲りない人間」一族を自任しております。
 クリニックの帰りには駅ターミナルの本屋で囲碁関係の本を立ち読み。
  (月中のこの季節は月刊誌はまだ出ていない)
 私の希望するような種類の本は出ていない事は分かりました。
  マア希望としてはかなり偏ったものですから本になる筈も無いか・・・
 希望する本とは(雑誌でも良いですが)。
  例えばプロ棋士の打ち碁の棋譜集で、アマでも理解しやすいような碁を打つ人の棋譜。
 こういう棋譜を使って「どんどん並べてみよう」みたいなことが出来るもの・・・今週はこれを繰り返し並べると言うような感じで使える。
 本では例えば「中盤この一手集」みたいなそこだけを取り出した企画の本が多いのですが、「そこで考えなさい」というのも重要ではありますが、アマとしては「そこが考えるタイミング」という場面を自覚することからして難しい。
 ですから「プロの碁はこのように流れる」という事を棋譜全部を通して接するのも自分対策になりそうな気がします。
 元々私は何も知らないのに新聞で棋譜を眺めていて囲碁を知らず知らずのうちに憶えたのですから、「ともかく並べる」というのも何かの効果がありそうな気がしています。
 
 それで、「無いのなら自分で作るしかない」とは思うのですが・・・そもそも「アマでも理解しやすいプロの打ち碁」だとか「アマ向けの素直な感じのプロ」というのが無理難題の内かも知れませんね。
 そういうことではプロの世界ではやっていないかも知れません
  「海千山千」の世界で戦っているのに、アマでも理解しやすいなんて言うプロは存在しにくいでしょうから、そういうプロをお探す事自体無理難題かも知れません。
 マア、そこのところは無いものねだりなのかもしれませんがイメージとしては「高川先生」「杉内先生」でしょうか・・・しかし実際には当時のトップグループのプロですから、わかりやすそうに見えて実は難しいかも知れません。
 ともかく総譜をパソコンに入れて50手毎分譜を作って置く・・・そして後はひたすら並べるだけ・・・さて考えているような何か効果はある物かどうか、単なる徒労の部類なのか。
  

気がつけば5連勝、だが

2010-03-10 05:14:11 | Weblog
 今日は市内の事務所回り・・・寒い1日でしたが訪問先に駐車スぺースがあることが分かっていたので、いつものような公共交通機関でなく事務所の車で回れたので助かりました。
 それでも事務所に帰って来たのが、通常の退社時刻ギリギリ・・・なのに、留守中に訪問客があり提出書類を置き土産に残してありました・・・3人も。
 いつもなら、「その処理はまた明日」にするのですが、明日が水曜日で個人的に定休日なので、やはり片付けて置かないといけない気分で処理を済ませてから帰りました。
 確かに気分はスッキリですが、その分帰りが遅くなるので一長一短といったところ。
  尤も、本日は雨又は雪になる事を見込んでいつものように自転車では無く車で出勤していたので、実際に家に着いたのは割合早かった。

 それで夕方はネットで対局。
  これは向う先で白から4目半コミ出し・・・(白からコミを出すのは心理的負担はある)。
 反省点の多い碁を打ってしまいました。
  大石どおしの攻め合いで・・・先に白が黒の大石を葬った・・・これは黒が大場先行を優先して手を抜いた結果ですが、その揺り返しとして白も一隅の星に先行していた白が黒の両カカリから攻められておアイコ的結果になりました。
 マア、派手な流れではあるけれど、白はそれほど得はしていないし、むしろ大局的には黒の方が面白いかもしれない局勢かもしれません。
 白からもう一つの黒に大石の根拠を揺さぶる形で動きを強制して、初めにほぼ死んだフリの白石を復活させることが出来たので勝敗が決しましたが・・・これが何だかインチキくさいような。
 作戦が嵌ったともいえるし、手品のネタは初めから自分では分かっていたわけですから騙したような気分が残る勝ち方で100%嬉しいとは言い難い。
 そういうのは贅沢なんでしょうか?
  勝敗にはいろんな決し方があるので、こういうのもあると言うことだろうか?

