妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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正直疲れた

2006-10-29 23:59:08 | クダ

世の中で成功をおさめてる人って平気で人を裏切ったり傷つけたりできる人がけっこういるのかも知れない。

自分だっていろいろここでいろんな人を批判していて、その人たちにしてみれば「自分はあいつに傷つけられた」ということになるのかも知れない。

自分の場合にはそういうのはこのブログを見ればすぐ分かりそうなものではある。

もっともここも最初からこんな感じではなかった。

自分は今正直ネットに関することで本当に精神的に大打撃を受けていて、今はもう何を言っても自分のほうが悪い、という相手の言葉が聞こえてきそうな気がする。

結局今まで生きてきて、自分は何を学んだというのだろうか。

人と仲良くすることだろうか、人を警戒することだろうか。

とにかく今自分に関していえることは、自分は人に対して恩知らずな場面があったということだ。

いろんな人からそのようなことは言われているのだが、具体的に誰に対して恩知らずであったか、ということは今は言えない。

とにかく自分にとってまさに命の恩人と言える方が窮地にあるとき、自分は自分を投げ出してその方のために何かをするようなことはなかった。

どんな人でもそうだろうが、あなたには裏切られた、と言えばその人は「おまえこそ自分を裏切った」というかもしれないし、あなたは恩知らずだといえば、「あなたこそ恩知らず」だというかもしれない。


恥ずかしい話だが、自分は今までそういうことが多すぎた。

そういう星のもとに生まれたのだから、それはもうそういうものとして生きて行くしかないのかもしれない。

でも自分の友人を含め自分を守ってくれる人たちは世の中に一杯あるのだし、制度もあるのだ。

それに頼ることは決して悪いことでもなければ恥ずべきことでもないはず。

自分にとってブログも自分を守る手段の一つなのかも知れない。

平井堅のLife isをこれから聴こう。


で、これがその書きたかった暗い日記ですやっぱかなりやばいです、自分。。。

2006-10-28 02:50:53 | Weblog

一昨日の夕方自分はあるレンタルCD屋で今井美樹のPRIDEを試聴した。若い頃からよく人前でも泣いてしまうのだが、この年になるとさらに涙腺がゆるんでしまうのか、涙が止まらなかった。

そばでは高校生が他のCDを聴いていたがその場で大声を上げてしゃがみこんで泣きたい気分だった。


何度もスタッフルームと店内を往復する店員さんが気づいたかどうかは分からない。

でも、CDを棚に返して店を出るのが精一杯で借りることなどできなかった。


自分で言うのもすごく変だけれどきっと自分は頭がいいんだろうと思う。

特別頭がいいわけではなくて、これでも頭がいい部類に入るという程度でしかないのだろう。


そういうのが自分でも一番困る。


できれば何も考えずに生きてゆきたい。


でもそれは自分には無理なのだ。


若い頃からそうだった。


思春期のころはまさか自分が今の年まで生きるとは思ってもみなかった。


またそんな日が来るというよりも、常にそんなことを思いながら生きてゆくような気もする。


今井美樹の歌の中に好きな人を思っていられることが自分のプライドだというような歌詩があるけれど、自分はそう思えるような人にはなかなか出会えなかった。


きっと一生出会えないかもしれない。


むろん男友達は違う。


でも女性ではそんな人にはなかなか出会うことはできない。



男性の場合には出会った友人の数が多いし、小さいころからの友人が多いので、損得とか無しに付き合えるということもあるけれど、いずれにしろ男性でも女性でもずっといい付き合いをしてゆくのはすごく難しい。


適当なころを見はからって次第次第に離れてゆければいいのだけれど、現実世界がそうであるようにネットの世界もそれがかなり難しいということが最近骨身にしみて分かってきた。

