日本語として、あるいは法律用語の点から見て正しい言い方か分からないけれど、たとえば「判例からみた殺人事件に対する量刑」とか言えば妥当な言い方だろうが、「殺人犯に対する刑罰の相場」などといえば不穏当とか適切でない言い方ということになるんだろうか。
どちらが分かりやすいかと言えばおそらく後者のほうが分かりやすいんじゃないかと思う。
青学大の瀬尾准教授とやらが「赤ちゃん」を0.5人とカウントした言い方は分かりやすがとにかくまずい言い方だ。
でもこの人の言ってることは分からなくもない。
自分も死刑廃止論者ではなく、こういう事件の犯人が終身刑になったらもしかして一生税金で生活が保障されることになるのかもしれないし、死刑がいいとは思う。
しかし、この事件に関しては本来死刑はありえなかったとも思う。
相場から言ってありえないと思う。
死刑にすべきではない、ということではなくて、「普通に」裁判やってれば死刑になりえなかった事件だということが言いたいのである。
逆説の接続詞を何べんも使っていることで分かるように、自分としてもなかなか考えがまとまらないと思われるかもしれないが、やっぱりこういう問題を考える時にはある程度、あれやこれや考えるということは必要だと思う。
あまり報道にしろ判決文の要旨にしろ詳しく見ているわけではないけれど、これは相場という言い方はよくないが、分かりやすく言えば、殺人事件には「相場」と言ってまずければ「妥当な線」っていうものがあったはずだ。
永山基準なんてことはともかく、この犯人は犯行時18歳1ヵ月で、1ヵ月早い犯行であれば死刑判決はありえなかった。
また報道によれば家庭に不幸があったらしいことや計画性がなかったようであることも考えれば、これで死刑という判決はありえないはずだったのではないか。
ありえないから、本村さんも涙ながらに死刑の必要性をあちこちで訴えたということであろうし、自分も死刑にすべきだと思ったり書いたりしたかもしれない。
しかし、たとえば史上最悪の凶悪事件とも言われるコンクリート殺人事件の場合加害者の年齢などからすでにほぼ全員出所しているのみならず、なかには再び逮捕されている者もいる。
この事件では被害者が一人に対して加害者は2人以上であるが、少なくとも加害者の一人は18歳だったようなのに死刑にはなっていないのである。
たとえ、一人を殺したにしても犯行の残忍性などからすれば、この犯人からまず死刑にすべきではないかと思うのだけれど、そういう声は司法当局には届かない。
最高裁の妻に関して瀬尾はいろいろといったようだが、テレビ見すぎの奥さんが旦那の判事に影響を及ぼしたみたいな言い方はそれが不適切と言うより、事実と違うだろう。
これは勝手な推測だが、テレビ見すぎで影響された人が最高裁に直接電話して死刑にしてください、と頼んだのではないか。
きっとそれで差し戻し判決になったということであろう。
それがおかしいと自分は思う。
この事件に関しては「民の声」が司法に届いてしまったのである。こんなことなら民が裁判をやればいいと言うのは本来は「暴論」だと思うけれど、実行されつつある。
こんな調子で判決が下されるようになっていったら被害者の家族がテレビで顔出しして取材に応じるかどうか、あるいはそれに世間がどう反応するかなどで裁判のゆくえが決まって行ってしまうだろう。
また一般世論に異論を挟むこともできなくなってしまうのではないか。
こんな状況で裁判員制度が始まってしまって本当にいいのだろうか。
鳩山ではないが、何人殺した場合には無期、とか死刑とか決める公式を作ってそれで決めた方がよっぽどすっきりする。
弁護団に対する懲戒請求でも、今度の青学の騒動でもそうだが、とにかく騒ぎすぎである。
青学の学長のコメントも瀬尾の謝罪のコメントも見たが、情けないな。
結局うるさいから謝ってるということだろう。
謝るんなら最初から書くな。
だいたい大学の先生はブログなんかやってる暇があったら論文を書け。
大学と関係ないというなら自分の名前出すな。
ほかにも大学の教員でブログやってる人は多いけれど、少しは恥を知れ。
志村けんでも自分は芸で笑いをとるんで、ブログで笑いとるつもりはないといってる。
自分の名前出す人も、職場の場所を書いてどこそこの教授とほのめかす人も給料もらってる以上少しはまじめに働け。
本を書いてる人でも自分は学者だの、学者でないだの生半可な学者だの柴田元幸とか何言ってんだと思う。
タレントになりたいんだったら吉本とか芸能事務所へ書類出せ。
断れてるのかもしれないが。
だいたいこれだけニュースになってるのに青学のサイトも瀬尾のブログもサーバーが落ちないってどういうことなんだ。
芸能人でもニュースになるとレンタルサーバー使ってるとこでも落ちて、それをまた関係者が自慢してお幸せなサイトも見たりしたがも最近はYahooでさえ、混雑してつながらないことがあるのに、FC2はともかく大学は一体どんだけサイトに金かけてんだよと不思議に思う。
そのくせ、大学は財政的に大変だって騒いでるわけだからどうかしてるよ。
この伊藤定良という学長のプロフィールみたら、一千万単位の学術振興会の補助金を二回にわたってもらっている。
個人でということではないかもしれないが、いくらなんでもこれはもらいすぎだろう。
だいたい文科系の学者や学者の卵がどれだけ研究に金必要なんだ。
しかもこの学長の業績見たら数十年の研究生活で著書は二冊だけらしい。
それでも学者のなかではまし、ということで学長になったのだろうけれど、論文のタイトルとか見たら全部似たような話しばっか。
全部個別にカウントしていること自体すごくおかしい。
ちなみに現在は科研費に関する数字は見えない模様。
私学助成は大学全体でいくら払われてるかはまったく分からない。
いずれにせよ大学の教員なんて要するに研究や教育よりブログに力入れたりしてるわけだから、私学助成を根本から見直す必要あるとあらためて主張したい。
瀬尾のブログは足立区の学力テストなどについて私には勉強になることもけっこう書いてあるし、生活保護がもらえれば今すぐにでも大学辞めたいと書いてたわけだから、生活保護は無理でも失業保険ぐらいは出るだろうし、謝罪なんかせずに大学なんか辞めてブログに集中すればいい。
だいたいあんなこと書いて職場にい続けたのも図々しいし、「個人的なブログ」とか言ったって大学だってリンクも貼ってたし、放置してたわけだからどうしようもない。
今四月だから来年にはこんなこと忘れられてるだろうけど、これでは受験生は減るだろうな。
青学と言えば何年か前に沖縄の戦争に関する説明してる人がつまらなかったとか書いた英文が高等部の入試に使われてそれでも謝罪していた記憶がある。
あんな英文一体誰が書いたんだか知らないが「キリスト教」とか「建学の精神」とか言っったって何が関係あるのか。
だいたい学長だって瀬尾にしたって学歴には青学の青の字もないわけだが、いずれにせよ大学は個人的な人格教育するような場所ではないだろう。
入学定員(たとえば英米文学科は300人)とか見れば、学生から金だけとって人気のある授業は登録できないぐらいのマスプロ教育やってることは明らかなのに何がキリスト教だとあきれる。
最後に話は変わるがついでに書く。今枝弁護士が橋下に対する訴えを取り下げたようである。
長い手紙をもらったようだが、それも公開すべきではないのか。
web上で見られる長文の手紙もあるけれど、あれは問題を弁護団の法廷戦術などにすりかえて、今枝にダメージをおわせようとしているにすぎない。
全部読むのも疲れるし詳しく書くのも疲れるが、ようするにそういうことだろう。