日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

3月24日、イタリアの旅/シラクーサの「天国の石切り場」に向かう

2008年04月18日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

シラクーサのネアポリ考古学公園は
ほんとーに広かった。

ギリシャ劇場でロッククライミング?
を堪能した娘を依然として飽きさせず、
探検を続けさせるためにには
何か大きな驚きを投げ込むしかなく・・・・、
「ねえ、天国の石切り場、があるらしいの。
どんなとこか見たくない?」
というと、日頃学校(ミッション系)でも
毎日曜の教会学校でも
天国はクリスチャンの専売特許みたいなニュアンスを
体にしみこませている娘は
「うん、いくいく、見たーい」
と喜んでくれた。ほっ。

このような(写真上)たわわに実をつけるレモンの木が
天国への期待感を持たせるかのごとく立っていた。
「天国の石切り場」へと続く道は小さくうねって
目標地点を目隠ししてしまう。
そして、目の前に広がった景色は・・・・。


こんな大きな大きな洞窟に遭遇。
これが有名な「ディオニュシオスの耳」Orecchio di Dionisio
なんだそうな。放浪の画家、カラヴァッジョがこの地を
訪れた時、そう名付けたのが名前の由来。1603年のことだって。
高さは36メートル、中に入っていくのはちょいと
勇気がいったけど、先に進むにはそれしか方法もなく・・・。

中に入ると音響効果がスゴイ!
小声で話しても、入り口まで聞こえるのだ。
試しに母子で交代して実験してみた。
つぶやく程度に日本語を話すと、
入り口にいた娘が怒っている。
「エイミ、かわいいね」と言っただけなのに!




天国の石切り場にはいろんな
形の石が行く先を彩っていた。
白い色の石だから、先人はこの場所を
天国の、と形容詞をつけたのかしらね?

さて、最後に娘のオキドリ写真を。
ポイントはプラダのブラウス!カワイイ配色で
本当にステキです。(プラダのまわし者みたいだけど)



さて、このシラクーサのネアポリ考古学公園には
他にも「ヒエロン2世の祭壇」や
「古代ローマの円形闘技場」などがある。

ギリシャ劇場に古代ローマの円形闘技場・・・。
この地の古代文明のなごりを堪能するには私には
知識が足りなすぎるのだろうが、
悠久の昔に思いをはせる、そのダイナニズムは体験できた。
私はB&Bで知り合った若者のことを思い出していた。
建築を専攻しているそのアメリカ人大学生が
シラクーサを訪れる理由は明らかだからだ。

もし、あなたが古代ギリシャ建築と
古代ローマ建築の違いを言葉で言えたとしても、
百聞は一見にしかず、見て感じとるその体験ほどには
本当のところはわかっちゃいないのだから・・・・。

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3月24日、イタリアの旅/シラクーサのギリシア劇場は子供の遊び場?

2008年04月17日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強





紀元前3世紀、ヒエロン2世によって着工された
ギリシャ劇場。1万5千人を収容できるとか。
偶数年に、2年ごとで古代劇の上演があるとか。
残念ながらそれは夏の夜のお話・・・。春だったので
望むべくもなかった。


ギリシャ劇場の周りには洞窟もあって、
娘はお転婆振りを発揮!
草を刈るおじさんが通ったけど、
注意されることもなく、ほっ!
自由にできることを知って、この遺跡のありとあらゆる岩を
上っていくという暴挙に出た娘。(ただし、たまたま
春で観光客が少なくてできたことかもしれないので、
同じことをして叱られないとも限らないけど・・・)


サボテンの感じがどこかユニークでしょ!

さて、私たちはギリシャ劇場とネアポリ考古学公園との
共通券(6ユーロ)を買ったので、
そのまま考古学公園を探検することに!
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3月24日、イタリアの旅/シラクーサ・ネアポリ考古学公園

2008年04月17日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

カタコンベでツアーガイドから
その歴史を聞く限り、シシリアのシラクサは
キリスト教の歴史の中でも重要な位置にあったようだ。
しかし、シラクサの実態は
私たち(娘も一応含む)のシラクサへの認識を
はるかに越えて偉大なものだった。
シラクサを舞台に歴史上の立て役者が名演技(人生という名の)
を繰り広げていたことが分かった。

