妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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新型コロナ・ウィルスではなく新型アベノウィルスと呼ぶべき三本の矢

2020-04-26 20:23:08 | 医療問題
前回、せんだみつおの意見について書いたがあらためて検証してみるとせんだは桜も「スルーして見ます」と言っている。(安倍)昭江夫人のように団体で立ち止まって花見をするというのとは違うし適度な運動は免疫力を高めて家で鬱屈としているよりもいいということも言えなくもないのである。ただし、あまり出歩くのは良くないとはされているが少なくとも激しい運動をすると言っているわけではなかった。また「熱が出るまで病院に行かない」と言うのも今は病院が感染者を受付ないなどむしろ社会的に要請されていることでもある。

それを闇雲に叩きまくるネット社会と言うのもどうかと思うがホリエモンもある程度人は活動すべきと言い出した。せんだみつおが言うと叩かれてほりえもんが言うと正しいみたいな世の中はおかしいと思うが、以下に専門家ではないが自分なりの意見を書く。

今回のいわゆるコロナ・ウィルスの世界的蔓延に関しては中国の武漢で発生したものではあるが日本もかなり責任があると考えている。世界中に広めたのは日本政府である。舛添要一が安倍をヒトラーになぞらえたが、ダイアモンド・プリンセスはまさにナチスのガス室にも似たウィルス培養機械と化した。

コロナ・ウィルスはまさに武漢から安倍・ヒットラー、加藤ゲッペルス厚生大臣が移入して世界中に広めたものであるといずれ世界中に認められるだろう。そこでコロナ・ウィルスを私はアベノウィルスと命名し直してその三本の矢について考えてみたい。

まず一本目の矢は武漢からの希望者のチャーター便による帰国である。これは立憲民主党も含めマスコミも評価しているがはたして評価できるものかというと疑わしい。帰国者に対して差別をするな、という論調は確かにそうであるが、表面的な症状がある人にだけPCR検査をして入院させたと言うのはどう考えても失策である。特に帰国したばかりの人にいきなりテレビインタビューをしたのは無神経だ。感染者が数名飛行機の中にいれば発表された以上の感染者が更にウィルスの伝染を許す事になったと考えるのが当然だ。データ等はこちらを参照。



二本目の矢はダイアモンド・プリンセス号だ。これについては多言を要しないがアメリカはすでに感染している人が数名いたにもかかわらず同じバス、飛行機で帰国させた。これが今のアメリカの感染者数の増加、多数の死者と無関係と言い切る事はできない。


三本目の矢は東京オリンピックの通常開催にこだわり続け東京マラソンを強行した事である。東京マラソンに出られなかったランナーはその鬱憤を晴らすかのように緊急事態宣言下の都内を走り廻っている。また東京オリンピックにこだわるあまり出入国者の制限も大幅に遅れた。このように都内を走りまくる非常識人間が実に多い。


これだけ失策が続けば日本では感染者が増えるに決まっている。それを産經新聞はダイアモンド・プリンセス号の対応がチェコの新聞で評価されている等といまだに言い続けている。志村けんの死もコロナが憎いなどとしていかにもコロナが凄まじい威力なので社会的に防ぎようもないかのようなイメージをサンケイスポーツで報じた。全世界の悲劇混乱を感じる事のできない真のバカ殿様が日本の首相である。

コロナ・ウイルス拡散防止のための外出自粛を拒否したせんだみつおの発言について冷静に考えてみるべきではないのか

2020-03-29 23:36:39 | 医療問題
またもや数年ぶりの更新ですが一応生きています。最近というか今世界中がコロナ・ウィルスの猛威に晒されていると言って過言ではないのですがそんな中、タレントのせんだみつおが都知事や首相の外出自粛要請を受け入れないという姿勢をかなり強い調子で見せたことで猛烈なバッシングの嵐にさらされています。せんだみつおと言えば自分の世代にとってはテレビの箱そのもののような存在でしたが2010年には『「せんだみつお」が只管ニッポンについて考えた笑えない22のこと』という本を出したり最近では共産党の市長候補の応援演説に行ったりしているようです。

せんだみつおの問題発言について現在の日本の状況とテレビで放送されたインタビューの様子などから勝手に想像を交えて書きますが、グッデイとか言う番組はおそらくとりあえずせんだみつおにコロナウィルスによる外出自粛要請について意見を訊く取材をしてそれとともに高齢者をつかまえて同じことを訊いてみたところ、意見が二つに別れて「自粛に従う派」と「従わない派」にきれいに整理できてせんだの意見がもっとも過激だったので初めて意見を聞いたのにも拘らず「物議をかもしている」というナレーションを交えて放送したということでしょう。

せんだみつおは娘からの説諭もありすぐさま白旗をあげて謝罪の出演をテレビ局に要請したものの断られたようです。謝罪の取材をさらに流すとなればテレビ局は自分たちがいわば「色をつけて」放送したように受け取られかねませんので仕方がないことと言えます。

