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数学の問題文の難しさ

2005-01-10 23:34:23 | 数学
以下は91年の茨城大学の問題である。

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10人着席できる2つの丸いテーブルA,Bがありそこに18人を座らせたい。何通りの方法があるか。ただし各テーブルには座席番号がついていて座席は区別できるものとする。
また特定の2人はおのおのA,Bに座るものとすれば何通りの方法があるか。
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山本矩一郎はこの問題に関して「これは問題文の不備な例」だとしている。

‘10人着席できる2つのテーブル’というのを「2つで座席の合計が10」と思った人もいるでしょう(「座席数10のテーブルが2つある」と書けば、何でもなかった!

というのだが、自分にはこの部分に関しては、たしかに「2つで座席の合計が10」という可能性もない訳ではないが、「そこに18人を座らせたい」とあることから、「不備」とまでは言えないように思う。不親切な表現とは言えると思う。

また問題の後半の部分に関して「特定の2人がべつのテーブルに・・・・・・」と読まれる可能性も示唆しているが、この点については自分は分からない。

いずれにせよこの問題文が分かりにくいということは、専門家にとっても感じるところらしい。ただ山本は「国語の試験は別にやればすむ」とあるが、むろん、文章読解能力というのも数学の試験の試験においては試されているような気がする。

むろんこの問題においてはあまりいい「試し方」ではないと思うが。。。

数学落ちこぼれのたわごと:2点の像を探しても十分条件は?

2005-01-09 23:50:25 | 数学
山本矩一郎の数学の本で特徴的なのはいわゆる「スローガン」ということである。

ただそのスローガンというものもまったく問題がないとは言えないかもしれない。スローガンが絶対だと思うと間違えるのではないかということはたとえば、「2点の像を探せ」というスローガンについていえるかもしれない。

これは一次変換に関する問題を解くときの解法を示したものだが、『山本の一次変換の基本』には以下のような記述がある。


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なぜ‘2点の像をさがせ’ば、答えが出るのか?
この程度の問題では、その説明まで要求していない、と考えるのが入試問題での常識です。
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ここでは上の文が載っている問題はあえて引用しないが、具体的にどのような問題で設明が求められるのか、求められないのか惜しむらくは明確な説明が一切ないのが残念である。

もちろん自分は数学はまったくだめであるし、この本も実は改訂されているのだが、その改訂版は買った記憶があるが、紛失したので、もしかしたら訂正のようなものがないとも限らないが、いずれにせよ、「2点の像をさがせ」というスローガンが必ずしも万能ではないことは言えるのではないだろうか。

この問題では、ある直線の一次変換による像を「XとYの式であらわせ」と書かれているので、たしかに論理的な検証は必要ないだろう。

しかし「どのような図形に移るか」と訊くような問題においては、2点の像を探すことでかたがつくだろうか。

山本はある問題に関して、「2点の像を結ぶ直線を考えてもやれますが、‘直線のベクトル表示’を利用するほうが簡明です」としている。自分にはこれ以上踏み込んで考えることはできないが、このような問題においては2点の像をさがす解法は常に使えるわけではないような気がする。

つまり「2点の像を探す」解法はあくまでも計算の便利性を考えた特殊な解法であって、記述式の問題には向かない場合もあるのではないだろうか。

これは言うまでもないことかもしれないが、山本はこの本の最初の方で「単に‘直線の像’を求める場合だけでなく」といった書き方をしているので、いかにもこのスローガンが万能であるかの如くに錯覚してしまいかねない。錯覚したほうがおろかなのかもしれないし、このような書き方でやる気を起こさせてくれるところが山本数学の魅力なのかもしれないとも思うのだが、実はある直線の任意の点を二つとってその像をもとに一次変換された直線を決めるというのは、本当はおかしな話しのような気がするが、それがなぜかは分からない。(9日23:54分追記:つまり十分条件が示されないということではないだろうか。2点の像をさがすのはあくまで、必要条件を示すことに過ぎないようにも思われる。)

山本はたとえばx+y=1という式が簡略な表現であり、これを直線と呼ぶ場合いきちんと、

l={(x、y)|x+y=1}とすべきであり、

云々と述べている。もし「直線」ということにこだわるのであれば、ある直線が一次変換によってどういう直線に移るかを調べるためには全ての点について調べることが必要なような気がするのだが、それを避けるためには直線のベクトル表示というのは、かなり有効だと思う。

ブログでは、ベクトル表示も行列も示しにくいので、この話しはこれぐらいにするが、いずれにせよ「2点の像をさがす」解法が有効なのは、ある直線が直線に移ることが前提とされている問題に関してのみ有効なような思える。
 
