妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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今日も一人で。。。

2005-04-30 20:24:56 | つぶやき

昨日から母親が旅行に出ているので、遠慮なく朝まで生テレビを見ることができたが、眠くて集中して見られなかった。

今日こそはじっくり昼寝するかと思いつつ、Gooブログのトップを見てみたら一箱古本市の情報を得て2時ごろに出かけた。

それだけでなくわりと親しい古本屋に行ったら、ブック・オフがかなり安くで売っているというので行ってみた。

あまりほしい本はなかった。

とにかく本は家にあふれかえっているので本は買わないにこしたことはない。

それでも、二つの図書館から借りているし、今日も図書館ともなんともつかぬところから、また4冊借り、古本屋でも計2冊買った。

それほどいい買い物ができたといえるかどうか分からないけれど、ブログで情報をえて、すぐに行動に移せるというのは非常にありがたい。

ちなみに一箱古本市は今日限りである。

とにかくこれからいろいろ片づけをしなければならない。


しかし今日はすこしつかれた。明日にするか。といって今日まで来たのか。。。


あしなが育英会による列車脱線事故の募金は早すぎませんか。

2005-04-30 12:24:11 | つぶやき

こちらでは先日おきたJR福知山線脱線事故の被害者のご家族への見舞いなどを目的にしたあしなが育英会による募金が始まったことを伝えている。

募金がきちんと全額被害者の家族にとどけられれば問題はないと思われるかも知れないが、自分は今の段階で募金をはじめるのは早すぎるのではないかと思う。

まず募金を行っている団体に真っ先に考えてほしいことは、事故の被害者の方々はまだ先のことを考える余裕がない人も多いであろうということである。

そして、今回の事故はJR西日本によって起こされた事故であって、

事故の補償、金銭的援助ということはJR西日本が全て充分に行うべきだということである。

これはあくまでも個人的な意見になるが、この事故に関してはJR西日本に責任があることは明白になったようであるから、寄付を募るのはどうかと思う。

そして列車に乗り合わせた人たちだけでなく、列車が突っ込んだマンションの住民の方々も非常に不自由かつ不安な日々をすごされているにもかかわらず、

列車に乗り合わせて被害にあった方々のことを優先にすべきだということで、JRに対してまだ何も抗議や交渉をしていないのではないか。

ということである。

自分はこのマンションの住民の方々もそのままそこに住むのは難しく、その方々に対してもJR西日本は当然のことながら充分な補償をすべきだと思う。

いずれにしても、金銭面の話は非常に微妙な問題であるし、まだ早過ぎると思う。

NHKが改革をうたう番組を流したようだが。。。

2005-04-29 22:38:28 | マスコミ批判

「再生と改革に取り組むNHK予算~衆・参総務委員会審議から」とか言う番組を

途中から見た。


これは前にあったような討論番組ではなくてNHKのアナウンサーと会長、それ

と聞き手みたいな感じで見城美枝子が出ていた。


前回の討論番組はなんとも言いようがない悲惨な感じがしたが、今日はまた

きれいにまとめすぎてる感じで、それが鼻についた。


国会の質疑の模様をダイジェストで放送していたのだが、野田聖子にはもう

あまり興味はないが(いずれまた、あるテレビ番組の感想などを書きたい。

週刊新潮の記事や最近の造反の動きなどいろいろこの人も話題を出し続けて

くれているようだ)、民主党の若手の議員は前会長の退職金に関してかなり

強く問いただして、NHK側がまともに答えられなかった場面があって、その

ときのことをくわしくおぼえてなかったので、この番組を見て思い出そうとし

ていたら、見事にカットされていた。


それどころかある議員から「グラッときたらNHK」などというおべんちゃら

を言われた場面などをうつし、それを引き継ぐ形で、会長がしゃべっていたが、

はっきり言ってもう怒る気力もなくなった。


地震のニュースはNHKでなくてもすぐだすわけだし、防災無線も張り巡らして

あるところも少なくないわけで、防災用の報道は決してNHKの専売特許でも

何でもない。


またNHKは自然災害に関する情報を提供するためだけに存在しているわけでは

ない。


もちろんそう言っているわけではないだろうが、この間の脱線事故にしても「たま

たま」NHKの職員が現場に居合わせていたからで、それを「NHK魂」というのは

どうだろう。


しかもその話しは受信料の話しの中で出てきたと思うが、まったく受信料とは関係

ないし、NHKにしかできないことというのでもなんでもないだろう。


NHKは不祥事をいくつもおこしているが、実名を挙げられているのはその一部で

しかないのではないか。


自分たちに都合のいいことばかり流して、何が「再生と改革」かと正直あきれた。