せんだはおそらく3月2日の予算委員会での蓮舫の質問中に「高齢者は歩かないから」と野次を飛ばした松川るいに対する世間の批判がまだ続いていると思って「用事があれば外へ出ます」といった発言をしたのではなかったかと推察されます。ところが世間は一ヶ月もたたないうちにこうした騒動を忘れてしまっているのでしょう。またここ数週間の間にコロナ・ウィルスの感染者数の増加などのっぴきならない状況になってきたということもせんだは考えるべきであったと思います。

これはせんだみつおの側にたった擁護ですがオリンピックを延期すると決めた途端に次々と感染者数が増えてゆく数字が現れてゆく、あるいは志村けんがコロナに感染して一時重篤であったかのように報道されたりするとなると国や地方行政の言うことが信頼できず、自分の行動まで政治家に縛られる筋合いはないと憤るのも無理からぬことのようにも思えます。ちなみに志村けんはまだ感染ルートが分かっていないのでせんだの発言自体が志村けんの状態を無視した発言であるかのように言うのはおかしいと思います。むしろせんだとは関係ないところで志村けんの命が政治や世論に利用されているような気がしてなりません。

これは自分も高齢者なので自分の意見をせんだのそれに重ねあわせてすでにせんだ自身は謝罪したことを蒸し返しているわけですが、多くの業種ですでに色々な影響が出ていることは否めません。週末だけにしても多くの人が外出を自粛するようになれば飲食業でただでさえぎりぎりの状態で存続している店はたちまち危機に陥るということはすでにおきつつあるのです。

つまり人々の健康よりも目先の利益にこだわってオリンピックの予定通りの開催にここまでこだわり、批判もある中東京マラソンを強行するなどしてきた政治家の言うことなど聞いてられない、自分たちには自分たちの生活があるのでそれを勝手に崩されてはたまらないという思いでせんだが「外出します」などと言ったとすれば自分は賛成できる発言です。

ただし、「熱が出るまで病院に行きません」と言う発言には少し首を傾けざるをえません。症状が出ないうちはあまり医者に行くことはないとは思いますがやはり高齢者は定期的に体を医者に診てもらうべきだとは今回のコロナに限らず思います。

また「何を自粛するんですか?」という言い方もケンカを売ってるみたいであまり聞いていて気持ちのいいものではありません。しかし病気に気持ちの上で負けないようにしようというような心がけ、家にいると心が病むので外へ出ると言う姿勢そのものは間違ってないと思います。

自分の見たところ今回のウィルスは西洋の文明そのものを揺るがす事態にまで発展しつつあると思います。極言すればグローバル化の時代において人の流れが国際的にある限り今のように別の都府県を移動することまで自粛要請するようなことは不可能です。単なる憶測ですが武漢から邦人を帰国させた時にすでにウィルスが入ってないと誰が断言できるでしょうか。

HIVのキャリアであった川田龍平は今でも元気に議員をやっています。感染しないようにと言ったところでウィルスは世界的に根絶しない限り無理でしょう。誰もがすでに感染していることは想定した上で発症させないようにする手段として精神的な強さで乗り切ろうとしたせんだの意見は安易なところもあったでしょうが、さりとて我々の生活のパターンはそう簡単に帰られるものでもないということも事実なのです。せんだみつおを批判するにしてもこうした色々なことを考えた上でするべきだと思います。

痴呆症・認知症・認知失調症・・・誤認症

2005-04-10 23:25:32 | 医療問題

前回それについて書いた足立区の冊子や広報に「認知症」という言葉が載っていた。恥ずかしながら自分はこの言葉をそこではじめて知った。Political Correctnessとか言うことがやたらとアメリカなどで言われているらしく、その影響かどうか知らないが、日本でも差別語を廃止しようという動きはいまだに進行中であるようだ。

しかし認知症というのは論理的におかしな感じがする。たとえば誤認証などといえば論理的にはわかるだろうが、これとて何か難しい響きがある。認知失調症というふうに言うべきだと主張する人たちもいることを教えていただいたが、これも長すぎると思う。「認知障害」などといえばいいのだろうか。

しかしこのようなことを考えるのは、「痴呆症」という言葉を使い出すころにマスコミや医学会が考えるべきことではなかったか。これは私の憶測だが、「痴呆症」という言葉は「ボケ」という言葉に代わるものとして使われだしたのではないだろうか。もしくは考え出されてというべきか。

かりに認知症という言葉を用いてもまたこれがまずいい言い方であるといわれる可能性もないではないが、これはどう考えても自分にはいメージが沸かないことばである。まずこれは病名なのであろうか。その点がはっきりしない。役所の文書に使われているところをみると、どうやら公式な言い方ということに落ち着きそうだが、いずれにせよ、この言い方が使われだすと、「痴呆症」とか「ボケ」という言葉はあちこちで使ってはいけないということになるだろう。

言葉がなくなれば病気や「症状」もなくなればいいが、なかなかそう簡単にはいかないと思うのが普通であろう。われわれはあくまでも「ボケ」や「痴呆」と闘いながら付き合っていかねばならないのだとしたら、「認知症」とか「認知失調症」といった専門的な響きのすることばでこの問題を論じたり、情報を集めたり送ったりすることが、自分たちとは関係の薄いものだという印象を与えてしまうことになり、問題と直面することにかえって役立たなくなりはしないだろうか。

