朝日の社説は相変わらずおかしなことを書いてるな、と思う。
自衛隊のイラクからの撤収に関してどうしてこんなことを書けるのか不思議でたまらず、何をどう書いていいのかずっと迷っていたらその社説はweb上では見られなくなってしまった。
一々図書館で確認する気も今は起こらないが、要するに自衛隊が今まで無傷でいられたのは「幸運」だったと書いてあった。
それはたしかにそういうこともないとは言えないけれど、戦闘地域だったら、本当に無傷ですむのだろうか。
もちろん戦闘地域にいて無傷でいることもないとは言えないけれど、無傷とはいえ自衛隊を目標にした攻撃もあってそれでも無傷であったわけだから、自衛隊が活動していたところに致命的な攻撃をするほどテロリストが近づけない地域性のあるところで自衛隊は活動していたように自分には思える。
日本の自衛隊は一応自分たちに被害の及ばないような状況で活動していたことは認めるべきであろう。
これだけイラクでテロが続発して、他国の軍隊やジャーナリストなどに犠牲者が耐えない状況で自衛隊は一応今のところ無傷でいるということは、どう考えたって戦闘地域と非戦闘地域の境界があってそこの見極めがよくできていたということではないだろうか。
もちろん他国の軍隊に保護されていたことは忘れてはならないし、これからも絶対に安全が保証されているかどうかは必ずしもわからない。
たしか電力供給の活動はまだ行われるはずだと思うが、とにもかくにも自衛隊の活動には少しは感謝すべきではないだろうか。
今現在必ずしも安全な状況ではなくなってきたから撤退するようであることは残念だが、そうした判断自体があれほど国会などでかまびすしく議論された戦闘地域と費戦闘地域があるや無しやという議論に関してかなり重要な証拠が提出されていると私は思っている。
もしかりに自衛隊に犠牲者が出て小泉が「運が悪かった」などと言ったら朝日新聞はそれこそ目の玉をひんむいて怒るであろう。
自分もそういうことはいうべきではないと思う。
もちろん自衛隊が今まで無傷であったことに関してそれを祝う気持ちで幸運というならいいが、自分たちの主張が間違っていることを「幸運」という言葉でごまかされる幸せな神経の人たちが朝日をはじめとするマスコミにいかに多いかあらためて愕然とする。
こちらの6月25日の朝日の社説では最高裁判決に関してまたおかしなことを書いている。
一連の靖国参拝訴訟では、地裁や高裁で、「首相の参拝は違憲」という判決と、憲法判断をしない判決に二分されている。
などと書いているが、朝日はテレビなどでも「首相の参拝は違憲」という判決ばかり取り上げてきたことをどう思っているのだろう。
今頃こんなことを書いて少しは反省でもするのかと思いきや、「最高裁が判断を避け続ければ、『憲法の番人』としての役割を果たせないのではないか」などといっている。
自分たちの気に入った判決はその判決に従わないのはけしからぬなどということをさんざんいい散らかしておいて、「首相の靖国参拝に対する司法判断を求めて提訴した原告には、肩すかしの判決となった」とは一体どういうことなのか?
朝日こそ肩透かしを食らわしているのではないのか?
「いずれにせよ、最高裁は首相の靖国参拝を認めたわけではない」というがでは、参拝を禁じたのか?
自分たちに都合のよいことばかり書いて国民を惑わせるのはやめてくれませんか?
「首相らが政教分離に反する行いをしたと国民が考えたとき、どこに訴えたらいいのだろう」と書いているが、「最高裁は97年、愛媛県が靖国神社に納めた玉串料などの公費支出について『宗教的活動にあたる』として、違憲判決を出した」と書いているではないか。
普通にまっとうな主張をすれば訴えをしてそれなり判決が出ることは分かっているくせになんでこういうことを書くのか。
ようするにこれは国民がこういう書き方でだまされると思って書いているということだろう。
この裁判における原告は「01年の首相の参拝によって精神的な苦痛を受けたとして、損害賠償を求めていた」わけだが、その損害賠償が妥当なものであるかどうかは朝日はまったく論じていないようだ。
外交とかそうした問題に話をすりかえているようにも見える。
肩透かしは朝日のほうではないか?