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TBSNEWS23でゴアを招いて「環境破壊」の番組:筑紫哲也に都知事選に出る勇気はないはず

2007-01-26 21:45:39 | マスコミ批判


あの番組はなんだったのだろう、という思いが今している。

ゴアを呼んで一般市民との「対話」をしていたようだが、その対話は自分にはかみ合っていたようには全く見えなかった。

スタジオの対話もTBSが作ったと思われるビデオも中途半端で、一般市民の恐怖心をあおるのには成功しているものの、結局われわれが何をすべきなのか、あるいは何をしてはいけないのか、などといった視点が見られない。

ゴアは自著のサイン会などもしたようだが、一体何が目的であったのか分かりかねるところもある。

今、「アル・ゴアの映画」とも言われているらしい「不都合な真実」という映画のトレーラーを見ていると、これってもしかして番組の一部?と思われるほどその番組で見たような場面やアル・ゴアの同じ声が流れている。

NEWS23のスタジオで説明していることと同じことをこのトレーラーの中でゴアが言っているようにも思えるし、映像も同じものがいくつか流れていたような気もする。

たしか番組のタイトルのようなものにも「不都合の真実」という言葉も出ていたようだし、映画の一部を利用したのかもしれない。


いずれにせよ番組自体のオリジナリティの全くない番組だったと感じられる。

いろいろな異常気象などが取り上げられていたが、よくよく考えてみると地球の温度が上がるといったことはかなり前、下手をすると20年ぐらい前から言われてきたことのように思うが、それで一体どれぐらい水位が上がったのか、ということに関しては分からなかった。

数十年後の北千住がこうなるかもしれない、という映像が流れていたようだが、本当にそうなるのだろうか。

そのころにこの番組のことを覚えている人はいるだろうか。

まず未来予測をする前にもう環境問題はかなり前から言われてきたのだから一体どれぐらい水位が上がったのかそのことに関してもっと具体的なことをいうべきではないか、という気がした。

たしかに地球の温度が上がればどこそこの雪が解けるとか南極の氷が解けるとか、そういうこともあるだろうが、一方で地球全体の砂漠化はどうなるんだろうか。

それとは関係ないにしてもいずれにせよ海面でも水分が蒸発するとかそういうことはないのだろうか。

こういったことは全く詳しくないのでよくわからないのだが、少なくとも北千住のそばを流れる荒川(放水路)などをみる限りは昔と比べてそれほど水位が上がっているとは思えない。

そんなことをもし言うのであれば北千住よりお台場とか木場のあたりのほうが水位が上がるということに関しては心配すべきかも知れない。

以前木場の方に住んでいる人から聞いたことがあるのだが、あの辺は埋めたててできた部分が多く実際には海抜はマイナスだと聞いたことがある。

実際には海抜ゼロメートル地帯と呼ばれたりしたらしい。

北千住のあたりもたびたび洪水に見舞われているので荒川放水路ができたというのはかな有名な話である。

TBSの番組ではそういうことには全く触れずにただ「数十年後の北千住はこうなる」とばかりにいたずらに恐怖心をあおる合成した画像を流すのはあまりにもお粗末な番組作りだという気がする。

きっと荒川放水路のことなどは全く知らないのであろう。

自分から言わせればたしかに地球温暖化はゆゆしき問題だがTBS自身は環境問題にどのように取り組んでいるのかの方がよほど気になる。

TBSはかなりでかい自社ビルを作ってそれほどたっていないと思うが、そのまん前でやっている工事もどうやらTBSの工事らしい。

最近行ってないからたしかなことかはわからないが、あのそばにだって小さな一戸建ての家などがあったはずである。

大規模な工事を次々にやっているとしたらそれもいろいろな意味で立派な環境破壊ではないだろうか。

世の中には自分は人に迷惑をかけながら「人に迷惑をかけるな」と説いてまわる人たちもいるような気がしてなあらない今日この頃である。

ちなみに筑紫哲也はイヤホンをして同時通訳をきいていたようだがこれからもぜひそうしていただいてできれば英語でのインタビューは勘弁してほしい。

全部勘弁してほしいと思ってもそれは無理なようだから、あの人の英語だけでも勘弁してもらいたいものだ。

ちなみに民主党から都知事選立候補の要請が来たとも報道されているが、まず出ないだろう。


その場その場自分の思いつきでしゃべっているだけの人だ。

ゴアにだってゴアが副大統領のころのアメリカの政策などについて面と向かって批判することはできなかったし、クリントンを呼んだときもそうだった。

人を批判したかと思えば、その人の権威を借りて自分の勲章にしてしまうような人に一体どれだけの都民が投票するのか、石原とディベィトをしてどういうことになるのか見てみたい気もするが、その危険性は本人が一番よく知っているはず。