 こういう碁になった原因を考えるに・・・
  やはり白番の時に黒が小目を打った時に発生しやすい事を感じました。
 今日の場合は黒1は星だが黒3は小目(中国流では無い小目の向き)。
  私はここで2連星を選択するのに躊躇があるのです・・・すると黒5は小目の黒を小ケイマで締まるとして・・・これが嫌い。
 実際に黒がどれ程の実利と周囲への影響力があるのかは把握しきれませんが、締まられた形が嫌いなので、締まりを拒否する形を選択します。
 これが一隅開けてかかって行く形になるわけでやや変則と言うことでしょうか。
 変則かもしれないけれど小目を締まられるのが嫌いなのでいつもそういう流れになるので、急戦と言うか破調と言うかリズム感が悪い音楽と言うか・・・。
 どうも相手に堂々と構えさせて置いて、こちらも正面から戦うと言うのが苦手なのでこうなるようです。
 きっとこの正面からの対峙に自信が持てるようなら多少は進歩したと言えるのかも知れませんが。
 
 ともあれ今日は幸いにも勝ててしまいました・・・結果では文句は言えないのです。
  相手が投了した時点では、そのまま寄せて行くと20目程の差はあると思えますから投了はやむなしだったでしょうが、私としては「運が良かった」と言う事でしょう。
  これで5連勝・・・5日かかりで。
 前に10敗くらい負け越しての5連勝ですから喜びも中くらいといったところですね。
  でも、負ける時はいくつでも続けて負けるのに、勝つ時は1局ごとに勝負の結果みたいなところがあるので、幾ら10敗の後と言っても1つ1つが必死の勝負の結果です。
 それも運良く・勢いで勝っているだけみたいなところがあるし・・・あと5つ勝たないともとに戻らないし。
 

「取り碁」の拘り

2010-03-09 00:23:39 | Weblog
 昨日の続きの「取り碁」・・・私の背中で呟いた人へ恨みは無いと言いつつも、その言葉自体には拘りがあります・・・30年以上ですから私は相当しつこいのかもしれません。
 イヤ、そう言われたもとになるその対局が、K畑先生に普段3子置いていたのに、白番で途中までとは言え善戦した記念の碁と言うこともあり、忘れられない対局でもあるからですね。
 良い事も嫌なこともこの碁には詰まっているわけです。
  背中で呟いた彼は普段K畑先生に先で打っている人ですから、その局面からはそれほど無理をする必要が無い・あるいは危ない橋を渡る必要は無いという見方だったのでしょう。
 そういう判断からすれば、無益な「取り碁」と言う方針だと呆れたと言うことでしょう。
  つまり方針の「取り碁」を否定したと言う事で、私の性格を「取り碁」だと嗤ったわけではない・・・と思いたい。
  勝ち碁を勝ちきることが出来るのはそれなりの棋力が必要なんですね・・・
 マア真意の程はその後囲碁でのつき合いはあるものの質問した事は無いから分かりません。
  ただ、当時彼とは私が2子の手合いだったのが今では先・互・先くらいにはなっている筈なので、少なくとも上から目線は無くなっています。
 
 そうこの碁は大きなターニングポイントだったでしょう。
  この企画の次のシリーズで、私はK畑先生に2子になっていましたが、互い先の白で番狂わせを起こしました。
 その碁は、中盤で大きな石の絡み合いで、全く別の石の利き筋などを考えて考えて・・・45分の内30分近く考えてある手筋を決行した碁でした。
 失敗すれば「取り碁」のレッテルを甘んじて受ける手段。
  しかし、大きな図柄の、しかもかなり先を見通した手・・・会心の一着と言うか、瓢箪から駒みたいなものか・・・。
 ともあれ、前回の「取り碁」的失敗・非難がここの結びついたようです。

 要するに読み切れれば取りに行く手段であっても「取り碁」では無い・・・単に正確な読みに過ぎない。
 それが取れる確信が無いのに取りに行く時・・・これが問題。
  多分大丈夫的に、概ね60%でも決行すれば、それはやはり「取り碁」なんでしょう。
 イヤ、読み切れた手しか打たないような傾向がある人なら80%でも決行しないでしょうね。
  それと成功率の問題である以上は「取り碁好き」な性格なんでしょうね。
 結果論だけで見るわけではなく。
  アマ・ザルの世界では決行したのが結果的に成功する場合もあれば、決行しないのが失敗の場合もある。
 たしかに、ザルとしては無理をして失敗する事の方が多いのですが、チャンスを逃す失敗もあるのだから困ったものです。

 ともあれ、「読み切り」かどうかがカギ。
  読み切れない部分・・・これをハッタリ、出たとこ勝負の厚かましさで乗り切る?
   ウーム「取り碁」的な性格は否定は出来ない。

 ところで私はプロの先生にもたくさん打って戴きましたが、このK畑先生に5子から先まで胸を借りて鍛えられたと言うことです・感謝
 

30年以上も前の呟きが蘇る

2010-03-08 00:59:09 | Weblog
 私は余り細かなことに拘らないところと、実は人には見えないところで非常に気にするところがある。(マア、みなさんそんなものでしょうが)
 囲碁に関していうと、30年以上の記憶が蘇る事があります・・・耳の奥で囁く事がある・・・繰り返し・・・(この”繰り返し”部分が病的なのか、あるいは人間的な”学習能力”なのかは分かりませんが)