                    文中敬称略
こまかな部分は直すかもしれません。


必要条件と十分条件の区別

2005-01-08 12:28:54 | 数学

A→BつまりAならばBが成立するときBはAの必要条件である。A→Bにおいて、Bは矢の先にあることから「矢の先は必要」と教えてくれた先生がいて、それは唯一その先生から教わったまともなことのような気がする。
必要十分条件かどうかは逆の矢印(十分条件)の検証が必要になるはずだが、先日来検討しているあるテキストの解説をもう一度見てみよう。


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(2)(x-1)2=ax2+bx+cが常に成り立つ。

この場合には“xについての恒等式”ということばが省略されている。

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ここでは問題の形式を示さずに、この問題?の解き方が以下のように示されているのみであった。


=====================================

(x-1)2=ax2+bx+c

を決めるのには、等式(方程式)が3個あればよい。だからxの値を3個、たとえばx=0、1、2を代入して方程式をつくれば、それでa,b,cが決められるはずである。

=====================================

ここでは問題文が示されていない。特に「xが全ての実数に対して成立する」という表現が入ると十分条件に関する検証が必要になるので、わざと省いてあるのではないだろうか。しかし、恒等式という分野で論じられ、「xについての恒等式」という表現が「省略されている」とあるから、「xが全ての実数に対して成立する」と考えるのが自然であろう。

たしかにx=0、1、2を代入して方程式をつくれば、それでa,b,cが決められるはずであるが、それでxが全ての実数に対して成立するかどうかはまた別問題ではないか。

つまり穴埋めの解等としてはこれでよいとしても。これは「恒等式」の問題に対する解きかたではないのではと思う。
恒等式の解き方としては、昨日示した定理の形を作るほかないのではないか。
つまり、


(x-1)2=ax2+bx+cを展開して、
(1-a)x2 -(2+b)x +1-c=0とすれば、すべてのxに対してこの方程式が成立するためにはa=1、b=-2、c=1であることが必要で、その時xの値に関係なくこの式は成立する。したがってa=1、b=-2、c=1であることが、全ての実数xに関してこの式が成立することの必要十分条件である。

これ以外にもグラフを使う手も考えられるが、これもどこまで証明が必要かは難しい。
このとき方でも十分条件は、直感的に示すにとどまっている。

実はすでに触れた(x-1)2を展開して元の右辺と比較する解法もこれと本質的には同じ解法のように思う。


実は十分条件の証明は受験数学のレベルでは、あまり求められてはいないと思うが、恒等式ということを考えるなら、十分条件ということを考えなければどうしても解決したとはいえないような気がする。

実はすでに触れた(x-1)2を展開して元の右辺と比較する解法もこれと本質的には同じ解放のように思う。

私は数学にはド素人なので内容にはあまり自信はありませんが、自分では面白いと思っており、著作権も保護されるべきとかんがえています。

お気づきの点はコメントしてくださると助かります。


いろいろあとから直すかもしれません。

恒等式と方程式の違い。未知数について。

2005-01-07 17:04:22 | 数学
ここ数日間恒等式の問題について、考えれば考えるほどややこしくなるような気がしている。
ここでまた遠回りをして以下のようなものについて考えてみたい。

sin2α+cos2α=1  ・・・①

これは公式あるいは定理、もしくは三角関数の定義のようなものであって、あまり恒等式とは教えないように思う。

これはもちろん全てのα(角度)に関してあてはまるのだが、以下のようなものはどうだろう。

sin2α+4sinαーcos2α+1=0  ・・・②

もちろん、これは全てのαについてあてはまるわけではない。②を満たすαを求めるのに①の恒等式を使うというわけである。

②のαは未知数といったりすると思うが、この②が方程式である。

さてもう一度一昨日の恒等式に関するあるテキストの記述を見ていただきたい。

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(1)(a+b)2=a2+2ab+b2 は常に成り立つ。

この場合には「左辺を計算すると右辺がでてくる」あるいは「式の中の文字a、bにどんな値を与えても、常に成り立つ等式」という意味である。

(2)(x-1)2=ax2+bx+cが常に成り立つ。

この場合には“xについての恒等式”ということばが省略されている。

*************************************

つまりここでは、(2)は恒等式というよりは方程式といえるのではないだろうか。
そして昨日この部分を問題として説く方法を示したが、ここにはもう一つ定理のようなものが必要なはずで、それは以下のようなものである。

(1)ax+b=0が全ての実数に対して成立するための必要十分条件はa=b=0、

(2)ax2+bx+cが全ての実数に対して成立するための必要十分条件はa=b=c=0

というものである。

さて、ここで必要十分条件ということを持ち出したが、私が昨日示したテキストにある問題の解法で気になったのは、必要十分ということを満たしているどうかということで、これはただ単に数字を出せばいいなら、問題はないが、いずれにせよ、まともに考えると少しややこしい話しになるのではないかと感じている。



恒等式と方程式の違い?