DJ OZMAの紅白での一件に関するブログの後味の悪さ

2007-01-17 22:34:19 | クダ

OZMAという人たちのことは昨年末に初めて知った。

紅白のあの場面も途中から見た。

なんていうことをやってんだ、NHKはどうかしたのか、と一瞬思った。

少しアップになてみたらボディスーツだったとわかったが、それまではいきなりこんなことやってどうしちゃったんだ、と驚いた。

さて周知のようにこの件をめぐってはNHKに抗議が殺到して、事務所がNHKにあやまったりしたらしい。

その謝りかたも必ずしもすっきりとする謝りかたではなかったようだが、最近でた、OZMAのブログにおけるコメントはさらに後味の悪いものになってしまった。

こちらを読むとやけっぱちな後腐れみたいで自分は不快になりました。

自分としてはこの件に関してブログを書こうと思っていたものの、これはあとからまたなにかあるぞ、きっと、という思いからしばらく様子を見てきた。

そしてここまで来たというかんじで書くわけだが、まずこの問題はとにかく必要以上に引き伸ばされてしまった気がする。

OZMAのブログでもあのパフォーマンスを低俗なものだとする声はけしからん、というようなことが書かれていたが、それはいろいろな意見があるのだから、仕方がないことで、批判などは甘んじて受けるより仕方がないのではないか、と思う。

むしろこうしたことを書くことで問題の焦点がぼやけてしまうのではないかとすら思うのだが、ようするに問題なのは、あの時間帯の国民的番組であれをやることが適当であったかどうかということと、本当にNHKはあのパフォーマンスをチェックしていなかったのか、ということであろう。

どうも実際のリハーサルのあとに変更があったようだが、これはたしか数年前のアメリカのスーパー・ボールでのジャネットジャクソンのポロリと見えてしまった一件でも問題になったこととやや似た部分があるような気がする。

ただしあの場合にはアクシデント的なものであった印象もあるが今回は普通に考えれば、あれはあの通りのリハーサルが行なわたのでなければ、司会者の反応などがどう考えても自然すぎて、とても納得ができない。

しかもNHKは紅白の直前の番組などで綿密な打ち合わせやリハーサルをやっていることを何度となく流していたわけだから、そのリハーサルと違うことをやったとなるとそのような番組作りの裏側を流した番組の信憑性自体も問われることになるはずだ。

と言って、自分はDJ OZMAの味方をしているわけでは決してない。

もしDJ OZMAが出したようなコメントを出すならなぜ今頃出すのか、という疑問が払拭できない。

極端な話し、自分たちがもうNHKにでられない、ということが決まったからあのようなコメントを出した可能性すら自分はあの文面に感じる。

はっきり言えば男らしくない、というか、往生際が悪すぎるのである。

もしあのようなコメントを出すのならもっと早く出すべきだったと思うし、なぜ事務所が謝罪をしたということを批判しないのか不思議である。

しかもそこでも触れられているいわば共演者ともいえる北島三郎にしても、他の出演者にしても司会者にしてもその場では決して不快な表情をしていたわけではなく、むしろ感心していたふうにも見えたのになぜ「北島さんには迷惑をかけてしまった」というような書き方をするのか、その点も分からない。

そこで名前をかくほうがよっぽど迷惑にも思えるわけだが、もし書くのなら北島さんだってちゃんと協力してくれてたじゃないですか、といったふうに書いたほうがよっぽど分かりやすい。

それともあの場ではみんな協力してくれたのに、というようなことを言いたかったのか。

あるいはそうフアンが思うような文面にしたということか。

だとしたらけっこういろいろ計算してるのかもしれない。

そんなことに、気づかなかったとしたら自分は馬鹿だったということになるのかも知れないが、最近この年になってようやく自分の馬鹿さかげんに気づきだした自分としては、よくよく考えてみるとそもそもDJ OZMA自体はコメントを出さないということではなかったかということを思い出して、ますます合点がいかない部分もある。

あのブログ自体、一体どれだけ事務所が検閲なり何なりしてるのかわからないがいずれにせよアーティストと事務所はこういうことがあればもちろん協議してコメントなり何なりを出すべきではないだろうか。