生まれて初めてライブハウスに行った。。。

2005-04-29 00:02:47 | つぶやき

意外に狭かったけど、ものすごくもり上がってた

ずっと立ちっぱなしで腰痛もちの身にはこたえた。

一番奥の壁際にたって見ていたのだけれど、あまりよく見えなかったりした。

とにかく今日は疲れた。

お金も使った。

でもまた行きたいような

以前MSNのところにライブハウスの模様がよく載っていたけど、とても自分ひとりでは

行けそうもないとこだと思ったりしたが、そんなこともないようだ。


自分はクラシックのコンサートは何百回行ったか分からないが、ライブハウスもいい

ものだと思った。




山口文憲の裁判員と死刑を絡めた文は不謹慎ではないか。載せた朝日新聞も。

2005-04-28 14:52:44 | Weblog
お断り:このエントリーは誤って消してしまったので復活させたものです。もとは昨日アップしたものです。


自分にはこんなことはとても現実的な議論ではないと思われることが「現実味」を

帯びて主張されることがあっておどろかされることがある。


たとえば首都移転ということは今どれだけ論じられているか知らないが、かなり

多くの国会議員がこの問題に携わっていたのではないだろうか。


もっとも東京にこれだけいわゆるインテリジェンスビルや高層マンションが建って

しまったので、さすがにそういう議論も雲散霧消したであろうとは思うが、いずれ

にせよ自分にはもともと実現の可能性は低いものに思えた。


首都移転に関してはまたあらためて考えたいが、自分にはこれはとても実現は無理

だろうと思えるようなことがまじめに議論されるだけでなく、実現されそうなこと

もあって、裁判員制度というのがそれである。


なんともこの制度に関して不満を感じるのはこれが刑事裁判のみに適用されるよう

であることである。


自分は行政裁判にこそ適用されるべきものであって、行政を相手にするものであれ

ば、刑事・民事をとわず一定の割合で民間からの一定の基準を満たした裁判員が審

理に参加すべきだと思う。


「一定の基準」と言うと難しいが、今のままだと、選挙権さえあればだれでも裁判

員になる可能性があるのはどう見ても危険ではないだろうか。


自分は法律に無知であるが、そういう自分が裁判員になったら大変であろう。さら

に近所の危険すぎる人たち(わたしがそう思われてるのかもしれないが)がなった

ら、さらにまずいだろうと思う。よく考えてみると、近所に裁判員になるのにふさ

わしい人などいるだろうかとさえ思う。


一番まずいのは、たとえば「エッセイスト」の人の書いたものを読んでいると、こ

ういう人が裁判員になって大丈夫なのだろうかと思わせるものがたくさんあって、


皮肉なことに裁判員について論じている(ようである)「やりたくないな、と思う

人へ」と題された山口文憲の3月5日の朝日新聞夕刊に掲載された「エッセー」は

そのようなものの一つである。


まずこういう重要な問題に関して、死刑制度とからめて、まじめとも、おふざけと

もつかぬ(と自分には思える)文を書くこと自体、非常に恥ずべきことではないか。


自分は法律に詳しくないなりにまじめに考えているのだが、この人の書き方は裁判

員をやりたくない人は「刑の執行に加わる」ということを提案していて、非常に不

謹慎な書き方だと自分は思う。


この人は「死刑存置論者ではないので、裁判員のほうがまだましかな」などと書い

ているが、裁判員になることと、死刑執行に加わることの二者択一を迫る考えは一

体どういう考えに基づくのか、それとも、それをいちいち批判する人間にどういう

反応をするのか知らないが、この人は本当にまじめに考えてこの文章を書いている

のだろうか。


しかもこの人は「私は死刑存置論者ではない」としているが、「この国の死刑は

『密行主義』」などと書いているところを見るとまじめにこの国の死刑制度を批判

しているかのような部分もあるので、この文章全体をどのようにとればよいのか、

まじめに考えるとすれば非常に困ることになる。


自分の考えを率直に言ってしまえば、こういう文章は一種の思考放棄的文章であっ

て、それを読むものにもそれを進めているとしか思えないきわめてたちの悪い文章

に思える。


それならそうはっきり書けばいいものを、山口文憲は「裁判員と死刑執行人になる

のとどちらがいいだろう」などといった書き方で表現しているのでまじめにそう考

えて裁判員制度の方がいい、さらには裁判員制度はいい制度だとまで思う人もいる

のかも知れない。


山口文憲は実際に死刑に携わっている人の苦悩を少しでも考えたことがあるだろう

か。


自分は丸山健二の「夏の流れ」を読んだときなどにすこしは考えたつもりである。


また、大阪の小学校での大量の殺傷事件の被害者の遺族の気持ちを考えたことがあ

るだろうか。


文を書くというのはまずそういうことを考えることから始まるべきものではないだ

ろうか。


またそういうことに少しでも考えが及ぶなら、ああいう文章を書けるだろうか?


朝日新聞もあれを載せられるだろうか?