2005-01-06 00:31:54 | 数学
さて、昨日のブログ(といってもこれはついさっきアップしたばかりだが)で書いた問題の答えはお分かりになったであろうか。

もう一度問題を示すと以下のようなものである。


(x-1)2=ax2+bx+cが全ての実数xに関して常に成り立つようにa,b,cの値をそれぞれ求めよ


さてその予備校のテキストには、

(x-1)2=ax2+bx+c

を決めるのには、等式(方程式)が3個あればよい。だからxの値を3個、たとえばx=0、1、2を代入して方程式をつくれば、それでa,b,cが決められるはずである。

とかいてある。これはこのあたりを全てにわたって引用しているわけではないし、あくまでも授業用のテキストであるから、詳しい解説ではないだろう。

さてその方針に従って解くと、a=1、b=-2、c=1となったが、これでいいのだろうか。
これでいいとして、私の狭い知識で思いつくことは、これでできる式

(x-1)2=x2-2x+1

というのが、実は昨日のブログで示した(1)の式に似ているということである。
つまりこの結果は「公式」として知っているならばこの右辺と問題文の右辺を比較してa,b,cの値を計算なしで出すこともできるということである。

その場合にはこの問題は「計算問題」ではなく、論理操作、あるいは論理学の問題になるかもしれない。

ただ、その場合には答案の書き方は難しいかもしれない。正確には採点基準がこの解法を認めるにしても難しいかもしれないという事である。

これはもちろん記述式の問題の場合の話しだし、自分の解答があっているとして、はなしを進めているが、いずれにせよこうした問題においては無意識のうちに恒等式や方程式にかかわる、むずかしい問題を自分では気づかないうちに処理しているような気がするのだがどうだろう。


恒等式とは。数学は難しいこと教えすぎてないか。

2005-01-05 23:58:55 | 数学
ある昔の予備校の数学のテキストには以下のような記述がある。

“常に成り立つ”とは

等式が“常に成り立つ”ということばの中には実は「かくれていることば」があることが多い。

(1)(a+b)2=a2+2ab+b2 は常に成り立つ。

この場合には「左辺を計算すると右辺がでてくる」あるいは「式の中の文字a、bにどんな値を与えても、常に成り立つ等式」という意味である。

(2)(x-1)2=ax2+bx+cが常に成り立つ。

この場合には“xについての恒等式”ということばが省略されている。

2乗にかんしては半角であらわしているがお分かりいただけるだろうか。自分は数学に関して無知であるので自信はないが、このテキストには、このあとにヒントというか問題の解き方のようなものが書いてあるが、それは省略したい。


この説明のポイントの一つは(1)のような場合も恒等式に含めるべきということなのだろう。
つまり(2)のような場合はこれだけで持って恒等式とはいえないのかもしれない。受験数学のレベルでは、「恒等式」といったことばはあまり使うのはよくないのかもしれない。
たとえば(2)のような場合は以下のような形で出題されるようなことが多いように思う。

(x-1)2=ax2+bx+cが全ての実数xに関して常に成り立つようにa,b,cの値をそれぞれ求めよ。

実数という部分が適当かどうかは分からないが、いずれにせよこのような形で「恒等式」とは何かということは全く考えずに問題を解くということに数学の教育は主眼を置いているのであるが、それは高校までは仕方がないように思う。

ただここには数学だけには限らない、「専門用語」を使わずにものを考えるということの本質が見え隠れしているように思われる。たとえば、ここでは実数という断りを書いたが、本当はこれも必要はないかもしれない。

実際には「虚数」あるいは「実数」といった考えは高一あたりで習うのかもしれないが、この概念はきわめて難しい概念であって、これを教えたり引っ込めたりしているのはいかにも筋が通らなくて、本当は「虚数」など高校までは教えなくてもいいように思う。

もちろんは自分は数学はからっきし駄目なのだが、本当をいえば、0という概念もかなり奥の深い概念であることは土師先生の本にも書いてあるが、それはその通りなのであろう。

最近円周率を3で覚えさせることが、どうとかこうとか言っているけれど、本当は小学生レベルの数学でも全くできない大人は自分に限らずたくさんいるし、もっと数学などは教える内容を減らしてその分漢字の読み書きでもきちんと教えたほうがいいのではないかと思っている。

恒等式の問題とはずいぶん話しが違うようにも思うけれど、いまどきの子供は学力が下がったとか教える内容が減りすぎだといって怒る大人たちは、自分がエリートであることをかさにきていっているに過ぎないような気がする。

小学生レベルの算数でも本当にまじめに考え出すとどれもこれも決してそれほどやさしいことではないのではないか。