 その記憶はこういう場面での出来事。
  当時通っていた碁会所では通常の月例リーグは点数制度によるハンデ戦でしたが、それと別に希望者によるオール互い先リーグが企画されました。
 ともかくこれに参加すると当時はK畑師匠に3子置いていたのが白番、黒番で2局打てるし、普段2子置いている先輩たちにも同様に平手で挑戦できる企画。
 勿論多少は逆の立場からの挑戦も受けますが・・・
 ともあれこういう企画では師範格の人たちに3子くらいの手合いくらいまでが「参加してみようかな」「教えて頂けるものなら是非」と言う範囲のようです。
  その碁会所では通常の碁会所であるような上手が置かせ碁を嫌がるような事は置きませんが、でも下手が「練習で互い先で打って欲しい」とは言いにくいものです。
 実際にはそういう番狂わせがあるのかどうかは打ってみてのお楽しみみたいな企画ですから、どちらかと言えば上手の方が心理的には負担があるかも・・・
  そうですね2子のハンデで打っている人なら、何回かに1回は間違って先で善戦出来る筈ですから、上手としたら面子がかかっているかも知れません。

 それで、こういう企画が2カ月で終了するようなペースで行われまして、その中の1局。
  私が白番でK畑先生が先番(普段ならあり得ない手合いですが、企画上堂々対局できると言うわけです)。
 それが、何のはずみか、私が変なものを食べてきたか、先生が体調が悪かったか中盤に差し掛かっても白番が絶好調。
 当初この対局に野次馬が2,3人いましたが・・・それがだんだん増えて行きます。
  通りがかりに人がチョット覗いて、対局している両者を見て、碁盤を見て「やはり白優勢、黒も善戦しているけれど・・・」と言う感想ですが、対局者の手元の碁笥を見てびっくり・・・「なんだ!K畑さんが黒番?」。
 と言う事で野次馬に取り囲まれてしまいました。
  当時くらいの棋力では、この野次馬の数と言うのもプレッシャーですし、それがどうやら先生相手に善戦を通り越して優勢なためとだと感じると急に何やら恐ろしい事が起きているような焦りを感じるもののようです。

 局面は中盤の一つの曲がり角。
 現在の優勢を保つ為に、相手の黒にどういう風にプレッシャーをかけるかが問題です。
  大まかに言えば2つの選択。
 一つは黒を安心させない・不安定な形を残しながら形勢を保ちながら打ち進める事で優勢を保持する。
 これは、多分囲碁の王道に近いのだと思う・・・但し”保つ”を続けるところが本来下手としては難しいし、最も自身が無い部分なのです。
 従って分かりやすい方向に考えがながれる・・・つまり「取ってしまえば負けない」=「勝利確定の最短距離」。
 取ることが難しいのは分かっていても、取れた時の結果は魅力的。
 確かに石を取らされて勝てない事もあるけれど、取れれば勝てる事も多いし・・・
  目の前、盤上を見ると先生の黒石の一団が危うい形で横たわっている!・・・
 この時に持ち時間45分の中でも一番の長考をした筈です。
  結局考えた中身は「この取れそうな黒石を取りに行くかどうか?」、「この状態で優勢を保つ具体的な手段が見えてこない・・・」、「取りに行って取れなかった場合どうなるのか・・・分からない」。
 要するに長考と言っても考えて何かを探っていると言うよりどの方策を取るのが良いか迷っていただけではある。
 そして野次馬もこの番狂わせ的な白がどういう決断をするのか眺めていたわけで、それを下を向いたまま感じながらの考慮時間・・・。
 そして時計にせかされる面もあり、本人としては決断の一着・・・その瞬間背中で、、、
 「なんだ、取り碁か」の呟き。
 今でも憶えていますが、小さな越えですが背中越しに心臓に突き刺さる思いでした。
  打った瞬間に否定された。
 おそらく客観的に見てその人が言うことが正しかったでしょう。
  局面は確かに取りに行った白は、黒にクロスカウンターを浴びる形に・・・しかもそれが黒としての局面打開の道で、白の攻勢が黒に協力的な効果をもたらした。

 ともあれ「取り碁」と言う言葉は心の中に氷の刃を刺したまま残っています。
  マア恨んでいるとか怒りを感じたと言うことはありません・・・その時も今も。
   ただ、マナー問題は別として鋭い指摘が突き刺さったと言う感想です。
 でも、そういうことがあったせいか、今でも同様な岐路に立った時その時の事を思い出すのですから、これは私にとってはお守りみたいなものかも知れません。
   「取り碁」=碁の品性が低いみたいな印象は哀しかったですが・・・出来たら局後に「あの局面と方針はみすマッチだったゾ!」だったら嬉しかったと思いますが、その程度では身に沁みる記憶にはならなかったかもしれませんね。
  但し、取り碁を止めたわけではありません=これはもしかしたら私の隠れた本性かも。
 人に言われたら「清水の生まれです」と言うことにしている・・・(生れ在所は遠州森と言った方が良いかも・・・)
 「取れるものは取ってしまえ!」「それで勝ちならなんで躊躇する」・・・こうでなくてはザルキチは務まりませんよね。