まったく自分には理解できない。一般大衆はああいう文でないと理解できないとで

も思っているのだろうか。


密行主義というが、日本では裁判は公開なのだし、刑の執行なら拘束時間も数十分

ですむ、というが、それほど日本では死刑が行われているわけではないはずだから、

刑の執行にはこれ以上、人手は入らないはずである。


とにかく自分には不愉快な山口文憲のエッセーだが、こういう文章に限って、まと

もな批判はしにくく、またそういう人ほど世間に影響力を持っているようなのが実

に悲しい。



脱線事故でテレ朝は以前自殺した運転士の方や労働組合の方の話しを取り上げすぎでは

2005-04-28 14:42:29 | マスコミ批判

JR福知山線の脱線事故について毎日このニュースがテレビで流れているが、いくつ

かの点で違和感を覚えている。


特にテレビ朝日は昨日からJRのすこしでもダイヤを乱した運転士に対する「日勤教

育」の過酷さを取り上げえて、それをおそれるあまり運転士はスピードを出しすぎて

事故につながったかのごとき報道をしている。


しかしこのことはかりに因果関係があったにせよ、今批判すべきことであろうか。


よく分からないが、いまだに救出作業が続いているはずで、まだ安否が分からない人

がいる段階で責任の押し付け合いをしているような感じにも見える。


労働組合の人が出ていたりしたが、日勤教育の厳しさや不当についてはこれがなくて

も主張していたはずで、ましてや日勤教育の厳しさから自殺したとしている運転士の

方の話しはその全てがこの大事故とはたして直接つながる話かどうか。おどろおどろ

しい音楽をかけて、JRの不当な行為を批判するのはどうだろう。


あくまで冷静に事故を見つめるべきで、あまり関係ないことまでここぞとばかりに報

道するのはよくないのではないか。特に自殺された運転士の方がひげを生やしていた

ことをきつく注意されたことなどはこの事件と関係あるだろうか。


もちろんこの事件のJRの責任は大きいし、徹底的に批判されるべきで日勤教育や管

理体制に関してもいろいろ議論すべきことはあるだろうが、あまり話題を広げすぎる

のはよくないだろう。


こういう大事件が起こるとこの話題をとにかくやらねばならないといういわば「強迫

観念」のようなものがあるような気がする。


またJRも最初は置石の可能性に言及していたのに、今は捜査に予断を与えるとかい

う理由で、そのことについて言わなくなったようだ。


たしかJRは真っ先に現場検証をしたようだが、警察や国土交通省は現場検証をした

のであろうか。事故の当事者が先に現場検証をしたとしたらそのこと自体まずいこと

ではないか。


脱線事故で安否不明の人の家族にカメラを向けたニュース・ステーションなどのマスコミはどうだろう。

2005-04-26 23:11:03 | マスコミ批判

自分のテレビは砂嵐状態でよく見えないときがあるのと、ビデオはないので

記憶で書くのであるが、毎度のことながら、マスコミというのはどういう仕事

