妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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朝日の社説を書いてる人は本当は自分たちの方が間違ってると分かっているのではないか?

2006-06-30 22:26:34 | マスコミ批判

朝日の社説は相変わらずおかしなことを書いてるな、と思う。

自衛隊のイラクからの撤収に関してどうしてこんなことを書けるのか不思議でたまらず、何をどう書いていいのかずっと迷っていたらその社説はweb上では見られなくなってしまった。

一々図書館で確認する気も今は起こらないが、要するに自衛隊が今まで無傷でいられたのは「幸運」だったと書いてあった。

それはたしかにそういうこともないとは言えないけれど、戦闘地域だったら、本当に無傷ですむのだろうか。

もちろん戦闘地域にいて無傷でいることもないとは言えないけれど、無傷とはいえ自衛隊を目標にした攻撃もあってそれでも無傷であったわけだから、自衛隊が活動していたところに致命的な攻撃をするほどテロリストが近づけない地域性のあるところで自衛隊は活動していたように自分には思える。

日本の自衛隊は一応自分たちに被害の及ばないような状況で活動していたことは認めるべきであろう。

これだけイラクでテロが続発して、他国の軍隊やジャーナリストなどに犠牲者が耐えない状況で自衛隊は一応今のところ無傷でいるということは、どう考えたって戦闘地域と非戦闘地域の境界があってそこの見極めがよくできていたということではないだろうか。

もちろん他国の軍隊に保護されていたことは忘れてはならないし、これからも絶対に安全が保証されているかどうかは必ずしもわからない。

たしか電力供給の活動はまだ行われるはずだと思うが、とにもかくにも自衛隊の活動には少しは感謝すべきではないだろうか。

今現在必ずしも安全な状況ではなくなってきたから撤退するようであることは残念だが、そうした判断自体があれほど国会などでかまびすしく議論された戦闘地域と費戦闘地域があるや無しやという議論に関してかなり重要な証拠が提出されていると私は思っている。

もしかりに自衛隊に犠牲者が出て小泉が「運が悪かった」などと言ったら朝日新聞はそれこそ目の玉をひんむいて怒るであろう。

自分もそういうことはいうべきではないと思う。

もちろん自衛隊が今まで無傷であったことに関してそれを祝う気持ちで幸運というならいいが、自分たちの主張が間違っていることを「幸運」という言葉でごまかされる幸せな神経の人たちが朝日をはじめとするマスコミにいかに多いかあらためて愕然とする。

こちらの6月25日の朝日の社説では最高裁判決に関してまたおかしなことを書いている。
 
一連の靖国参拝訴訟では、地裁や高裁で、「首相の参拝は違憲」という判決と、憲法判断をしない判決に二分されている。

などと書いているが、朝日はテレビなどでも「首相の参拝は違憲」という判決ばかり取り上げてきたことをどう思っているのだろう。

今頃こんなことを書いて少しは反省でもするのかと思いきや、「最高裁が判断を避け続ければ、『憲法の番人』としての役割を果たせないのではないか」などといっている。

自分たちの気に入った判決はその判決に従わないのはけしからぬなどということをさんざんいい散らかしておいて、「首相の靖国参拝に対する司法判断を求めて提訴した原告には、肩すかしの判決となった」とは一体どういうことなのか?

朝日こそ肩透かしを食らわしているのではないのか?

「いずれにせよ、最高裁は首相の靖国参拝を認めたわけではない」というがでは、参拝を禁じたのか?


自分たちに都合のよいことばかり書いて国民を惑わせるのはやめてくれませんか?

「首相らが政教分離に反する行いをしたと国民が考えたとき、どこに訴えたらいいのだろう」と書いているが、「最高裁は97年、愛媛県が靖国神社に納めた玉串料などの公費支出について『宗教的活動にあたる』として、違憲判決を出した」と書いているではないか。

普通にまっとうな主張をすれば訴えをしてそれなり判決が出ることは分かっているくせになんでこういうことを書くのか。

ようするにこれは国民がこういう書き方でだまされると思って書いているということだろう。

この裁判における原告は「01年の首相の参拝によって精神的な苦痛を受けたとして、損害賠償を求めていた」わけだが、その損害賠償が妥当なものであるかどうかは朝日はまったく論じていないようだ。

外交とかそうした問題に話をすりかえているようにも見える。

肩透かしは朝日のほうではないか?


週刊新潮の「非国民」と罵倒された日本人女性の「ある行為」という記事はひどい人権侵害ではないか?