シラクサ(Siracusa)は
ありとあらゆる文化を開花させてきた
文明の地なのであった。
古代ギリシャ、ローマ、ビザンチン、アラブ、ノルマン、
アラゴン・・・。3千年以上の歴史を刻む、
豊かな古都、いや、古代都市なのだ。

その古のはるかかなた昔からこの地球をみてきた
石の上で、この世歴たった9年の娘がポーズをとる。
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3月24日、イタリアの旅/偶然遭遇?パウロゆかりの教会跡

2008年04月16日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

実はマドンナ・デッレ・ラクリメ記念堂の
入り口で私と娘にとって
衝撃的なことが起こっていた。

娘と同じ年頃の女の子が物乞いをしていたのだ。
西洋を旅していると、物乞いが
教会の前に結構多い。私はこれはとても
優れた社会の構造だと思う。物乞いに至る経緯は
さておき・・・。というのは東京の新橋の地下道に
ホームレスが2,3人いるのだが、
彼女彼らがまったく物乞いをしてくれないので、
助けられず、困っている。

近づいていって、お金をあげるのは
失礼なのかもしれないし、変な態度をされたら嫌だし!
と勇気がなくて声をかけられずにいて、そのせいで
いつも心が痛む。
いっそのこと西洋のように缶でもおいてくれていれば、
そこに小銭を投げ込めるのに、といつも思う。

日本の教会は西洋のように救済の機能を果たして
いないのか、国民的にプライドが高いのか・・・・?


その物乞いをしている女の子の前にある、
貯まった小銭を覗いて娘は言った。(勿論、小銭をあげた)
「あの子、いいなあ、あんなにお小遣いが貯まっていて」
はああ?と私は我が娘の顔をしげしげと見る。
「あの子があなたみたいに、お金をガムとかアメとか
お菓子を買うのに使えると思ってんの?」
「え、違うの」
「あのね、あの子は家族のために遊びたいのに
それを我慢して、あそこにじっと座って
物乞いをしてるのよ、貯まったお金は家族が生活
する最低限必要なことに使われる!の!」
「え、そうなの、カワイソ・・・。で、物乞いってなに?」

そう真顔で聞いてきた娘に、あ、そういうことね。
と合点がいった。日本にはホームレスはいても
物乞いはいないもんね。
私は聖書にあるイエス・キリストの言葉を
偉そうに娘に伝えた。

「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、
しかも最も小さい者たち(聖書では空腹の人、
渇いた人、着る物のない人、旅人、病人、
牢獄の人などをさしている)の
ひとりにしたのは、わたしにしたのです」
(マタイ25:40)

このみことばゆえに慈善活動をする人は多い。

*人道主義からの慈善とは深いところで違うのですね、神
が喜ぶことをひたすらしていこうという
(=神の国とその義を弟一に求めるというか・・・)
信仰が原点なのですもん。



さて、写真はすべて
「サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会」
の写真。名前からしてまったく予想していなかったが、
この教会の奥の入り口からギリシャ時代からの
カタコンベに行くことができた。

うっかり迷いこんでよかった。
そのカタコンベこそ、(ガイドによれば)
聖パウロがそこでイエス・キリストの福音を伝えた
場所だったのだ。世界で3番目?に古い
初代教会の跡、だったのである。

私は期せずして、いにしえの昔に聖パウロが
神に賛美を捧げたその同じ場所に降り立てたのだ。

キリスト教には無関心な我が国のガイドには
そんな説明はないので、パウロゆかりの地が
シラクサのどこにあるかなどは
ガイドブックには出ていない。

この偶然に私は神からそっと、でも
確かに後押しされた気がした。
「私は今も生きているよ、きみたち親子の
旅を見守りっているんだよ」と。

神のご臨在ほど人間を安らかにするものはない。

先ほどの箇所の英訳を最後に
(The king will reply,)
'I tell you the truth, whatever you did for one
of the least of these brothers of mine,
you did for me' Matthew25:40(マタイ25:40)

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3月24日、イタリアの旅/シラクーサ考古学地区探索

2008年04月16日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

B&Bの部屋から考古学地区方面を
眺めたとき、この異様に近代的な塔が
どーんと主張していた。一体何?
この塔が目立つので、単純に目立つ塔のてっぺんを
仰ぎながら橋を渡ってオルディジア島を後にした。