なのだろう、とまたあらためて思わされた。


昨日のニュース・ステーションでは連絡が取れない家族が病院に収容されている

のではないかと、駆けつけた人たちの表情を放送していた。


まず、自分の家族の安否が不明で極度の不安を感じているであろう人たちにマイク

やカメラを向けるというのはどういうことなのだろう。


その中の一人の人は安否がその時点では分からなかった自分の娘さんの写真を出し

て、部屋の中までうつさせていたようだ。そして今日もある家族の方について放送

していた。


むろん本人が取材を許可しているのだからそれが駄目だとは一概に言うことはでき

ないだろう。


しかし、死亡が確認された方の中には「匿名」の方もいる事を思えば、当然のこと

ながらまだ安否が不明の方の家族の人に病院の中にまで入ってマイクやカメラを

向けるというのは実にまずいことだと思う。


病院もマスコミは排除するようにすべきでなかったろうか。マスコミは取材に応じ

てくれる人を探していたのだろうが、なんとも人の不幸をさがしているようで情け

ない。


そういう仕事だと言ってしまえば、それまでだが、病院や体育館にマスコミがいる

事を嫌がって、そこへ行けない人もいないとは限らないだろう。


なくなった方の職業や電車に乗った目的なども放送しているようだが、ご遺族の

許可は得ているのだろうか。またそういうことはどこから情報を得て調べている

のだろうか。


もちろん取材を許可して受けている人たちもあるにはあるが、自分なら取材を申し

込むことじたいすごく悲しい仕事のように思う。


ただ被害者の数だけ報道すればよいというものではないというような議論もあるが、

自分はそれで充分だと思う。


もちろんそういうテレビを見ている自分にも問題はあるのかもしれない。

ただ無批判に見ているのではないつもりである。


脱線事故にはきつい曲がりなど構造上の問題は無いか。

2005-04-26 10:53:55 | つぶやき

サイトであれ、テレビであれ、JR福知山線の事故のニュースに接するたびになくなられた方の数が増えてゆく。

外国でも大きく報道されているこの事件に関して情報が必要とされていることは確かであろう。

しかし、時々流れてくる情報がほんとうに必要なものか、あるいは正しいものか、時として情報を受け取る側も気をつけるべきことがあるのは今回も例外でないはずだ。

たとえば置石があったというような事が、情報として流れているが、これをどう受け取るべきかは難しい。事実かどうかも分からないが。

事故を起こした電車はその線路を朝一番に走ったのであろうか。

いつかテレビで見たのだが、置石が無いかどうか朝早く職員が確認しているはずである。

また、日中に線路に置石を置くというのは不可能ではないけれど、かなり難しいのではないだろうか。

ここでわたしが言いたいのは、いずれにせよ、JRの管理責任は言うまでも無く莫大であって、置石をおいた者がかりにいたとしても、JRの責任はいささかも減ずるものではないということだ。