 ところで今日Mネット碁での観戦(ほぼ私と点数が同じくらいの人達)。
  丁度中盤戦の戦いの場面から観戦しましたが、黒が白の大石を追い、もしこの白石が無事生還すると、追っていた黒石に心配な部分が出て来る・・・白を取りきってしまえば問題は発生しない。
 この戦いの最中で白から打たれた手段を黒がどう受けるかの場面・・・要するにあくまで取りに行く(自分も危険はある)か、白の数目だけをちぎって本体は逃がすかの分かれ道。
 黒は後者を選択・・・これで大碁の小碁でかなり細かな寄せ合いの碁に。
  結局は終局し数えて黒4目半勝ち。
 結果的には取りに行かなかった方針で正しかった!?。
  でも私は終局後その碁盤を拝借して問題の場面から、取りに行ったとしてのシュミレーション。
 多分黒さん取りに行く時に気がつかない手があったのだと思う(その手で再現)。
  シュミレーションの結果は黒の攻め合い勝ち。
  さて、結果はどちらも黒の勝ち。
 最短距離と言うか最強手段を取るべきか、もっとも安全な方法を取るべきかの分かれ道だった事が分かりました。
 結果4目半と言うのは中盤の局面では想定できるかどうか・・・難しい。
  しかし囲碁の品性みたいなイメージで「取り碁」は品格で劣るようなイメージもある。
 観戦しながら「なんだ取り碁か?」と言う言葉が蘇っていました。
  いまでもこその頃の気分が時々眼を醒まします。
 

100局目の人

2010-03-07 04:13:35 | Weblog
 土曜日で2010年Jリーグ開幕。
  チームはアウェイでの今シーズン緒戦・・・調子は上々の筈なんですが、自分の方の出来で結果が出るわけではありませんから、どんなに調子が良くても不安が試合前に不安が一切無しと言うことはあり得ないと思います。
 団体競技ですから仮に一人ひとりの能力みたいなものが数値化出来たとしても、そのトータルの比較で結果が出るわけでは無い。
 その日の調子もあれば運もある。
  それになんと言っても指揮官の作戦が見事にはまることだってあるしアクシデントだってあるから、始まってみないと分からない事が多い・・・その分ジャイアントキリングの可能性もあるので楽しいとも言えますが。
 ともかく居間のTVの前でスカパーで13:00からの開幕試合を見ながらパソコンもセット。
 ブログとネット碁とJ’sゴールの速報サイトと実況中継の掛け持ち。
  ”どんだけ掛け持ちするんジャ!”と言う感じですが全部やりたいのですから仕方が無い。
 
 まずは試合が始まる前にネット碁。
  お相手は・・・「対局希望者リスト」には初めて見る名前。
 手合いは私の先でコミ数目出しになる筈ですが、「見知らぬ人声を掛けられても、ついていってはいけません」みたいな感じで、直ぐには飛びつく気にはなりません。
 初めての人の場合何故か(余り意味が無いのですが)何処に住んでいる人なのか、そして戦績が気になります。
 現在の点数は当然表示されていますから戦績を見ると勝ち負け数で初期の登録点数とか、現在までの変化が分かる・・・それで少し安心します。
 彼は登録後ほぼ100局目。
  韓ドラでは付き合い初めて100日目記念と言うのがありますが、マア囲碁の場合は関係ないか・・・ともかく、そろそろ点数が落ち着くころ。
 彼の場合はトータルでは7,8局負け越し、、、ということは、だいたい現在の点数で実力を過小表示と言うことは無さそうと言うことにします。
 (入会して対局数が少ない人の場合は実力と点数が離れている事もありそう・・・)
 ともあれ、囲碁の中身ではなくこういうことに慎重・・・要するに気が小さいのでしょうね。
 なんと言われようと、安心して対局して実力差を見せつけられてバッサリ切られるのは嫌ですから慎重になってしまいます。

 結果は・・・彼は実力はありそうですが、対局数が少ないと言うか、私みたいな筋悪の扱い方に慣れていないと言うか。
 彼は、少し私にてこずったようで、私が幸運でした。
  この幸運がJの試合に反映できれば良いのだけれど、全く関連のない希望ですね。

 ところでJリーグの方は・・・
  ドロー発信で、来週ホームで仕切り直しの気分です。
 マアそれでも負けないだけ良かったし、殆ど負けていたのに引き分けたのだから文句を言ったら罰が当たる。
 しかし、初めの3分でアクシデント的にビハインドを背負って、残り87分+アルファーの時間もがいていたような疲れが残る観戦でしたので、疲れがどっと出てしまう開幕日。
 それでも日曜日も観戦。
  今年からはJ1J2両方見ることが出来るので、毎週末18試合!!、おまけに水曜日にもあるかもしれません。
 これは結構重労働ですね。