それが共演した人たちなどに対するせめてもの礼儀とでもいうべきものであると思うのだが、そうした点に全く配慮せず、その場その場思い付きで事務所やアーティストが発言しているようでかなり気分が悪い話しになってしまった。

自分はこの件に関してあのパフォーマンスはみんな時間をかけて努力したのだから、簡単に謝罪すべきではないということを書こうと思っていたのだが、今となってはそのようなことを書かなかったことを自分なりに冷静に判断した結果だと思っている。

本当はあのようなブログなどを見ることなく、これは一種の表現の自由だと思いたかったが、今はそのように考える気持ちもない。


こういう非常に粗野な文をブログに書く人たちは自分で自分たちがやっていることをけがしていると思う。

同じ分野で活躍している人たちが粗野な人たちだと思われないことを祈るばかりである。




吉澤ひとみの弟さんの交通事故死の報に接して思ったこと

2007-01-13 22:54:45 | クダ


吉澤ひとみの弟が交通事故で死んだ。

原因はあまりよくわからないが、運転手の方が送検されているらしいので運転手の方に責任があるとして話を進めたい。

以前、テリー伊藤の講演を聞いた時、北朝鮮に行ったら北朝鮮では交通事故で年間一万人も死んだりしない、ということを北朝鮮の人が言っていたと話していた。

それでもやはり日本のほうがいい、と自分は思ったものだが、こういうニュースを聞くと考えさせられてしまう。

まず第一に交通事故ということをどこか自分とは関係の無い話として受け止めてしまうということだ。

自分は今のところ車とも自転車とも関係の無い生活をしているが、それでもいつ交通事故に巻き込まれないとも限らない。

この事件と関係あるかどうかは分からないが、飲酒運転とか駐車違反などに関して警察はどれぐらい本気で取り締まっているのだろうか。

テリー伊藤は日本では交通事故で一万人死ぬということを北朝鮮で聞いてきたようであるが、そこで彼は彼なりに交通事故を減らすようなにかできることはないか、などと考えたり、訴えたりすべきではないのか。

かくいう自分だって交通事故を減らす努力などできることなど無い。

いつだったか、ある有名な方が、少しぐらいなら飲んでも大丈夫みたいなことを言っているのをあるサイトで見たことがある。

たしかに自分の周りでもそのようなことを言っている人を見たことはある。

しかしその人は過去に身内を交通事故で亡くしていることなどを考えればそういう場面を目にして自分なりになにか発言すべきではなかったか、などと思う。

とにもかくにも吉澤ひとみにはなんとか立ち直ってほしいと願わずにはいられない。




首相夫人ブログは批判するほどのものでもないと思うが

2007-01-10 19:27:32 | マスコミ批判

最近安倍首相婦人がブログhttp://akie-abe.jp/をはじめてそこでセレブな生活を披露してはしゃいでるということで批判されているらしい。週刊文春にもそのことが書かれていた。

実はこのことは去年の暮れからさんざん言われていることで、この婦人もテレビの取材も受けたりしていたけれど、セレブな生活をブログに載せているからけしからん、とまでは思わない。

首相夫人がブログに「どこそこのスーパーが安かった」とかそんなこと書くわけないし、人はそれぞれ違っていてあたりまえで、だからブログも面白いとも思えるわけで、自分などはそれほど気にもならない。

そのブログがけしからんと言ってる人たちは首相夫人が自分たちと同じ生活をすべきだと思っているのだろうか。

庶民の苦しみを知れとか、いろいろ言いたいことは納得できないでもないけれど、それは土台無理な話しというものではないだろうか。

むろん生活者の視点にたった政治を首相にしてほしいとは思うけれど、それも期待薄である。

いずれにせよ政治家の私生活と政策をまず切り離して考えることから政治家も国民も始めるべきではないかという風に自分は思う。

今まで庶民的な雰囲気の政治家がこの国の宰相になったことはあって、それなりに国も発展したのだろうけれど、それがどういう結果をもたらしたのかというと、巨額な財政赤字ではなかったか。

昨今、政治家のスキャンダルが後を絶たないが、これはようするにそれほどたいして金持ちでない人たちが無理に政治家になって四苦八苦したあげく失態をさらしているというふうに自分には見える。