また運転手の責任を問うような情報がJRの側からも出ているようだが、もちろん運転手の責任は重大であるが、これも自分にとっては最大の問題とは思えない。

いくつかのテレビで現場の4年ほど前の同じ場所を走ってゆくときの先頭車両からの前の方の景色が写しだされた。

自分は電車の専門化ではないけれど、あの曲がり方はやはりきついのではないか。また車の場合の「ガードレール」に当たるものが無いのも大変な問題である。

山手線などもかなり曲がり方がきついけれども、駅と駅の間が短くて基本的にスピードはあまり出せないのではないか。

自分としてはJRが情報を出すのはいいが、そうした点をまず最初に問う声があまりないようであるのは腑に落ちない。


脱線事故があってもテレビ東京は

2005-04-25 19:15:39 | つぶやき


お笑いの番組をやっていた。わたしが見たのは夕方の「ぶちぬき」とかいう番組で、事故からかなり時間がたっていたので、問題はないだろう。もし問題があるとすれば、この番組自体面白くないとか、そういうことだろう。

ところでこの番組に星誕醐という力士が出ていた。貴乃花を破ったことがあるなどと紹介されていたが、この人は番付はどこまでいったか知らないが、外国人力士ということもあり、結構注目された人だったと思う。

お笑いのテレビ番組にでていたということはもしかして、廃業したのだろうか。

どんな社会でも一線を退くととたんに忘れ去られてしまうのが世の常で、もしかしたら漢字が間違えてるのかもしれないが、この人の四股名で検索してもあまりヒットする件数は多くない。

なんとなくさびしい気がした。

最後になりますが、今日の脱線事故で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。



高嶋伸欣・琉球大教授ら「市民グループ」 「教科書問題を考える道民のつどい」の主張は分かりにくい。

2005-04-24 14:04:23 | 教科書・日中問題

ここ最近の中国での反日デモとそれがイギリスやアメリカなどにも飛び火していることに関してはいろいろといいたいことがあるが、まずこのことの発端となったことの一つである、教科書問題に関して言うと、自分がこれのどこが問題であるのか分からない。

まず教科書をめぐってのこれまでの経緯についてあまり知らないし、教科書自体を見てないのだからなんとも言いかねるが、よく考えてみると検定を通ったばかりの教科書が国内でもそれほど今の段階で入手できるわけではないだろうし、海外でもあくまでも情報としてしかその中味について伝わらないわけであろうから、一体これはどういうことかと思うのが当然ではないだろうか。

しかし、この問題は今まで何度も似たようなことが起きているはずで、そのときも思ったのだが、この教科書が問題だという人は、まずこの教科書が検定で不合格になるべきだと主張しているのだろうか。

だとすれば、まず教科書検定というものを認めていてしかも、不合格にすべきというわけだが、合格になる教科書はこれに限らないのだから、その内容を比べてここがおかしいからこの教科書は使わないようにしようというのならまだ話は分かるのだけれど、たとえばこの教科書に反対している人の一人である、高嶋伸欣・琉球大教授は、扶桑社が検定申請本を教育委員などに事前に配布していたことを難詰して、「ルール違反をしていた教科書が検定を通るのはけしからぬ、内容以前の問題だ」といったことを言っているようなのは、ちょっとわたしには理解しづらい主張である。

詳しくはこちらをご覧ください

この教授の主張によれば、検定中の教科書は執筆者など以外見られないことになるので、不合格にすべきだった!という主張はありえても、不合格にすべき!!!という主張は成り立たなくなるのではないだろうか。つまりこうした人たちは、検定という制度は厳格に守ることを主張しているのだから、その内容を否定するとしても実際の検定に関して働きかけることはできない類の運動になるのはやむをえまい。なにせ検定中の教科書は外部の人間は見られないはずであるから。。。

だとしたら、大きなお世話かもしれないが、検定の是非を問う運動自体非常に難しい話であって、その教科書を採択しないようにする運動のみにしたほうがよいのではないだろうか。



もしかしたら、そういうことも考えて、「内容以前」と主張しているのかもしれないが、考えすぎだろうか。

むろん、この教授が主張していることを確かめたわけではないが、この報道を見て思いだしたのは、たしか以前教科書検定をめぐって文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたということをめぐってそれがウソだとばれたとき、朝日新聞は自分たちの言い訳の一つに検定申請中の教科書が入手できず、周辺取材に頼るしかないということを言っていたはずだ。

