「知恵」を身に付けるためには
私はブログの中でよく「知恵」と言う言葉を使う。
「知識」と「知恵」は全く違ったものであるのは承知だと思う。
人間は長く生きていれば、多くの経験や勉強で知識も豊富になる。
しかしその分、年を取るごとにどんどん忘れてしまうのも事実だ。
「知識」は、時代が変わるにつれて変化し、今覚えたことが10年後には使えない知識になっていることもあ
る。
いや、存在しないこともあり得える。
しかし、知恵は知識と別物であり、時代を超えても変わらず普遍的なものだと思う。
例えば、勉強する時に「覚えること」そのものではなく「勉強法」に当たるのが「知恵」である。
今勉強していることが今後もずっと使えるとは限らない。
そのうえ、時代が流れるにつれて次々と新しい情報が登場して、覚えることもたくさん出てくる。
しかし「勉強法」に関しては、世の中の影響などまったく受けない。
「朝に勉強するほうが頭に入る」「紙に書くと覚えやすくなる」「量をこなす」。
こうした方法論は、時代が変わっても普遍で自分だけが持ってる「知恵」と言える。
私の考える「知恵」とは、様々な経験と勉強によって得た「知識」がいくら多くても「知恵」はつかない。
幅広い観点から物事を検討しながら内省し、その「内省の質」によって得られるのが「知恵」だと思う。
つまり、繰り返し困難な状況にさらされる度に内省し、時間の経過とともに自然と「知恵」が身に付くものと
考えている。