といっても3分もかからず、内地?に辿りつく。
途中、お洒落な子供服のセレクトショップに
ふらふらと入った。
パレルモで買った洋服を娘は着ていたが、
全身で15ユーロ以下のチープファッションだった。
まああ、そんな貧乏くさいガキを相手でも、
親切に応対して下さり、結局36ユーロくらいの
ストラップドレスのようなブラウスを買った。
(正直、あんまり試着をしたものだから、
一番安いのを購入して逃げた、という感じ)

余りのかわいさに娘は着ていたTシャツを脱いで
購入したブラウスに着替えてから店を出た。

さて、そのブラウス、プラダのキッズラインだった。



結局、その塔は「マドンナ・デッレ・ラクリメの聖所記念堂」
だった。その敷地内の雑草に私は感動!
これって、タンポポ。
まあ、そんなかんだで、シシリア島のシラクサ、
マドンナ・デッレ・ラクリメの聖所記念堂で
春の日差しに揺れていた草花をご紹介。



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3月23日、イタリアの旅/シシリア島シラクサ海沿いのレストラン

2008年04月15日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

夜のとばりが落ちてくるに連れ、
女2人旅、しかもか弱い私と9歳の娘、であるからにして、
段々心細くなってきた。
宿の女将(B&Bのオーナー)からは「オルティジア島は
とっても安全よ、港まで行くと美味しいレストランがいっぱいよ」
と聞いていたので、気を持ち直して、
港沿いを歩いていると遠くにレストランの灯りが見えてきた。


こんな風にレストランがズラリと海沿いにある。
イタリア人の夕食は8時くらいからと遅いので、
まだレストランはがらがらの状態。
しかし、たとえロマンチックなシチュエーションとて
娘とじゃあなあ、とレストランに入る気は起こらず、
そのまま前を素通りしてマニアーチェ城を探索し、
ぐるりと島の周り、海沿いの道を歩くことに・・・。

途中噴水のあるアルキメデスの広場で
ピザと丸いライスコロッケ(アランチーニ)
を買って、部屋でパクついた。
美味しくて、気軽な晩餐となった。


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3月23日、イタリアの旅/シシリア島シラクサの遊歩道ホォロ・イタリコの夕暮れ

2008年04月15日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

さて、約2千年の昔、聖パウロがマルタ島から(南に位置する)
シシリア島のシラクサに船でたどり着いたのだ。
彼はイエス・キリストの福音を
訪れる町々で伝えつつ、ローマへと向かった。
聖書ローマ人への手紙は聖書におさめられている
パウロの書簡の中でも骨太な信仰を後世に伝えている。

彼は力強く述べている。
And we know that in all things God works for the good of
those who love him, who have been called according to
his purpose.(神を愛する人々、すなわち、神のご計画に
従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて
益としてくださることを、私たちはしっています)ロマ書8:28


だから、彼が辿り着いた地点、
港にどうしても出てみたかった。
さて、港というより、海沿いのプロムナードに出くわした。
遊歩道になっていて、フォロ・イタリコと呼ばれている。

古本を売っている屋台が出ていて、
イタリア語で書かれた「ピーターパン」を購入した。
いつかイタリア語だって勉強したいし、
娘がその気になったとき、ピーターパンなら
楽しく読めそう、と思ったからだ。
(ただ、英語でさえイマイチの態度なので、
イタリア語などのぞむべくもないかあ)



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3月23日、イタリアの旅/シラクサのアレトゥーザの泉

2008年04月14日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

シシリア島にはいにしえの伝説が今でも残る。
このアレトゥーザの泉もそのひとつ。

川の神アルフェウスから逃れようと、
妖精アレトゥーザが泉となった、という言い伝えがあるのだ。

その神秘的な泉に白鳥が気持ちよさそうに泳いでいた。
泉の生け垣に私は釘付けになった。
赤い花が力強く泉を取りまいて
伝説の持つ神秘な魅力をいっそう強めているように感じられた。

伝説そのものの真相より、
何千年もの間、伝説と共に生きながらえてきた、
力強く咲き誇る花、淀んだ水の上でも
優雅に泳いでいる水鳥、そして風にそよぐパピルスの草・・・、
の生命力そのものに感動した。

娘も赤い花を気に入ったようだった。
手を伸ばして取ろうとする。
「そのまま咲かせてあげましょうよ」
と私が言うと、珍しくすぐ同意してくれた。
子供ながらも自然の秩序そのものへの畏敬の念が
あるものなのだろうか!