たしかにルール違反があれば、それはそれとして厳しくとがめるべきであろうが、これがどういう類のことであるのかというと、少なくとも朝日新聞は検定申請中の教科書が入手できないことは、報道の足かせになると考えていたのであろうから、そういうルール違反というのもある意味で重要な問題提起になるはずだ。

朝日新聞と高嶋琉球大学教授はあまりむすびつけて考えるべきではないだろうが、このことは思い出すに値することではないだろうか。

もちろんこのルールが破られたと時には検定は不合格にするという規定があるならそうすべきだとは思うが、今のところそういう規定などがあったという報道は目にしていない。

よくブログを書いてる人はひまだとか言う人もあるが、琉球大学の教授なのに、北海道に行くというのも、大学教授としても、わりと時間的に余裕がある人なのだと思うが、これは他にもそういう人がいるようなのでこの人ばかりは責められないが、「内容以前の問題」というのなら、もう対話もなにも成立しないのであって、こういう人は「市民グループ」とか、大学教授というのがふさわしいかは自分には分からない。

今朝、町村外務大臣がテレビに出るのを見たがはっきり言ってこれでは駄目というより、よくこれだけ言いわけがましいことを長いこと言ってくださったと思って、びっくりした。

アメリカのCBSのサイトでは「言葉では不十分」とか書かれているから、「中国が日本に謝罪」して、日本が補償を求めたのかと思ったら、それとはまったく逆で、中国が日本に謝罪だけでなく行動で示せといったらしい。しかも台湾の独立に手を貸すことなく、「一つの中国」という政策を支持するようにと希望したらしい。

とにかくたまげた。ここまで来ると何のための日中国交回復であったのかとさえ思う。

とにかく日中の共同歴史研究(どうせこれまた政府主導で新たに始まるであろうが)に「内容以前」などという人があらわれないことを望むとしか言いようがない。


つたない文ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。


出版文化?についてとりとめもなく。。。

2005-04-23 22:49:38 | つぶやき

今日は久しぶりに新宿に行った。サテンで今日はここに何を書こうかと考えてはたと困った。書きたいことがたくさんありすぎて考えがまとまらない。

新宿へ行った目的の遊び、その場所。新宿の雑踏、途中立ち寄ったビルから見えた六本木ヒルズと東京タワー。どこの本屋か忘れてしまったが、本があふれかえっていたこと。工事中の新宿駅構内。

帰りの電車の中でいつものようにばくすいしたこと。となりの若い女性もばくすいして髪が触れあったこと。などなど。

サテンでは自分は非常につまらない本を読んでいた。

しかもその本は売れていた。つまらない本ほど売れるのは仕方ないとしても、なぜかそのことを読んでいる途中で解説を垣間見てしってしまい、反発を感じながらもかえってまじめに読まねばと思い、ついに読みきってしまった。

きっと無駄な本が売れて無駄な意見が幅をきかすのがこの世の中であり、そう思いながらもこの本を読んでいる自分自身も無駄なのだろうといつもながらに痛感したというのが、この本のフェミニスト本?の感想だ。


本を読むという行為はものすごく孤独な行為に思えるが、実は作者やそれを取り巻く人物やその支持者などとこうした対話なりバトルを行っているのではないだろうか。


今日訪れた本屋の一つの文庫本の棚に内田百の本があって、しかも最近出たものらしいことに驚いた。

(ちなみにこれが正確なのではないだろうか、よく分からないが、百の「」は文字変換ソフトのせいか何のせいか知らないが正確に出すのが難しいということだろうか、「間」で代用しているサイトが多いようだ。自分は誤字・脱字などが多いのだが、ほんとうに恥ずかしい。「情報リトラシー」というのは自分は「リトラシー」そのものあるいは「タイピングリトラシー」でないかと思ったりするが、実は文字変換ソフトの「リトラシー」というものを使い切れないところにも「リトラシー」の問題はあって、これはこれからの日本語を考える上で非常に重要な問題の一つだと思う。これは結局どれも同じことかもしれないが、いずれまたかんがえてみたい。話を元へ戻す?とそういう著名な文筆家の名前がPCで出しにくいにもかかわらず、文庫本でその著作が最近復活しているらしいのは一種の驚きであるということが言いたかった。も一つちなみに自分は漢字で書くべきところをしょっちゅうわざとひらがなで書いている。)