人と付き合えば付き合うほど、親しくなればなるほど別れるときの傷もまた深くなる。


今自分はいろんな意味でそうした意味の傷に直面している。



こんな生き方しかできないけれど、本当にこれでいいのか、生まれて初めて言うけどさびしくてたまらない。

今自分の悩みを聞いてくれる人があればきっと自分は悪魔のもとへもおもむくだろう。

もしかしたらすでにおもむいてしまって、いま自分が話している相手が悪魔だと気づき始めたのかもしれない。


相手にしてみれば自分こそが悪魔だということになるのだろうか。


学歴の高い多くの若者が世間的に非難されている宗教へ走る時の心理状態というのもようするに今の自分のような状態なのだろうか。


幸い、とういべきか、自分はいかなる邪宗にも自分の魂を売り渡さずにすんだ。


それはこれを見ている友人をはじめ、死んだ父親をはじめとする身内などのおかげだ。


そして今も自分のことを気にかけてくれる会ったことのない年の離れた友人もいる。


自分が今悪魔だと気づき始めた人間の魔性には今までも気づきながらもその魔性にあえて目を閉じることで自分を生き延びてきた人もいるであろう。


はっきり言えば自分もそんな人間の中の一人であった。


しかし自分はもはやその魔性から目をそらすことはできない、悪魔と闘いながらお互い血を流して心中するしかないのかもしれないと今、感じている。


もしかしたらそれは自分の中の魔性に気づいた証拠なのかもしれない。




こんなに落ちこんどるっちゅうのに!グーのメールときたら。。。

2006-10-28 02:35:48 | クダ

「ミドリガメは冬眠が必要?」とかなに言うとんねん!

ってあんまここでも文句言うと、どないなるかわからへんから、

よういわへんけど、なんか小学生みたいなんやなぁ


すっごぉお~いくらい記事書こうとしたけど、ようかかれへんワイ

で、その記事どこへあっぷしたろ

とにかくいまだにへこんでます。

今日も色々あったし明日もあるんやろ。

もういやだ


今の気持ち

2006-10-25 22:58:21 | Weblog

すごくつらい。

自宅のPCをネットにつなげて2をブログをはじめて二年半ぐらいだろうか。

じつにさまざまなことがあった。

今回のこともきっとさまざまなことの一つなんだろうか。


なんだかすごくつらい。

助けてくれる人もこれを見てる人も含めてけっこういるけど頼りすぎたと思う。

これを見てくれてる人は自分の味方ばかりとは限らない。

でもその人のアクセスもカウントされていることは事実。

きっと自分の嫌いな人の方が多いんじゃないかな。

でもありがたい。

自分が一人出ないことが分かるから。。。

涙がぼろぼろ落ちてきてきーぼーどが見えない。

すごく苦しい。

神様助けて、と叫びたい。

助けてください

字が違うか。。。



これをご覧になっているあなたへの感謝状

2006-10-21 22:33:46 | つぶやき

昨日喫茶店で奥のほうで席を立つ自分と同い年ぐらいの男性がいたので、そちらへ行こうとしたらその人が自分のほうを見るのでなんだろうと思いつつ、その席に座ろうとしたら、机を汚したのでふきますと言われた。

自分は疲れていたたこともあったせいか、何でそのようなことを言うのかややいぶかしく思いながらせきについた。

そして机をよく見ると透明なガムシロップがたしかについていた。

それと気づくとほぼ同時にその人がもどってきてぬれ紙ナプキンのようなものを取り出して一生懸命机を拭いた。

自分も同じようなことをしようとした。

お互いに「いいです」などと言いながら一生懸命拭いた。


今思い出したのだが、昔、たぶんこの国では一番難しい大学を受験した時のことトイレに何人か列を作って前の人があいたと思ったときに「ちょっと待って」と言ってトイレットペーパーをとってきてくれた人があった。