開幕前夜

2010-03-06 02:54:05 | Weblog
 今夜はまさに開幕前夜、土曜日から長いシーズンが始まります。
  長いと言っても終って見れば短いと感じるかもしれませんが、ともかくそれは贔屓チームの成績次第でもある。
 家は3人家族全員で同じチームのファンですから、応援で家族間のトラブルはありません。
  しかし、快勝の場合と不甲斐ない結果の日では家庭の雰囲気が全く違うのです。
 マア大人ですから尖った感じにはなりませんが、落ち込みますから家族の会話が殆どなくなります・・・これが水曜日辺りまで続いて、木曜日ごろから家族が顔を合わせた時に「今度の土曜日は何時に試合が始まる?」と言うような会話から、そろそろと日常のペースに戻って行く。
 そういう気持ちが浮き沈みする1年が始まります。

さて深夜0時を過ぎてからスカパーでプレシーズンマッチの再放送を見てしまいました・・・ですから既にカレンダーで試合は前夜ではなくなっています。
 応援する方も1年健康でなくてはいけないので、まずは睡眠ですね・・・明日はどういう試合がみられるか楽しみ半分不安半分、ドキドキハラハラ。

 今年は6月にワールドカップがありますが、そちらの方は余り影響は無い。
  と言うか、初めから監督など期待していませんから、ほぼ傍観者気分。
 それは日本チームが活躍すれば嬉しいのですが、幾ら目標とは言え「ベスト4を目指す」という事では初めから白けてしまっています。
 建て前と本音みたいな使い分けは私には無理です・・・現実とかけ離れた目標には怒りに近い感情を覚えます。
 予選リーグ突破が目標でもやや微妙で、「予選リーグ1勝」くらいなら納得して応援したい。
  日本チームの応援はしますが、期待はしていないと言うことですね・・・それに監督は・・・

 ともあれJリーグの贔屓チームの応援の方が力が入ります。
  今年はスカパーでJ1J2全試合観戦可能!・・・これは長いシーズンになる。
 まずJ1に贔屓チームの試合、同じ県のチームの試合、それに興味がある選手の出場試合、そして全試合のハイライト番組、そしてWOWWOWでリーガ江スパニョーラ。
 こんなことでは囲碁を打っている暇がある??
  ご心配無用なのです。
 どんなに忙しくてもネット碁は欠かせません。
  多分いつもと変わらないペースで打つ筈です。
 但し応援するチームが快勝した夜とそうでないときは、打つ時の気分が違うから、もしかしたら打ち方が変わっているかもしれない・・・
 気持ちよく打つ時は、おおらかな感じでノビノビ打つかもしれませんが、チームが不本意な負けを喫した時は、どこか気持ちが蒼い炎であぶられているような気分で打つかもしれません。
 私自身は意識しなくても、相手にとっては印象が違うかも知れません・・・これは本人では分からないことですね。

 開幕前夜見たいな条件で、意識することはあります。
  私は大会直前などで、自分の体が「直前モード」になる事を自覚するのです。
 例えば大会が始まる直前に、相手の人と碁盤を挟んで開始を待つ時・・・ローカルな小さな大会でも、棋院主催の県予選兼地方大会みたいな対局(私はその他大勢の参加です)でも同じ。
 プロの先生に指導碁を受けるのに、初めにきちんと座って挨拶をするような場面でも。
  膝が少し震える・・・神経痛とかではありませんゾ。
  それに多少貧血めいた感じで、血の気が引いて行くような・少し体温が下がると言うか、寒気を感じると言うか・・・要するに緊張が頂点に達しているのかもしれません。
 自分ではアガリ症とも思っていませんし、緊張してパニックになるわけでもありませんが、自分では『直前の儀式」だと思うようにしています。
 見方を変えて、初めに緊張して次に緊張を緩める・・・適度の緊張は必要でしょうが過度の緊張は弊害がある筈。
 そんなにうまくコントロールするのは難しいでしょうから、「緊張と緩めることが適当に出来たら良い」と思うようにしています。

 さて開幕前夜、サポーターは勿論ですが、選手はもっと緊張しているでしょうね?
  そこは選手でなくては分からない世界でしょう。

初めての他流試合?