さて、話が脱線しすぎて、ここまでよんでくださった方には申し訳ないが、もう少しだけ脱線させていただくと先日何冊か本と雑誌をひろった。

束ねてあった本や雑誌の中にはわりと専門的なIT関連の本や雑誌も何冊かあった。捨てた人にはむずかしかっのであろう。それをひろった自分にももちろん難しい。

陸続と出版される本の中にはそれほど売れてなかった本が、まだ在庫もあるのに、ほとんどカバーを取りかえただけで新たに売り出され、それがなぜか売れているということもあるようだ。

自分は最近は本の山を見るのがいやになって本屋に行くのもいやになってしまったが、結論がでないものの、そういうことをいろいろ考えさせられた。


自分がサテンでよんだ本にはその作者は3年間で本を何百冊も読んだというようなことが書いてあった。

ほんとうだろうか。


自分は一生かかってそれぐらいだろうなと思った

24日1:53分追記:申し訳ございませんが、タイトルおよび内容の一部を修正しました。


ジェーン・フォンダが新著のサイン会でつばをはかれた。

2005-04-22 17:42:23 | アメリカのニュース

こちらのサイトでは、ジェーンフォンダ『これまでのわたしの人生』(“MyLife So Far”)の出版サイン会でベトナム帰還兵にタバコ汁のつばを顔に吐かれたとことを伝えている

この帰還兵は逃げたもののすぐに地元カンザス州の警察に“disorderly conduct”(「公序良俗を犯したということだろうか」で逮捕されたが、すぐ釈放され、その翌日にはインタビューに答えてMSNビデオで流れている。

ジェーンフォンダはべトナム戦争に反対していたが彼女のおかげで、ベトナム戦争におもむいた兵士のほとんどがつばを吐かれたとその帰還兵は主張しいている。

自分がロサンゼルス空港にかえってきたときには人々が列をなして帰還兵につばを吐いたといっている。

(もうすでにかなりの時間がたっているので「帰還兵」というより「退役軍人」とでもいうのでしょうが、こちらの方が分かりやすいと思い、この言葉をえらびました)


またまた勧誘で長電話。。。

2005-04-22 14:02:53 | つぶやき

またまた勧誘の電話があった。

今度は為替なんだけれど、これがまたなんだかよく分からなくて、「金がない」
というと、「百万からでも」とか「五十万からでも」とかいう

なかなかこのての電話を切ることができない自分はどうなんだろう、と思う。
とっとときった方がお互いダメージが少ないのは分かっちゃいるけど、断わってる
つもりで断わったことにならないのが情けないというか、向こうの腕というか、
こっちのこころのすきまというか。。。

今は為替じゃ儲からないでしょう。わたしなど1ドル80円のころに考えてました
から。そのころに比べて1ドル120円のころは何でも向こうの値段は1.5倍
だったわけですから。。。などという話しを延々としてしまう。