泉の横には小さな小さな水族館があった。
私も娘も早速入場券を買って、
お魚さんを楽しむことにした。

極彩色の魚たちをみて、
娘がさっそく写真を撮りたい、といいだした。
ところが魚はそんな娘の要望など
構っちゃくれない。
泳ぐ魚はポーズすら取ってくれず・・・。
カメラの技術や知識のない母娘は
水槽の中の魚を撮ること3枚ですぐ断念した。

泳ぐ魚を見ながら、娘が
「この魚、○○君にそっくり!」と笑い出す。
どうみても魚、どう似ているのか分からないまま、
母も笑う。きっとその子はこんな風にいい味を出して、
いるのだろう(なんとなく四角ばった感じのお顔)、
と母は勝手に思っていた。

さて、その水族館の前で猫たちが娘にじゃれてきた。
人間を本当に信頼している様子だった。
この町の人は優しいに違いない、そう思った。
(娘はさっきドゥオーモの近くのお店で買った
手作り石鹸の入った袋を持っている)

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3月23日、イタリアの旅/シラクサ旧市街地(オルティジア島)を探索②ドゥオーモ近辺

2008年04月13日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

オルティジア島の活気ある市場で
購入したキャップを早速かぶり、
パレルモで買ったサマーセーターを着て
小道をかけていく娘。

細くカーブしている道がどこへと
つながっていくのか・・・。
深く考えずにただ、進んでいく。
迷ってもたかがしれている小さな小さな島なので、
気にせず気にせず、先へ先へと南下(のつもり)していった。



右手に少し空気感が違う何かを察知。
そうです、地図など持たなくても
第一目標だったドゥオーモの界隈までたどり着けました。
標識が出ていて、→通りに進んだら、
本当にそこは美しい広場になっていました。

あんまり人もいなくてその少し寂しい感じも
かえって旅情をかきたてます。
ただ、残念だったのはドゥオーモの外壁を修理していて
囲いで覆われてしまっていたの・・・。
バロック様式の重厚なファサードは意地悪な
囲いでかすんでしまっていたけれど、
ひるまず中に入っていくと、そこは・・・・・。


こんな風にバロック様式の祭壇のある
豪華だけれど華美ではない、聖なる空気に満たされた
場所でした。無料でおかれていたハガキを
死ぬほど取ってきてしまった。
ドゥオーモのモノクロ写真がレトロでステキだったから。

お祈りもして。
すっかりシシリア島がマフィアの本拠地であることを
シラクサに着いた途端忘れてしまってました。
だってあり得ないくらい素朴で、町は時をとどめるかのように
古いものを従えていて、邪悪なものはすっかり影を
ひそめて見えたから。


色彩感覚がどこか洗練されているのは
さすがイタリア!
この古い石造りの町にこのカワイイピンクの外壁は
実に重厚かつ軽妙でした。

色の微妙なニュアンスはこの土地の壁材のなせる
技なのか、太陽の仕業なのか・・・。
お昼に近づくにつれ日差しが力を増してきて。
娘の格好がどんどん薄くなっていったのでした。

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3月23日、イタリアの旅/シラクサのオルティジア島探索②ドぅオーモ周辺

2008年04月12日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【オルティジア島にあるドゥオーモの前の広場のカフェでハイ・ポーズ、の娘】


【広場の近くで見つけたピンクの建物。ディズニーランドのよう! いえいえ、ディズニーランドがマネをしたのです! 花の飾り方もステキです】

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3月23日、イタリアの旅/シラクサのオルティジア島探索①市場

2008年04月12日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【宿泊したB&Bは丁度、市場が始まる北端にあった】

B&Bではオーナーのおばさんが陽気で
にこにこと朝食の用意してくれた。(といっても
お手製のバナナケーキと飲み物やパン)
英語が通じるので本当に助かった。
ただ、9時すぎると仕事に出かけてしまい
残った家政婦のおばちゃんがその後は給仕してくださった。
英語が通じないので身振り手振りでコミュニケート。
うまく通じないと本当に飲みたいものが飲めないので
私も娘も必死だった。

宿には他にアメリカから来た大学生やフランスからきた
若い女性が泊まっていた。
朝食の間、これらの人々と和やかな会話が進んだ。
アメリカ人大学生は専攻が建築で、
ヨーロッパの歴史的建築物をみて回っているのだそうだ。
さらに、彼のお父様は生粋のハワイ好きなんだとか・・・・。
いずれにせよ、大学生なので時間はあるのか
1ヶ月以上の長旅をしていると言っていた。羨ましい!