たとえば、今まで「痴呆症」という言葉を使って書かれた著作物やネット上の情報の数も決して少なくないはずである。そういったことなど気にするに値しないということだろうが、「痴呆症」という言葉ですら、「ボケ」という言葉を避けるために使われだしたとしたらずいぶんな回り道をしたことになりはしないだろうか。

つまり痴呆症という言葉で浸透しているものを言葉を変えるということは意外に不都合なこともあるし、こうしたことを忌み嫌うことにすらなりかねないとも思う。

だいたい認知という言葉自体普段われわれはあまり使わない言葉であって、この言葉がどういう場合に使われるのかを考えて書こうとするとすぐにこれまたどういういい方はまずいとかいいとかいったことを考えなければいけなくなるようなきがする。

つまりこうした自己検閲のような意識が働くことによってある問題について考えることがめんどくさくなり、やめるという人もでてくるかも知れなくてそれが自分は「痴呆症」という言葉がいいか悪いかということよりもよほど問題のように思える

ALSの患者の息子の人口呼吸器をはずしたからといって刑事告発したのは誰か?

2005-02-17 17:07:53 | 医療問題
非常に悲しい事件であるし、判決も、
いやそもそも刑事事件として告発され、立件されたことも非常に悲しい。


今日『スタジオ・パークからこんにちは』のニュース解説のなかで飯野奈津子解説委員

が紹介していた判決はたぶんこちらだと思う。


このニュースが紹介されている時には、解説委員自身の判決に対する見解は

示されなかったと思うが、これは最近では珍しいことかもしれないが、一応公共放送

としてある程度中立の立場を保持するということで納得せねばなるまい。

しかし、

こういうニュースを解説すること自体、飯野氏の見解がどのへんにあるのかは自分には明らかで、

私はそれに激しく同意したい!


もし勝手に飯野氏の意図を推し測って論を勧めていたら、大変申し訳ないがこの

判決は厳し過ぎるものではないだろうか。番組の中では、こうしたALSの患者さん

に対する支援体制を整えることが遅れていることなどを解説していたようであるが、

自分に言わせればこのように日々病状が悪化して行くばかりの息子さんを毎日目の

前にして冷静さを保つことができるかどうか、

刑事告発した人にぜひうかがいたい。


もちろん難病とは言ってもALSにも症状にかなり違いはあり、闘病中の方々やご家族

にしてみたらこの60歳の母親は許されないことかも知れない。


しかし、本人も生きる望みを持っていないとすれば、人工呼吸器をはずしたことが、

殺人罪として問われ、執行猶予付きとはいえ懲役3年の有罪判決が出るとは自分

には驚きである。


もちろん、自分はなくなられた方やその母親の姿を直接見たわけではないが、

こういうことで刑事告発すること自体が私にはきわめて信じがたい。


実は自分も父親を3年半前に肺がんでなくしている。

当時自分は一緒に住んでいながら、父親とは絶縁状態と言ってもよいほどの関係、

(つまり見捨てられていた言うか、今は母親と非常に険悪な関係であるが。。。)

であったこともあるがある転院した病院で、母親と病院との間で「延命治療はしない」

という約束はしていた。つまり延命治療を開始してしまうと、もうそれをやめること

は極端な話し、永遠にやめることはできない、つまり永遠に生きると言うよりも

よりはっきり言えば、

永遠に苦しんでしまうからだ。

私はこの話しをかなりあとから聞いて医者に当り散らしてしまったが、その後直接

父の、特に夜の姿を見てこれは延命治療どころの話しではないと思った。


まったく病気も症状も違うが、

延命治療を途中でやめるのが殺人で、最初から延命治療をしないのが
告発もされないというのもなんだか腑に落ちない話である。


私は積極的に病気を治そうと言うのではない治療はある意味点滴などでも

「延命治療」だと思っているが、いずれにしろこうした治療の方針を決めることには、

いろいろな考え方や経済的な側面など考慮すべき点がたくさんあるので、医師の

判断の中には安楽死を選んでいるような側面が入り込んでいる部分もあるのでは

ないかと思っている。


ドラマ『振り返れば奴がいる』のなかで織田裕司が演じる医師は大量の鎮静剤?か

なにかを投与してスキャンダルになったと思う。これは三谷幸喜の脚本であったが、

医事監修をどれだけ受けていたかは分からない。いずれにせよ、少なくともドラマの

中では、その「医療行為」にはそれなりに「言い訳」があった。


今回判決が出た事件は度素人が人工呼吸器をはずしたわけであるから、医学的には

そうすれば死ねしかないことは明白であるが、これを包丁で人を刺すことと同じ罪に

問える神経が私には理解不能だし、この判決にはまったく驚いている。


もう少し「情状酌量」できなかったのであろうか。


なお安楽死の問題などについては以前から考えをまとめてみたいと思っていたが、


とにかく今回の件を告発した者がどういう人でどういう考えと意図で行ったのか

まず知りたい気がする。