2006-06-22 23:14:58 | マスコミ批判

自分はそれほどサッカーは詳しくはないのだが、2002年のW杯の時には「にわかフアン」になって、それなりに熱狂した覚えがある。

今回はあまり熱狂しているわけでもないが、それでもテレビで何試合か見て、「いい試合だった」とか、「つまらない試合だった」などと思ったりはしていて、具体的な感想をどこに書こうかいまだに迷ったりしている。

しかし、それ以前にまずここにで訴えたい事が一つ生じたので、書きたいのだが、まず日本人ならば、みな日本代表を応援しなければならないというこの風潮についていけないものを感じることを正直に申し上げたい。

はっきり言ってしまえば自分はサッカーに関して言えば(何に関してもかもしれないが)非国民なのである。

しかし、この「非国民」という蔑称はよくよく考えて使う必要があると思う。

これはよほど国益に反することをした人間にのみ使うべきであることは言うまでもない。できれば使わずに済ませた方がいいに決まっている。

もう一度あらためて前置きのようなことを書かねばならないが、自分はW杯を観戦もしくは応援に行く一般の人たちというのは、よほどお金と時間のある人たちだと前から思っていて、自分などはうらやましいというしかないものを感じている。

これは今回に始まったことではなくて、フランスの時にも大勢の日本人がフランスの田舎のほうにまで行ったということなどで話題にもなったのは記憶に新しい。

さて、今回のW杯に関しては日本のサッカーは今の時点ですでに成績も決してよいとは言えず、内容もよくないと思っている。

本当はもっと言いたいことがたくさんあるのだが、とりあえずブラジル戦の結果が出てからまたあらためてどこかに書こうと思っているのだが、今回はまずクロアチア戦にまつわる変なエピソードのようなものについて書きたい。

やっと本題に入りつつあるわけだが、この試合に勝てなかったのは日本にとって非常に痛かった。

それ以上に自分はオーストラリア戦の敗北がまず痛かったわけだが、中田(英)も言ってるように「次は勝たなきゃいけない」と前からマスコミも選手も言ったわけで、にもかかわらずクロアチ戦で引き分けたというのはあまり喜べない事態であったことも確かであろう。

自分はテレビでこの試合を見ていたが、試合終了とほぼ同時にある日本人女性が大写しになったのだが、試合の結果を喜んでいたようなので、自分は反感を感じた。
そのことについても、自分は書こうかとも思ったぐらいなのだが、週刊新潮ではこの女性がネット上で「非国民」呼ばわりされていることを報じている。

こういうことは今回に限ったことではないが、ひどくさげすむべき行為である。

ネット上なら何をしてもいいなどというつもりはないが、ようするに週刊新潮はネット上で行われている心無い行為を取り上げて、騒いで面白がっているととられても仕方がないだろう。

詳細については週刊新潮をごらんになっていただきたいが、ようするにこういうことを週刊誌が取り上げること自体がネット上の騒ぎどころではない人権侵害だと自分は思う。

自分たちがこの女性に文句があるなら、自分たちの意見として書けばいいものをネット上で非国民呼ばわりされているなどとして責任を転嫁して、自分たちがこの女性にたいしてすさまじいばかりの人権侵害をしていることをごまかそうとしているとしか思えない。

もちろん私は週刊新潮はひどい人権侵害をしていると思うし、修整がほどこされているとは言え、顔が写っている画面まで出しているとなると、それなりに誰かが法手続きをして今さらではあるが、回収をするぐらいのことはすべきであると思う。

もちろん週刊新潮だけでなく、一人の女性を写しすぎたという責任がテレビ局に問われてくる可能性もあるだろう。

一般の一人の女性が自分たちの気に喰わない反応をしたからと言って「非国民」呼ばわりする人たち、さらにその騒ぎを面白がって取り上げる週刊誌、自分にいわせればこういう人たちこそ同じ日本人として恥ずべき「非国民」ではないのだろうか。

ネットと週刊誌、それも週刊新潮のように巨大な発行部数を誇る週刊誌とでは全く影響力が違う。

もちろん自分だってその女性の反応には強い疑問を感じたし、ここで取り上げることもさらに騒ぎを広げる可能性もあるとは思う。

しかし、もうすでに週刊新潮にこれだけ取り上げられた以上、そのことの是非については考える必要があると思う。

前回のW杯では、客席にいた韓国の女性がきれいだということで、騒がれてテレビなどにも出るようになった。

しかし今回、こういうことが起こった以上は、今後はスタンドにいる観客の肖像権ということも考える必要があるかもしれないとまで思わされた一件であった。



藪本ブログ炎上再考「あなたと日テレ」がきいてあきれる日テレの隠蔽体質とふてぶてしさ

2006-06-19 22:18:35 | マスコミ批判

自分が書いたことと似たようなことがあとになって新聞などに書かれているような気がすることがある。

同じことというより、実際にはそういうことではないのだろうが、自分の見方が少しは取り入れられた、あるいは自分の書いたことを意識して書かれたかのような気がして仕方がなくなってしまうことがあるということだ。