2010-03-05 06:02:16 | Weblog
 先日学生時代にお世話になったK助教授の事を書きました。
  そしてK先生の同僚の先生にも囲碁を打って戴いたことも。
 私も年のせいか、昔の事を懐かしく思い出すような・・・最近の事よりも記憶がはっきりしていると言うほどでもありませんが、マア最近は同じような事の繰り返しが多いので、新鮮味と言うか心に衝撃見たいなものが少ないようです。
 それに比べたら人生で20年余りの頃は初めてのことが多いし、いろんな事が予測の範囲に入らない事が多いので、新鮮な気持ちで接し多分記憶に強く残って行くようです。

 囲碁を憶えて初めて対局したのは中学1年の時に、同級生が私の家に遊びに来てくれた時でした。
  まだ市境の川の近くの社宅に住んでいた頃・・・工場は別の市に新しい敷地を取得し統合されて移転した後で、工場が倉庫代わりに残り社宅も残っていた頃で、がらんとした工場の敷地の日当たりのよい場所で、家から持ってきた折りたたみ碁盤で対局した記憶が残っています。
 日当たりが良くて暖かだった事・・・だから冬だったのでしょうね。
  木工場部分で大きな屋根の下で、木くずが足元に散らばっていて、丸太に腰かけて対局した記憶があります・・・それらの情景は特に意味がある事ではないけれど、情景として頭の中にセットされている感じです。

 友達と五目並べでもやろうと誘ったら、何故か彼から「囲碁」にしようと誘われたもの。
  彼は祖父と同居していて、相手が出来るように祖父に教えられたのだとか。
 私は誘われて「じゃ、打とう」と応じたのですから相当ズーズーしかったですね・・・一度も打った事が無いし、新聞の棋譜を毎日見ていると言うだけの話です。
 ペーパードライバーがいきなり運転をしたようなものです。
  毎日助手席で運転を見ていたら、自分も運転が出来ると思い込む・・・「やれば出来る」と何の疑いも持たない・・・そういう性格だったのですね。
 この勘違いの第一歩から50年は経っている今日まで囲碁は続いているのですから、最初の勘違いと第一歩を踏み出すと言うことは恐ろしいものです。
 さてそれが生涯の第一局でありまぐれでの初めての勝利でした。
 
 もっとも第二局は大学に入ってからクラブの後輩と打つまで間が開く。
  8年後くらいが第二局。
 そこからは後輩たち・・・植物のクラブなのに囲碁を打つ変な先輩と言うより、ヘボ初心者の中のお山の大将。
 この時代にK助教授と先生の同僚の教授に打って戴いたりしました。
  この頃の棋力・・・想像ですが、当時の自分の考えでも初段は無かった筈で、恐らく甘くて2級か、概ね3級くらいだったと想像しています。
 マア、大したことは無いのですが・・・しかし、一人で憶えて勝手に打っていただけでもあるので、雑誌も囲碁クラブくらいだけの割には上達したのかも知れません。
 
 当時自分でも井の中の蛙的な囲碁ファンである事は分かっていましたが、さりとて大学の囲碁部に行って教わるような機会もありませんでした。
 但し自分がはたしてどのくらいで打てるのかが知りたいとも思うわけです・・・
  そんなころに友人の知り合いで囲碁好きな学生を紹介して貰いました。
 彼は学生寮住まいで、囲碁部には入っていないけれど相当な囲碁ファン。
  ですから彼も日頃の対局相手を探していた。
 囲碁ファンの出会いって面白いものですね。
  同じような囲碁ファンに出会うことは嬉しい・・・但し自分が相手と互角以上に戦えるかどうか不安を憶えるものです・・・要するに不安と喜びが同居するようです。
 彼との対局は学生寮の彼の部屋でした。
  3.4局打って確か打ち分けで、お互いにほっとした気分でお互いの顔を見た思い出があります。
 「お互いどのくらいかな?」
 「そうね、2級くらいかな?」
 「うん、そんなところかな」
 「きっとそうだと思うよ」
 そんな会話を交わしました。
  それは私にとって初めての他流試合で、勝てなかったけれど負けもしなかった・・・ソコソコ打てた安心感・・・そういう気分を憶えています。
 その彼の名前も思い出せないけれど、そういう気分は憶えているものです。

恐る恐る歯の治療

2010-03-04 00:12:57 | Weblog
 虫歯の治療で痛いのが好きなわけではないけれど、これが怖いわけではありません。
  細かに説明すると、怖くは無いけれど昔に比べたらイヤだなと思う気持ちは強くなりました。
 虫歯の治療とか歯列矯正などで小学校時代から歯科医院には縁が深いし、高校時代でも続けて通っていたし・・・歯科医院が高校のすぐ側にあって、予約時間によっては1,2時限早退などを認めて貰っていたり(半分ズルもあるけれど)。
 ともかく当時は抜歯以外では麻酔注射などしなかったと思うのだけれど、最近はちょっとした治療の前に注射を打つことが多い。
 確かに麻酔をしてあれば少々痛みが伴う治療もスムースに行えるかもしれませんが、私にとっては『チョット待ってくれ』と言う気分です。
 治療の時の痛みは困りものですが、この麻酔注射の時の針の痛みが大嫌いなのです。
 本末転倒なのかどうか「スムースに治療を行うために注射針の嫌な痛みを我慢すべきか?」あるいは「治療の時の痛みは虫歯所有者として甘んじて受けるべきか?」選択権は患者にある筈なんですが、これまでに歯科医からこの件を訊かれた事が無いのが不思議です。
 マア医者としては「スムースな治療第一」なんでしょうね。