朝食を終えて外に出ると、
びっくり。賑やかな市場が出ていた。
B&Bは市場が始まる北端にあったので、
オルティジア島を南に下って探索する道すがら、
活気ある市場を堪能することができた。

安いのでついつい買ってしまいそうになった。


【見ての通り、結構モードな今風(当時)な洋服がズラリ。この斬新な展示の仕方には感動した。後にも先にもこんな売り方をした市場に出会ったことがない】

デザインされた洋服やシンプルな洋服などが、
ところ狭しとこのように吊されていた。
ここで伸縮性のあるグレーのピタピタズボンを購入。今、
こうしてブログを打っている私は、そのズボンをはいている。
部屋着として重宝してるよ。

この市場はアポロ神殿(そんなものがあるのよねえ)
の辺りまで延々と続いていた。

娘もはしゃいで帽子を購入。
安くてしにそうよ。私のズポンと合わせて
8ユーロくらいだったと思う。

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シラクサ(シラクーサ)では旧市街オルティジア島に泊まる

2008年04月12日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
さて、3月22日パレルモを14時半に発ったバスは
ほぼ定刻どおりシラクサに夕方着いた。

バスの終点近くのB&Bを宿に決めていたので、
ただ座っていれば自動に宿泊先に着いてしまう感じだった。
しかも、宿のオーナーがバスまで迎えに来て下さる
ことになっていた。

まあ、実際にはオーナーの息子さんが(13歳くらい?)
現れたのにはびっくりしたけど。
イタリアのちょっとシャイな男の子、といった感じだったが、
荷物を持ってくれたり雰囲気がいかにも優しくて、
「将来、娘のだんなさんがこんな感じの子だったら」などと思って、
ついにやにやしてしまった。

バスの旅は普通に快適だった。
約3時間の道中、圧巻だったのはその景色だった。
シシリア島の内陸を横断するのだか、青々とした牧草地や
色鮮やかなお花畑や果物畑の中をバスは進んでいったのだ。

後で列車にも乗ったが、バスの方が景色を楽しめた。
もちろんトイレ休憩があって、トイレの近い私でも
問題なかった。
私たちの親子の前に座っていたご夫婦が
娘にチョコレートやらアメやらを下さった。

そんなちょっとした人情にふれることができるのも、
旅の醍醐味だ!

写真は宿泊したB&Bの部屋から見たシラクサの町の眺め。
(旧市街オルティジア島から新市街地をのぞむ)
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何故シシリア島に行ったのか?

2008年04月12日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
イタリアといえば、ローマ、フレンツェ、ベニス
ナポリ・・・・、本当に本当に観光地には事欠かない。

ちなみに、20代の時会社の友人たちと
ミラノ、ローマ、フレンツェ、ナポリ、カプリ島
ベニス(ついでにパリ)シエナを冬に旅をしたことがあった。
女と見れば声をかける、と評判の
イタリア男性からお声がかからなかった。若かったのに!

まったくモテない女4人組の旅だった。
気に入ったのはカプリ島とフレンツェだった。

で、娘が4歳の時はローマ、フィレンツェ、カプリ島、ソレント、
ナポリ、ポンペイと旅をした。ローマからは
ローマ在住の日本人画家の方にドライブで近郊の町を
案内していただいた。

でも、結局、カプリ島界隈(ソレントや)に一番魅了された。
カプリ島は別格としても、イタリアならどこをとってもうっとりの
別世界、であることには変わりない。

もしかしたら、アマルフィ海岸なんて最高に
ウハウハかもしれなかった。
にも関わらず、シシリア島に行くことを決めたのには、
訳があった。

ポール様(聖パウロ)の追っかけで
彼が約2千年前に立ち寄ったという
シシリア島のシラクサを訪れたかったのがまずは一番の理由。

そして、実はマンハッタンでお友達になった
イタリア人家族から
「シシリア島こそ素晴らしいからいつか行ってみて」
といつもいつも言われていたからだ。

イタリア人が勧めるのだから、いいところに違いない。
そうふんだのだった。でも、直行便で行けないのが
面倒くさくてなかなか実行できなかった。

もし、またイタリアを旅行することが
あったらやはり、乗り継いでまでシシリア島へ行くだろうか?
イエス、乗り継いででも絶対に行きたいところである。
アマルフィ海岸より素朴なシシリア島を選んでしまうだろう。
この春の旅行(2年前の)では行けなかった
本当に美しい、世界自然遺産、エミリオ諸島の海
(シシリア島からツアーや船が出ている)
で泳いだりしたいし・・・。