たとえば以前、自分は野田聖子が国が借金を重ねてきたことを批判していることに関して、野田が郵政大臣だった小渕内閣がものすごい借金をしたことについて書いた。

しばらく後に金子勝慶大教授が「週刊文春」に小泉政権がその在任期間全体にわたってしてきた借金が今まででもっとも莫大であることを長々と書いているのを見て、これは自分のようなことを書いている人間に対する反論?ととることも可能だと思った。

しかし、あの文章には小泉の在任期間がすでに歴代首相と比べて長いことや、国債費についてあまり触れられていなかったので、自分の勉強になるようなものではなさそうで、まともに読まなかった。

最近の朝日でも靖国訴訟に関して朝日が特に重要視している判決とはやや違った判決が高裁ででていることにほんの少し触れている部分を社説で見たりしたが、全くいい訳にもならず、ごまかしにもならないものだと思ってそのまま無視した。

もちろん無視すればいいのだけれど、やっぱりこうして書いているのは心のどこかでこうしたことが引っかかっている証左であることは認めざるを得ない。

またしてもずいぶん間があいてしまったが、前回のブログで藪本のブログについて書いた際、自分は日テレの不祥事を植草教授(この人はどこかの大学の教授にまたなったそうなので「元・早大教授」という書き方が適当かは分からなくて「週刊文春」はもしかしたらその点を意識した書き方になっていたのかもしれない)の事件と比較してあまりに日テレの対応などが甘すぎるということを書いた。

もう先週号になってしまうが、「週刊文春」は植草教授だけでなく、田代まさしなども例に挙げて、日テレの自分たちに対する抗議に対してさらに強く抗議していた。

「週間文春」と意見があってしまうのはあまり愉快ではないけれど、実際昔から意見が合うどころか、いろいろ読んでいて共感する部分も多いのだから今回も仕方がない。

それにしても藪本のブログは一時的に完全に閉鎖されたりしたようだが、なんとも後味の悪い対応をしているように思えてならない。

繰り返しになるが、まずこれは「オフィシャルブログ」でしかも見た感じはLivedoorがかなりカスタマイズしているようにも見えるわけだから、けっして個人が趣味でやっているブログではなく、Livedoorもしかるべき対応を取るなりサポートをするなりすべきではなかったか。

記事を消したりアップしたり、また消したりでは本当にわけが分からなくなるし、その間の藪本のコメントなども感情に流されたものだったようだ。

自分も初めてトラックバックを送ってみたが、ものの見事に消された。

ここ数年、性犯罪のたぐいがあるたびに、「被害者に落ち度があった」と主張しているかのごとき発言があり、それがたたかれ、またそれをたたき、などという応酬がよく見られるようだが、今回も同じようなことが繰り返された印象を持つのは自分だけではあるまい。

藪本の書き方が誤解を招くような書き方であったことは事実であったろう。しかし、具体的にどういう点がまずかったのかもう少し吟味すべきだったのではないかという気も自分はしているのだが、そういうことはなされずに終わってしまったようで残念である。

よく本屋に行くと「万引きは犯罪です」という貼り紙のようなものを見かける。
駅でも「痴漢は犯罪です」という貼り紙のようなものを見かける。

そのうち「盗撮は犯罪です」という貼り紙が駅の階段などにされるようになるかもしれないとさえ思う。

言っておくが、藪本のブログが盗撮が犯罪ではないかのごときニュアンスを伝えるものであったとまでは言わない。

むしろ日テレがこの件が不起訴処分になったことでできるだけ具体的なことは公開せず騒ぎを沈静化しようとしていることがまず何よりも問題で、その流れと藪本のブログの炎上はけっして無関係ではない。

薮本にしても日テレの処分が甘いことをまず嘆いていたはずだ。

これでは日テレは不起訴処分になってしまえば犯罪ではないと主張しているようなものではないだろうか。

日テレは日曜の早朝に「あなたと日テレ」という番組をやっていて、一般の視聴者から番組に対する意見を募ってるらしい。

こちらが番組のサイトです

自分たちの不祥事を明確にする事もなく、こうした番組をやっている人たちの神経にはあきれるばかり。

それとこの事件を起こしたアナウンサーはこれだけ世間を騒がせておいて、今でもこの会社にいるのだろうか?

考えてみるだに恐ろしい会社である。


                      (文中一部敬称略)