以下の内容はニッポン放送のみならず日本という会社社会全体に通じる話しである
とも思われるが、とりあえず自分が感じたことをかかせていただきたい。
他の記事もそうですが、あくまで個人的な考えであることをご承知おきください。
このところ、ライブドアがニッポン放送の経営権を支配しそうな勢いであることに
付随して、現場の声を無視しているなどとよく言われる。
社員と親しい人が言うには、本当は今すぐにでも会社を辞めたいのだけれど家族が
いるのでやめられないとか、ニッポン放送の「社員一同」がこちらのようにライブドアの
経営参画に反対だといったことだ。
しかし、この会社の社員の数とか会社幹部との距離といったものに関しては自分は
知らないが、会社に属する全ての人がこの件に関して反対というのは本当にそうなの
であろうか。
こんなことにいちいち目くじら立てるのもおかしいかもしれないが、やはり中には
別にライブドアが来てもいいではないかとか、われわれは誰が経営者であろうと現場
は現場で全力を尽くすしかないといった考えの人が全くいないというのはちょっと
不自然に思える。
もちろん経営主体が変わることには不安が伴うものだし、堀江氏の当初の発言のなか
には社員として見過ごすことのできないものもあったのかも知れれない。
しかし、それほど経営者が変わるのがいやなら、そのときには「会社はやめる」と
はっきり言う人が一人ぐらい出てもてもいいのではないだろうか。
どうもそういう人がいないところを見ると、これはまるでなにかの群れのようにまた
風向きが変わればそちらのほうへいっせいに動くという可能性もあるように私には思
えてしまう。
要するにそこまでいえる人はいないということであろうが、どうも社員の声というより、
その衣装をまとった今の経営者の声という気がしなくもない。
だいたい経営者や経営の形体が変わったからといってそれほど現場は変わるもの
なのだろうか。
今日ある評論家のコメントを聴いたら航空会社でさえこれだけ現場がミスを起こして
いるのだから、現場が混乱しないはずがないなどといっていたが、正直驚いた。
まず飛行機の整備と航空会社の経営とそれほど密接なつながりがあるだろうか。
私は航空業界に関してはまったく無知であるが、こういう論法でいくと現場が混乱
するとそれは経営者の責任だということになってしまい、現場の責任は問われないこと
になりかねない。
実際「現場」でなにかあればすぐに経営者の責任が問われる社会ではあるが、では
全くミスや混乱が起きない経営などというものがるのだろうか。
もし仮にミスがない会社というのがそれがあったとしたらそれも経営者のおかげという
ことになるのだろうか。それこそ現場を無視することになりやしないか。
自分が中学生のころ父はすでに中間管理職とでも言うべき立場にあったがある日、
「うえの人」から呼び出された。当時私の父は難しい現場に立たされていたが自分
としては最大限努力していたので、自分がしていることには自信があり、それでも
注意されるようなら職をはなれるつもりでいた。
したがって上の人から呼ばれたときは内容を聞きもしないで、母から自分が住んで
いる家も売るし、自分の学業も諦めねばならないと聞かされて、自分としても子供
で何がなんだか分からないなりに腹をくくったものであった。
実際は上の人に呼ばれたといってもただの世間話に呼ばれたということで、まことに
恥ずかしい話であるが、要するに、仕事をやめたいというようなことを言うならそれ
ぐらいの覚悟を自分の家族はしていたということである。
これはもちろん、やめずにすんだからいえることではあるがいずれにせよ私が言い
たいのは、家族がいるからやめたくてもやめられないというようなことはよく聞かされ
るが、あまりそれを聞いて自分などはよい印象をもてない。
リスナーに関しても、すべてのリスナーがライブドアの経営参画に反対しているかの
ように思っているとしたら、それもまた勝手な解釈である可能性もあるだろう。
もちろんニッポン放送の社員さんにしてみたらこれは大変重要な問題であることは
分かるが、であればこそさらに慎重な言動を望みたいと自分は思う。