お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

ブログは想いを乗せた自己満足の世界

2023-11-15 04:40:05 | 日記

ブログは想いを乗せた自己満足の世界

 

今年で16年目になるブログだが、スタート時はタイトルも今とは違って内容も日記そのものだった。

ここ数年は、なんとなく思いつくままに綴って、なんとなく書き終えてしまいう。

読み返してみると、果たして自分は生き方、人生、人間関係等に於いて書いた内容と、同じ考え方(生き方)をしてるのか疑問

に思う時がある。

つまり、自身の意志や思考を素直に文字にした時、文章の表現や適切な言葉を使っても、現実の言動とは少し違うように思うこ

とがある。

自分が伝えたいこと、訴えたいことをブログに書くこと。

それと現実に行動することが、その本質が同じであれば、ブログの表現と現実は多少違っていてもいいと思っている。

結局、どちらかと云うと、僕がブログで表現する世界は現実より少し理想に近いものになる傾向がある。

それがもし読者に共感や感動を与えられたとしたら、嬉しいことではある。

ブログにはそんな想いを託せる可能性を秘めている自己表現ツールであり、自己満足の世界であると僕は思っている。


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自己肯定感を高めて生きる

2023-11-14 04:20:29 | 日記

自己肯定感を高めて生きる


自己肯定感とは「ありのままの自分をかけがえのない存在として肯定的、好意的に受け止めることができる感覚」です。

そして「自分が自分自身をどう思うか」という自己認識が自己肯定感を決めます。

つまり自分に自信がなく劣等感を持ってる人は自己肯定感が低いと言えます。

反面、自分の強みを知っていて、その強みとは努力して手に入る強みではありません。

つまり自分を特徴づける強みで自分の内側にあるコアな強みで、それを自覚している人は自己肯定感が高いと言えます。

元々、日本人は「謙虚」とか「控え目」を美徳とする民族であり、世界的にも自己肯定感は低い国民です。

では自己肯定感を高めるためにはどうするか?

答えは「自分を特徴づける強みを知る」ことです。

例えば「人に褒められてもピンとこない」「人が大変そうなことでも、自分はストレスを全く感じない」などです。

意識せずに自然とできることは、他人よりできるということになります。

それが自分を特徴づける強みです。

結局「自己肯定感を高めて生きる」ということは、自分のコアの強みを知り、普段の生活や仕事にその強みを活かすことです。

更に新しいものに挑戦して実体験を積んでいくことで高めていくことでもあります。

「自分らしさを日常の生活に活かし好奇心を持って挑戦し、それらを習慣化して生きること」と僕は思っています。


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私的空間(パーソナルスペース)の保持

2023-11-13 04:14:39 | 日記

私的空間(パーソナルスペース)の保持


人は誰でも無意識の感覚として落ち着くける空間を持っている。

言い換えれば、他人に侵入されると不快に感じる空間で、これをパーソナルスペースという。

これには個人差があり、相手との関係性やその場の状況によって、その空間も変化する。

例えば、混んでいるエレベーターに乗ってる時、表示される階数をなんとなく見ていた経験は誰にでもあると思う。

これはパーソナルスペースを他者に犯されているため感じている不快感を別の事に集中することで緩和させていると言われてい

る。

このように、人は無意識のうちに他者と一定の距離を保ち、ある程度の距離があることが当然という意識が根底にある。

「圧迫感」や「恐怖感」から「防衛本能」が無意識に働いて、場所や状況によって自分に適した空間を保とうとする。

人は、誰でも自分なりのパーソナルスペースは持っている。

僕にとってのパーソナルスペースは、安心して落ち着くことができる自室と最近は「このしま神社」の境内の一角です。


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「心」が変われば「人生」が変わる

2023-11-12 04:45:18 | 日記

「心」が変われば「人生」が変わる

 

「心」が変われば「態度」が変わる。

「態度」が変われば「行動」が変わる。

「行動」が変われば「習慣」が変わる。

「習慣」が変われば「人格」が変わる。

「人格」が変われば「運命」が変わる。

「運命」が変われば「人生」が変わる。

以前よくSNSやブログなどで目にした言葉である。

「風が吹けば・・・」的な発想で上手くできてるな~と思うところもある。

だが「人生そう上手くいけば苦労はしない」と、ちょっと歪んだ考えでみてしまうのは僕に個性なのかもしれない。

確かに、各段階ごとに考えると納得できるように見えるのは、表現が必然的に変化するように感じるからかもしれない。

最初の「心」が変わればとは、考え方や価値観と言う「基本的な考え」と言い換えれば「人生」が変わるのは当然のように思

う。

しかし、それが好転するとは限らない。

つまり、「心」が変わるを考え方と捉えると「態度」「行動」「習慣」「人格」「運命」「人生」も変わる人もいると理解でき

る。

ということは、自分の芯をしっかり持てば「心」は、そう簡単に変わるものではない。

最後に、「人生」が変わる原因には他にも様々あり、必ずしも好転するとは限らないと言える。


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政治家をは先生と呼ぶ職業?

2023-11-11 04:46:30 | 日記

政治家は先生と呼ぶ職業?

 

世の中には先生と呼ばれる職業がいくつかある。

もっとも判り易いのは学校や塾などの先生で、更に医者や作家や漫画家なども先生と呼ばれる。

また弁護士や税理士など専門職の人も先生と呼ばれることがある。

これらの職業は、先生と呼ばれる人間と、呼ぶ人間が対照的な関係にある。

一方が圧倒的に才能や知識・情報を持っていて、もう一方が教えを乞うという関係が成り立っている。

先生と呼ばれる職業にもう一つ政治家がある。

政治家はなぜ先生と呼ばれるのだろか?

特定の人が下について勉強をするという構図はあるが、政治家の秘書は給料を貰っているので上司と部下という関係である。

更に有権者と政治家の関係は対照的であってはいけない。

では政治家はなぜ先生と呼ばれるのか?

政治家が先生と呼ばれる理由は明治時代に端を発すると言われている。

明治時代に入り日本が近代化を成し遂げると議会制民主主義が始まる。

地方選出の議員が東京へやって来て議会へ参加するようになる。

その際、地元の若い人間を呼び寄せて、身の回りの世話をさせたり、学校に通わせる。

あるいは勉強をその場で教えるなどして世話をすることがあったそうだ。

いわば学校の先生のような役割を政治家が担っていた時代があり、そのため政治家は先生と呼ばれるようになったようだ。

つまり、昔の名残りである。

現代に於いては、マスコミなどは〇〇先生とは呼ばないし書かない。

一番不思議に思うのは、政治家同士がお互いに〇〇先生と呼び合うことに強い違和感を感じる。

お互いに敬意の意思表示なのかもしれないが、傍で聞いてると不快感を覚える。

「先生と呼ばれるほど馬鹿じゃない」という諺がある。

先生と呼ばれて気分をよくするほど馬鹿ではないということである。

また、先生と呼ばれていい気になっている者を嘲笑して言う言葉である。

そう考えると、政治家が先生と呼ばれるのも、まんざら解らないでもない(笑)

果たして、今の政治家を先生と呼ぶに値する職業なのだろうか?


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