またかなり以前に銭湯に通っていたころにいきなり「すいませんゴキブリ」などと言って自分がゴキブリを踏んでいたことを知らせてくれた人もあった。

むろん知り合いで色々と親切なことをしてくれる人もある。

自分の周りが全て親切な人ばかりと言うのではもちろんないし、人に裏切られたこともあれば自分が裏切ることもあるだろう。

でも自分はできるだけ人に裏切られても裏切りたくないと思いつつこれまで生きてきたつもりである。

短時間のうちにすれ違う人や、何度か会うだけの人などいろいろな形で多くの人の親切に触れてきた。

自分はどんな小さな親切でも全く見知らぬ人からのものであってもずっと忘れないことが多い。

最近はいやなことばかりが頭にこびりついてはなれなかった気がする。

でも感謝すべき人ももちろんこの世には多い。

自分は感謝されるべきだと思いつつも逆に感謝すべきだと言うようなことを言ってくる人ももちろんたくさんいる。


もしかしたら、今これを見ている人の中に自分が感謝しい人たちも含まれているかもしれない。

その場でそこの全ての人に感謝申し上げられなかったりしたかも知れないし、ある意味自分はその人たちの期待や親切に答えられないと言うか、裏切ってしまったのかもしれない。

またこれからも裏切ってしまうことになるのかもしれない。

でも自分は結局そんな人間なのだと割り切って生きてゆくのが自分に与えられた生き方なんだろうかとも思う。

もし人に裏切られるようなことがあまりにも多いのであれば、それは自分がその程度の人たちとしか付き合えないようなたぐいの人間だからかもしれない。

昔習った英文で「友達を選ぶのに注意しすぎることはない」と言うようなものがあってあまりピンと来なかったけれど、今その言葉の意味を自分は深く噛みしめている。


筑波大学の加藤和彦教授らが計画するセキュアVMの計画はもっと具体性を示すべきでは?

2006-10-17 22:14:14 | クダ

インテルと筑波大学が協力してOS環境の開発をするニュースが出た。こちらです

しかしこの計画はそのページの下の方にリンクがあるところ(こちら)
を見て分かるようにすでに半年ほど前には計画は発表されていたもので、もう少し正確な言い方をすると、筑波大学などが計画あるいは開発しようとしている計画にインテルが協力することになったということだろうか。

開発の計画もすごく曖昧でいついつまでにこれだけの機能を備えたOS環境が完成されて市場に出すなどといったことはあまり書かれてはいないようだ。

そもそもすでに多くの大学などが協力して開発することは決まっていたのに、なぜ今頃インテルが参加することになったのだろうか。

このニュースで気になるのは以下のような部分である。

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筑波大学システム情報工学研究科の加藤和彦教授は、「セキュアVMを稼働させるためには、プロセッサの最先端仮想化技術を使いこなすことが必須。インテルの技術支援により、セキュアVMの開発が加速する」と期待を述べた。
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ここでは示されていないが国の予算も億単位で出るのではなかったか。

インテルが参加しない段階でもすでに計画は発表されていて、国から予算もでることが決まっていたようであるが、その段階では開発はあまり進まないということだったのか。

開発に要する期間も3年とされているが、3年かけて予算を受け取っていながらもし万が一きちんとしたものができなかったらその予算はどうなるのか。

そういえば超漢字と言うソフトも学振の予算が出たものだったと思うが、その性能はそれなりにいいものなのかもしれないが、最近ではWindows上で動くバージョンが販売されるようになった。

超漢字に関してはデバイスと言うのだろうか、ようするにプリンタなどで対応するものが限られているので、Windows上で動くものが歓迎されるということだろうが、これではようするにWindowsの代わりに超漢字を使うのはかなり難しいということを認めたようなものである。

超漢字は機能に特色があるようなので比較するのがいいか分からないが、筑波大学を中心とするチームが開発しようとしているセキュアVMなる「OS環境」は単体でOS環境として機能するものでないもののようだ。

かりに既存のOSを使いながら安全性を高めるものだとしたら、本当に安全性がこのセキュアVMによって高まったと判断する手段はあるのだろうか。

むろんMicrosoftなどだってセキュリティに対する対策はとり続けてゆくのは当然のことであるし、なぜ既存のOSのセキュリティ対策を補完するようなプログラムを予算をつけて開発しなければならないのか非常に疑問である。

(上の三つの段落は一度アップしたあと《10時半ごろ》に大幅に書き直しました)

このニュースでは一般に流通させられるOS環境を目指しているのかさえも曖昧である。

ITに関してなら予算をどれだけつけてもいいというものではないだろう。

3年後にどれだけのものができるのか、忘れずに見届けたいと思う。