今年の夏、マルタ島へ娘に付き添っていくのだが、
実はマルタ島はシシリア島の下(南)にある小さな島だ。
マルタから高速船に乗れば一時間半くらいで、シシリア島の
シラクサやカターニアにたどりつけるという。

神さまどうかまたシシリア島に足を踏み入れることが
できますように・・・・! 今から祈っている私であった。
(マルタ島からギリシャまで足を伸ばすのも魅力的だけど)

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唐突ですが’08年夏の旅行計画もとい留学計画

2008年04月11日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
いつも夏だけ思いっきりよく旅行する。
だからこそ日頃をつつましく出来たりもする。
節約が楽しいのはその先に美味しいえさがぶら下がっているから。


【去年の夏のマルタ島での寄宿生活で知り合ったイタリア人の男の子。
娘がいうにはこの子が一番モテていたとか。撮影はもちろん娘】

そう、今年も夏の留学大計画を進めている。娘の、ね。
しかし、いつもと違ってジャルがワンワールドに加盟した
影響か、マイレージの無料航空券がすごいことになっていた。

1月の段階でほとんどソールドアウト!(予約?)
結局、去年と同じマルタ島へ娘を留学させるのに
アムステルダム経由のチケットしか残っていないような
状況だった。もちろん、夏休み中ずーっと海外で過ごすつもりなら
パリとかローマとか魅力的な経由地を選べたのだが。

とにっかく予算的に滞在は短期間にしたかった。
でもでも、結局7月24日に日本を発って、
8月20日にアムステルダムを出発し21日に成田着の
航空券が残存する中では滞在が最短で、
気づいてみれば27泊もすることになってしまった。

で、この夏は初めてオランダのアムステルダムに
行くことになったわけだ。
アムステルダムからマルタへはマルタ航空で
7月26日(マルタでのサマーキャンプは7月26日~
2週間)に飛び、またアムスへ8月11日には
戻り、アムスで8泊する。
航空券を押さえると同時に1月の後半には
ホテルも娘の留学先も手配してしまった。


【同じく去年のマルタ島での寄宿生活でのサマーキャンプで、一番モテた
ロシアから来た女の子(右)!性格もメチャよくてね、と娘が話す】

我ながらなかなか手慣れたもんである。
娘はどうしても去年と同じマルタの同じ学校へと
留学したがったので、娘の意を汲んでの
泣く泣くのセッティングだ。
マルタ島へはヨーロッパの町やドバイなどを経由しないと
直行便ではいけないので、親としては11歳の子供だけを
ポンと海外に出すわけにもいかず、
付き添わなければいけないのが辛い。
でも、その手間が多い分、マルタのサマースクールには
ほとんど日本人が参加しないので
英語力をつけるにはうってつけなのだ。
しかも、安全で物価は本当に安い(少し上がりつつあるが)!


【これが娘が参加したマルタ島でのサマーキャンプでの英語の先生。今通っている青山学院初等部のどの先生より気に入ってしまったようだ! といってもシチュエーションが違うので、当たり前だよね。】

そしてここがポイント中のポイントなのだが、
ヨーロッパから英語を習いにくるお子さんばかりなので、
みーんな弟2カ国語となり(ドイツ人、フランス人、イタリア人
ロシア人で主に構成されていたようだ)
ハードルが低く英語力よりむしろ国際力をつけられる。
娘は語学力より実は大切な表現力というか
人間力みたいなものを、とけ込むために自然と培うことができた。
ボディランゲージでも通じるよ、と豪語している。
それから、言い方悪いけど
成金的なお家のお子さんが少ないのも気に入っている。

まあ、本人が最も気に入ってしまったのだから、
親はお金と都合の工面だけをすればいいのだが・・・。

そんなかんだで、
何も知らなかったオランダのことを今、少しずつ
調べています。
一番最初の写真は
オランダ政府観光局から取り寄せた
オランダの地図!