政治などは金持ちにやらせればいいのだと自分は思うのだが、金持ちの政治家というのはもうたくさん金はあるから、自分たちの利にかなうことはしなくてすむだろうと思いきや、逆に自分たちの利にかなうことを石原慎太郎のようにあからさまにやっているこことが問題なのであって、それに比べたら首相夫人がセレブな生活をブログに書いているということはこの国がいかに平和かということの証明ではあっても、たいした問題ではないと思う。

いずれにせよ安倍内閣はもう末期的症状といってもいいと自分は思っているのでむしろこの婦人は自分からいわせればかわいそうなものである。

むろん人の同情をしている場合ではないが、自分のように匿名でブログを書いて安い喫茶店で考え事をしたりするのに勝る喜びはないはずだなどと開き直ってみたい気もする今日この頃である。

それにしても最近テレビではよく「ブログ」や「インターネット」という言葉を取り上げるようになった。

以前はこうした言葉もあまりテレビは取り上げたくなさそうにさえ思えたものだが、昨今ではブログの中身なども取り上げられるようになっったのが自分には意外である。

考えようによっては首相夫人たるもの、「ブログ」を始めること自体意外というか庶民の立場に下りてきたようなものであって、そこまですることはなかったのではないかとも思える。

庶民の側から言えば、そんなことをするからいろいろ言われるのであって、もしかしたらそのブログを批判している人からすれば「ブログ」は庶民の専売特許だという意識がどこかにあってそれでしゃくにさわるということがあるのかもしれない。

昔海部総理の奥さんがやたら目立つというので批判されていた。

この首相夫人もこれからますます批判されてゆくのだろうか。

前の前の総理のように総理自身が毎日色々言われるよりかはよほどましだと思うが、少しでもこんなことに人の注意が向くことでこの総理のやっていることから目をそらさせる効果はたしかにあるであろう。

その意味でこのブログを批判するならある程度理解はできるが、自分からすると夫婦というのは所詮他人なのだから、婦人のブログと旦那の政策などを結びつけて束縛することもないのではないか、とも思う。



青島幸男と橋本龍太郎が後世に残したつけは遺族でなく国民や都民に残された

2007-01-02 19:10:43 | マスコミ批判


新年明けましておめでとうございます。

このブログを見てる人の中には自分の友人も含まれているので、この場を借りて申し上げます。

旧年中は大変お世話になりました。

今年もどうぞよろしくお願いします。


昨年のうちに書きたかったことなのですが、昨年末に青島幸男さんがなくなりました。

むろん亡くなった方のご冥福は誰であれ祈るべきかもしれません。

しかし、政治家などの場合死んでしまえばその人の負の側面が消えてしまうわけではありません。

この人が都市博を中止したことで一体どれだけの借金が東京都に生じたのか今現在自分は分かりません。

どこかのマスコミがそういうことを書いてくれれば分かるわけですが、自分がみた限りその数字などを出しているところはありません。

ようするに死んでしまえば、できるだけいいことばかりを書いて悪いことは忘れるようにする。

それがマスコミの悪い癖で、そのおかげでこの国の国民は政治に関してまともな判断をすることができなくなるわけです。

この都知事を選んだのはようするに東京都民です。

はっきり言えばこういうタレント議員を選んだ都民が悪いわけです。

しかし、あの都知事選のあと自分の記憶ではかの朝日新聞ですら、都市博中止には社説で警鐘を鳴らしたはずです。

にもかかわらず、初志貫徹というのでしょうか、この政治家は都市博を中止して、東京都に莫大な借金を負わせました。


そのことを青島さんが死んだ時などにもっとマスコミは大きくとりあげげるべきだったと思います。

ワイドショーなどは逆に政治家としてのこの人の活動よりもタレントとしての活躍を忘れるなというような取り上げ方で、いかにも一億総白痴化の申し子らしい取り上げられ方だと妙に納得しました。


青島さんの都知事としての負の遺産は決してこれだけではないのです。

都の税金の使い方に関して住民の情報公開の請求に誠実に答えなかったり、在任中の不祥事など、この人の都民に与えた失望といかりは数知れなくあったはずです。


死んだと言えば、橋本元総理も昨年死にました。

この政治家が死んだ時、週刊文春が意外なことにこの政治家をかばいむしろなぜか小泉さんを貶めるような書き方であったように思いましたが、その点は今確認できません。

実はその後、週刊文春が生前、橋本さんに関してどのような報道をしていたのか、自分なりに思い出してその証拠のようなもののも探した上で書こうと思っていたら年末になり、新年になってしまいました。