 さて本日の治療では痛みが伴う事は無い筈なんですが・・・
  それでも治療椅子に座るのは、形は似ていても床屋さんの椅子と言うわけにはいきません。
 それに今日は恐れるわけが二つあるのです。
  一つは風邪の回復具合・・・実は先週の水曜日の治療予定が風邪のために1週間延期して今日になっているのです。
 先生やアシスタントの人に風邪をうつしてはいけないと言う心配はありますが、最大の心配は咳き込みが酷いので治療にならないからでした。
 問題は今日のコンディション。
  一時に比べたたら咳はかなり軽減しましたが、0では無いのが心配。
 一番の心配は「歯を削るドリルで治療中に突然咳き込んで、先生が私の口からドリルを抜くのが間に合わずに咳き込み、口の中が一瞬で血だらけ・・・」何とも負のイメージ。
 現実にはタブン、ドリルは電気で動いている筈ですから一瞬で停止する筈だけれど・・・もしも止まらなかったりあるいは、関係のない所に押しつけたら・・・。
 
 こういう嫌なイメージを思い浮かべていたのですが先生は「どうですか?」と歯の具合しか訊きません。
 ここに来ていると言うことは風邪の方は問題なしと言う前提だと思い込んでいる様子。
  マア現実にはドリルを使う場面が無くて良かった!。
 但し何やら尖った器具で歯と歯茎の間を掃除してくれていたようなのでその時間帯はチョット心配しました。
 ともかく治療中は少し我慢が必要でしたが咳が出なくて助かりました。

 二つ目は・・・肩の激痛!
  歯科治療台で水平に近くなると左肩と首筋などに激痛が走る・・・神経の問題か骨格か筋肉か分かりませんがともかく今まで経験したことが無いような痛み。
 娘が処方ドラッグの薬剤師なので貼り薬を探して貰いました。
  温シップ系の痛みを軽減するもの・・・どれだけ効果があるのか初めての経験ですが、何もしないよりは好いでしょう。
 そして、この日の為に1週間まえから毎日風呂上りに貼ってきていました。
 その効果は?
  いくらか効いているのか今まで程は痛くない。
 貼り薬の効果?
  それともたまたま直る時期に差し掛かっていたのかも・・・
 ともかく、無事に治療終了。

 虫歯の治療は終りましたが、今後は歯茎のケアに移行予定ですからなかなか歯科大とは縁が切れそうもありません。
 そうそう今担当している先生が今月で移動(おそらくどこかに就職)するので4月からあたらしい先生に変わる予定。
 これで6人目・・・と言うことはこの附属病院とは長い付き合いだと言う事です。
 ちなみに総合病院の方は・・・初めにお世話になったのがSさんと言う中国出身の先生で次もJさんと言う台湾出身の医師、三番目がA先生で、そしていまの先生。
 その他に神経専門の先生もいました・・・するとこの二つの病院だけで11人の医師にお世話になっている事になる。
 やはり自分の体ではあるけれど、お世話になる以上はいい加減なことではいけないですね。

嬉しかった思い出

2010-03-03 01:42:50 | Weblog
 私学生時代には植物関係のクラブの顧問のK先生に懇意にして戴いていました。
  私が学問的に見所がったとか、熱心な学生と言う事では・・・残念ながら・・・ありませんで、先生から見てどこか面白いところがあったか、放って置けないような危うさがあったか、あるいは両方だったのかもしれません。
 ともかく昼間は研究室には出入り御免。
  マア研究の役には立てませんが、お茶の相手か標本整理の手伝いくらいです。
 生物形態学・・・植物分類・・・シダ植物が専門ですから私は全くの門外漢ですから、いろんなところに出没していたいい加減な学生だったと言うことです。
 私を探す場合教室では見つかりません。
  部室か学外の麻雀店か先生の研究室・・・

 先生は干支で1回り上、私は実の兄が11才上なので、兄に遊んでもらっている気分だったかも知れません。
 先生とは同県の出身というくらいで、とりたて私の取り柄も無かったですが、先生の住んでいた官舎と私のアパートが比較的近かったので(歩いて10分くらい)、夜中にも遊びに来てくれました。
  先生も当時は独身でしたので、囲碁を打って戴いたり。
 自称初段の先生に先では勝てた。
  要するに先生超インフレ段位であり、脳神経の芯まで麻痺するくらいアルコールが回っていたのでしょうね。
 ですから私も初段に勝ったから私も初段とは思わなかった。
  今思うと多少不思議ですが「段にはインフレがある」と当時から感じていたようです。