去年知り合ったマルタに住むマルタ人親子から
「うちに泊まりにきて」と手紙をいただいたのだが、
娘は寄宿生活をどうしてもしたいらしく、
お金を節約したい母の意向を無視して、
泊まりにいくのは寄宿生活が終わってから、と
言っている。


【この3人部屋が去年娘が参加した寄宿生活でのマルタ島サマーキャンプの部屋のようす。アンバサダーホテルを使っているので、なかなか快適そう。娘と同室になったのは最初はパリから来た女の子で、途中からロシア人姉妹になったとか】

ちなみにマルタのサマースクール(寄宿の)は
2週間で約20万円弱だ(レートを1ユーロ165円として)。
宿泊代、食事代、観光代、
授業料などなど含めてだから・・・・、
案外適切にリーズナブルだと思いマース。

ただ、ハワイで通いの学校(英語)に行かせる方が
安いのかもしれません。
でも、地中海の海の色にはかなわない気がするのは
私だけ?
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3月22日、パレルモで馬車に乗る→バスに乗ってシラクサへ

2008年04月11日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

パレルモでは2泊だけの予定だったので、
夜遊びせず早めに寝て、移動日の22日も朝早くから
パレルモ探索に励んだ。

中央駅までの道の往復は熟知したし
(ホテルはローマ通りに面していて地の利がよかった)
そこへは旧市街の一部を通っていくので、
旧市街の建物の古さは既に了解ずみ。
本当に真っ黒にすすけていて貫禄満点!
少しはきれいにすりゃいいのに、と溜息までついてしまった。

細い道が多く、そして有名な教会や聖堂も多いので、
旧市街地を散策していて馬車を見つけたときは
「よっしゃ、あれに乗ろう」とすぐナマケ心から決意する。
(座っているだけで、名所を巡ってくれるんだもん)

もちろん娘も大賛成!
馬車を走らせてくれたのは、
調子の良さそうなお兄ちゃんで、英語で何とか
コミュニケートできた。


馬車はこんな風に小道を難なく抜けていく。
パレルモの町並みはどこかマンハッタンを彷彿させた。
雑然としている。多分、マンハッタンの形成にイタリア移民が
活躍したんじゃないかな(マフィア?)と思わせた。

馬車は①「クアットロ・カンティ」とか
②「プレトーリア広場」③「マルトラーナ教会」・・・とか
近辺をちょこちょこと走っては、中を見るために
止まってくれた。「見ておいで」と催促されて
馬車を降りていくのだが、時間での契約(確か40分くらい)
なので、ゆっくり見るわけにもいかず、ざくっと
中に入ってはざくっと写真を撮った。
ところが、聖堂の中はどこも暗くて残念ながら
お見せできるような写真は撮れなかった。

ちょっとくらいガイド的に知識を披露してほしかったが、
観光馬車のお兄さんは英語もカタコトだったので
そんなことは望むべくもなかった。
私も娘もお兄さんとのいろんなやりとりを
笑ってごまかしながら
何とかこなした、という感じだ。


パレルモではショッピングもした。
中央駅からホテルまでの目抜き通りに
結構安くて近代的なお店が建ち並んでいた。
たとえば、娘のズポンやサマーセーターが
5ユーロくらいで買えたりした。
(安いけどメイド・イン・イタリー

ちなみに適当に教会にまで入って、
神父さんから祝福していただいてしまった。
ついでにそこではトイレまでお借りした。

さて、12時にはホテルのチェックアウトをして、
さらにどん欲に次は新市街の
リベルタ通りを目指すことにした。
リベルタ通りやルジェーロ・セッティモ通りにかけては
有名高級ブランドが並ぶとガイドに書いてあったからだ。

そこへ足を踏み入れると
それは旧市街とは銀座と浅草ほどの差があった。
広々とした通りに美しく華やかなお店が建ち並んでいたのだ。
雰囲気だけを味わって、
すぐ中央駅へと向かった。

その近くにある長距離バスターミナル
(といってもただ、通りにバスが停まっているだけのこと)
からバスに乗ってシラクサへと向かうためだ。
写真は新市街近くの売店で物色しているところ。
スーツケースを持ってね。

さて、シラクサ行きのバスターミナルのある
Via Paolo Balsamoへと向かった。
迷わなかった。なぜなら、昨日のうちにロケハンして
あったからだ! えっへん。
バスは14時半にパレルモを出て、シラクサには
17時45分に着く予定だった。
バスは予約がきかず、発車の15分前くらいまでに
切符を買えばよかった!(実際は発車に間に合えばよし)


コメント
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