でも書かないわけには行かないので書かせてもらいますが、週刊文春はこの政治家のスキャンダルを執拗に追いかけていたのではなかったでしょうか。

そのことを思い出させてもらったのがたしか、昨年の年末の週刊文春の「今年なくなった人」みたいなモノクロの特集でそこには「諜報部員と思しき中国人女性と交際するなど脇の甘いところも見せた」という表現でした。

実はこの直前の行財政改革に関する部分も自分としてはひっかかるのですが、ここはさておきまして、この「思しき」ってなんだよ、と思いました。

自分はネットなら何でも勝手に書いていいとは思っていません。

ですから、できれば週刊文春が以前どのようなことを橋本さんに関して書いたのか調べようとしたのですが、その手間隙を惜しんでしまいました。

しかし、週刊文春が「思しき」というふんに書いているわけですから、自分だって週刊文春がかくかくしかじかと書いたと推測して書いたとしても批判されるいわれはないと今書きながらつくづく思うわけであります。

今までもそういうことは少なからずあったわけですが、推測で書いてもいいというより、一々前回のエントリーのように何年何月何日号のこの雑誌にこう書いてある、などと証拠を突きつける必要もないな、と思いました。

とにかくこの橋本という政治家がいかに日本の舵取りを誤ったかということについては今さらいうまでもないでしょう。

とにかく、週刊文春は橋本さんの中国自分女性との交際をスキャンダラスに何べんも取り上げていたのではなかったでしたっけ。

それを死んだ時には「思しき」などと言ってごまかすのはマスコミとして最低のことです。

「思しき」で書くのかよ。それでは「推定無罪」ならぬ「推定有罪」ではないか、なぜ生前きちんとしらべて白黒はっきりさせなかったのか、と思われてなりません。

ちなみに自分は当時この報道に興味はありませんでした。

ようするにこういうことだからです。


週刊文春以上に問題なのははっきり言って橋本さんやその遺族の対応、というよりきちんと対応しなかったことに問題があります。

それが事実無根であるなら法廷で争うなどすべきでこのようにうやむやにしたまま、死なせてしまうなど、とんでもない話です。

むろんこの政治家の恥知らずさ加減はあれだけの経済失政をしながら再び総理に立候補した時点で国民誰もが分かっているわけですが、それにしてもひどい政治家でした。

自分はこの人物が勉強会のようなものを作ったときに記者会見で「また総理に立候補するのか」という質問が出たときに「嫌だね、そういう質問が出ること自体」とふてくされて言っていたのを思い出します。

それ以外にもなにかの討論番組でフジの黒岩キャスターが「財政赤字をどうしますか」と聞いたら、逆に「今財政赤字がどれだけあるのか知っているのか」と訪ねて黒岩がなきそうになったのを思い出します。

その後で黒岩が橋本をなにかのことでご機嫌をとったら「ほめてくれてありがとう」などと言い、黒岩は「これだけいじめられてほめるのもつらいものがあるんですが」などと苦笑していたのを思い出しますが、ようするにこの人は議論をさせない名人でした。

自分の嫌なことをきかれるとこわい顔をして人をにらみつけて怒る人で、いかにも昔の政治家だった印象があります。

いつだったかの選挙での自民党のCMはこの人が剣道をやっているCMだったと思いますが、それにか限らず、政党助成金という税金をこのような使いかたされたらたまらん、ということもされてしまいました。

したがって、この人が総理のあとに行革大臣?をやったこと自体が税金の無駄だったと思います。



政治家は後世の歴史家の判断に任せるなどと言って国民の意に沿わない政策をやることが時としてあるようです。

橋本の増税の時にもそのようなことが言われたかは分かりませんが、とにかくこの人の消費税値上げでどれだけこの国の経済が破壊され国に借金がふくらんだか、これもこの人が死んだ時にそれほど取り上げられなかった気がします。

政治家は鬼籍に入ればみんな「立派な政治家」なってしまうんでしょうか。

政治家のほうもようするにマスコミがこんなものだとみなたかをくくってるわけでしょう。

死んだ後には遺族には肩書きや名誉だけが残ります。

国民や都民は莫大な文字通りのつけが残されるというわけです。

橋本龍太郎に関してはサイトぐらいもういい加減更新するなり、消すなりしたらどうかと思いますが、ようするにどうでもいいってことですかね。


スーダラ節でも歌いたい気分です。


統一してませんが、ところどころ文中敬称略です。