今はドル安ですからもうからないですよ。。。

1ドル百円を割るまでは様子見ですね。1ドル80円というのはまず無理で。。。
などという話が延々と続く。

自分でもよく分からないのだが、とにかくユーロが強いとかアメリカの金利引き上げ
がどうのこうのと下手をすると1時間ぐらい話しをした。

自分としては驚くことに、自分はそういうのは難しいという話しをしているつもり?
だったのだが、なんと向こうは一度会って話させてくれという。

もうこれだけ話しているではないか。申し訳ないけどあなたにとっても時間の無駄で
しょうからなどといってやっとこさ話が終わる。

話しの過程でもっとも気になったのはなんと言ってもリスク

リスクがどれぐらいあるのかという点がはっきりしない。商品の名前さえ考えてみる
ときいてないような。。。

たとえば100万かけて70万になったとしますよね。その時点でおはなしさせて
いただいて。。。

「話しするって、だからどこまでそんする可能性あるの」とか、「30万そんした
らえらいこっちゃで、」とかいろいろ突っ込みたかったけど、やめた

どうも自分の投資(しない)哲学とは最初からあわない

やはり為替でも株でも、できるだけ長いこともっていて利益を得るというのが基本
のような気がする。もし投資するとしたら、安い株をとりあえずたくさん買ってみる
のがいいかも、といった

これはいわなかったけ、どそういうときには紙くずになっても損失は少ないだろうし、
自分の判断で買ったものに関しては仕方ないと思えるし。。。

それと為替でもうけるって個人でやるのはもうけるのは大変だし、ちょっと儲かるに
してもそれぐらいの金は必要ないし、などと考えてみるとこっちも結構きついことを
いったかもしれない。

でもこれだけいっても時々大笑いしながら、はなししてくれる人には会いたいな、
とも思った。

ちなみに投資の中で為替はむずかしい部類と思うと言ったが、否定はしなかった。


東北文化学園大学でおきっぱなしの教科書が盗難された。

2005-04-21 15:54:32 | つぶやき

こちらのニュースでは大学におきっぱなしの教科書が盗まれた事件が報道されているが、この事件で驚くことはいくつもある。専門学校生や大学生の犯罪ということで驚くことは自分は残念ながらなかった。

まず大学生に一人ずつロッカーを用意しているようなのが驚きである。

教科書をおきっぱなしということは、もしロッカーが用意されていればそのためだとおもうのも仕方がないだろう。

研究室などによってはそれも仕方がない場合もあるだろうが、教科書を持ってかえれなどということは高校生などにいうことであって、大学生に言うことだろうか。情けない。もっとも大学と家の両方にあるということもないとは言えないが、きわめてまれであろう。

それより不思議なのが盗んだ教科書を古本屋に売ったということで、教科書だから売れたということだろうか。

古本屋で教科書をどれぐらい売ったり買ったりしてるか知らないが、自分などは古本で値段がつくということが不思議である。大量に盗んでいるのだから、同じ古本屋が大量に買っている可能性もあるだろう。

こうしたことも徹底的に調べるべきではないだろうか

朝日新聞のサイトにある「企画特集」は要するに広告で、早稲田の宣伝もあるが、ニュースも宣伝だね。

2005-04-20 16:44:19 | マスコミ批判

朝日新聞のサイトは一番下に「企画特集」というのがあるが、これは要するに宣伝のようだ。

宣伝があるのはいいのだが、そこをたどっていくと教授たちの論文ともなんともつかぬものがいくつもあるが、それを読んだ学生は早稲田に入りたいと思うだろうか。

これだけインターネットで情報が入る時代に大学でなければ学べないことはそれほど多くはないだろう。

そういうことをあらためて強く感じさせるだけのものが多いように思われる。

自分など早稲田がそういう宣伝をしていること自体、非常に複雑な思いを抱いてしまうが、「暮らし」と題されてところにもシンガポールにあたらしく大学院を設置することが紹介されている。

何がニュースで、何が宣伝なのかはっきりさせてほしい。またこれだけでかでか宣伝していたら、もし大学に不祥事でも起きたらあまり厳しいことは言えなくなりはしないか心配である。

最近は電車に乗ると見渡す限り大学の宣伝のポスターが張り巡らされていてびっくりすることがある。

また野球場などで大学の宣伝を見るとほんとうにこんなところにまで何で宣伝するのだろうと思ってしまう。

大学の宣伝はそれぞれのホームページがあればそれでいいのではないか。

大学の宣伝を見るたびに疲れてしまう。