 K先生の関連で当時の文部省の催しに参加する機会がありました。
  外国からの留学生と日本人学生との親睦旅行・・・1泊のバス旅行でした。
 宿泊したホテルで、夕食後に同行した教授に囲碁を打って貰いました。
  先生2段と言う事で本当は3つ置きたかったのですが2つで対局。
 結果は1勝2敗・・・一つ勝てたのが嬉しかったです・・・この時の嬉しい気持ちは思い出に残っています。

 泊ったのが河口湖のほとりにあるホテルで。
  囲碁を打ち終わってから深夜一人でお風呂に入りに行きました。
 大浴場はその時間は閉じていて、ホテルの最上階にある小さな浴室だったと記憶しています。
  展望風呂と言うような洒落たものでは無く、周りに窓なども無いおそらく従業員用のお風呂・・・時間が遅くてそれしか無かったような記憶がある。
 それでも湯に浸りながら先ほどまでの囲碁を思い浮かべて満足感に浸った思い出があります。

 厳密に言えば私は3級打ててのかどうか分かりませんし、2段と言う先生も自称初段のK先生よりは相当強かったにせよどちらもインフレだったでしょうネ。
 でもその夜はその時の全力でぶつかった満足感があったのでしょう。
  こういう気持ちは忘れてはいけませんね・・・そこのところは棋力は違っても同じでなくてはいけないでしょう。

どうでも良い事なんだけれど。

2010-03-02 05:37:49 | Weblog
 チョットしたことに疑問を持つことは誰でもある筈ですが、そういうことが良くあるか余りないかの頻度、どういうことに気持ちが動くかの方向、どれくらい動くかの幅と深さ・・・そういう事がキャラクターとしての要素に大きな影響がありそうです。
 私の場合は、自分で思うには人よりかなり多い方だと思います。
  但し一つ一つは浅目な感じ・・・言いかえると軽薄型かもしれません。
  それでも血液型B型的な拘り部分もあって、突然一点だけ深くなるかもしれないし・・・
 ともあれ、何でもない時にふっと何かの考えが浮かんで来て気になり始める・・・気持ちの中では「そういう事を知っても何かの役に立つとは思えないな?」とか、「どこかに解説している文献みたいなものはあるのかな?」とか考えます。
 例えば今気にしているのは・・・「笹舟」
  何故笹船が気になったのかは理由は分かりませんが、今何かの刺激でそうなったのか、過去の出来事とか記憶がきっかけなのか・・・何かのはずみでチョット頭の片隅に思い浮かべただけでしょうネ。
 マア強いて言えば子供時代は笹舟を作れるような植物が身の回りに多かったし、作った笹舟を浮かべて流せる川のそばで暮らしていたので、はずみで思い浮かべる可能性は高いかもしれません。
 それと笹舟を題材とした演歌みたいなメロディが頭を過ぎったかもしれません。
  最近イネに関するTV番組があったので、稲の意味の「ササ」という音かもしれません(下戸なのでササが酒の方の発想には行きにくい)。
 それで、笹船の何が問題なのか?
  イヤ問題は全く無い・・・、強いて言えば「笹舟の材料は笹なのかどうか」・・・本当にどうでも良い事のような気がしますが。
 子供時代「笹舟」として作っていた材料は「ヨシ」あるいは「アシ」と呼ぶ植物のの葉っぱです。
  私の記憶ではそうですし、普通に手に入りやすい材料はこれだと思う。
  ですから笹舟の材料としてはこれが正しい?のかどうか、あるいは笹舟と言うからには笹で作るもので、アシを使うのは代用品なのかどうか。
 あるいはそういうものは地域により入手しやすい材料で作るものなのか?
  川の上流ではクマザサとか笹を使い、下流の方ではアを使うとか・・・
  全くどうでも良い事のようですが気になる(地下鉄オヤジです)。
 気になって、笹と竹の葉の違いを調べたり・・・もしかしたら竹の葉で笹船が出来たりしたら何だか言葉とものが変にねじれて行くみたいで面白い。
 それと植物的に竹と笹の違いを調べたり。
 でも、気になるけれど、徹底的にと言うほどには謎を解く努力ついては怠惰で・・・ある時ひょんなことで答えが見つかるかもしれないので疑問と言う卵を抱えている状態になって行くのが常。
 こういう疑問と言う卵を抱えてはいますが、もう少し世の中の役に立つことに繋がっていたらひょんなことからお金儲けに繋がるこもともあったかも?、、、何かの発明とか発見にかかわっていたかも知れませんが、なにせドウデモヨイ事ばかりが気になるので、要するに生産性が低い人間に甘んじて生きている。
 但しそういうところをのんびりと楽しんでいる面もある。