きょうも同じような内容ですみません
一昨日の報道ステーションで飯尾潤という政策研究大学院大学?とかいう難しい名前の大学の教授がいわゆる造反議員に対する自民党の対応について批判しているところを途中から見た。
わたしの記憶が確かなら、1)郵政民営化法案の採決の前に反対票を入れれば処分することを知らせるべきであった2)欠席・棄権した議員との間で対応に開きがある3)小泉が記者会見で「個人によっても違うと思いますし」と言っていたが、具体的な中味はよく分からないということを言っていた。
まず1についてであるが、採決の前にどれだけの警告が自民党からそれぞれの議員に発せられていたか知らないが、小泉は、自分が目指す改革を自民党が邪魔するときは自民党をぶっ壊す、と言っているのでそれで充分ではないだろうか。
またかりに法案に反対なら除名されるということが分かっていれば投票行動を変えたのに何だ、ということであればそういう議員は政策よりも自分の身の保身が大事だということであり、もちろんモラルが問われるはずであり、採決の前に具体的な処分が示される必要はむしろ全くないであろう。
もっとも現在野田聖子を筆頭に多くの造反議員が今さらながら自民党にまつわりつくため政策を消したり変えたりしているわけで、この問題の根は深いと思う。
もちろん政策などどうでもいいというなら話は別であるが、いやしくも政策研究大学院大学教授という肩書きの人がまさか政策は二の次で、党でどのような扱いを受けるかが大事だなどとは考えてはいないはずだが、こういうコメントを聞いていると何のために今までマニフェストの比較・検討をやっていたのか首を傾げたくなる。
2に関しては、反対票と棄権あるいは欠席では法案の採否に関して影響力ははっきり違うのだから対応が同じではむしろまずいであろう。
3に関してはまだ党紀委員会は開かれていないのだから小泉が具体的なことを言うべきではないだろう。
というわけでわたしには全くこの飯尾という人のコメントが理解できなかったのであるが、特に3に関して、あるいは野田聖子および岐阜県連全体に関してくり返しになるが、野田を応援したものは全員除名とすべきことをここでも主張しておきたい。
まずここで押さえておくべきことは、岐阜県連はここへきて急に態度を豹変させているようだけれど、今現在自民党がやろうとしていることを自分たちがすでにやろうとしていたということをまず忘れてはならない。
たしか松田岩夫参議院議員のほかにもいたと思うが、それも選挙中だったと思うが、自民党岐阜県連は野田を支持しない松田岩夫らに対する処分の方針を明確に打ち出した。
たしか野田以外の候補を支援したので処分ということを発表したわけだから、自民党が今現在、自民党岐阜県連全体を処分しようとしていることに関して野田のようにこれを非道ということは自分たちが非道といってるようなものではないか。
しかも野田の場合、夫の鶴保庸介ら他の議員に対して郵政民営化法案に反対するよう働きかけたことは明確である。
しかも誰の応援かは分からないが、他のいわゆる造反議員の応援演説にも駆けつけていて、自民党に対して非常に不利になるようなことを数限りなくやっていることは広く国民が知っていることである。
またテレビなどに映る野田の姿はいかにも自民党が自分をいじめているというような姿を映し出すもので、自民党のイメージダウンをもたらすものであった。
選挙後に映し出された映像でも阿鼻叫喚のごとく泣き喚きながら、自民党本部から毎日嫌がらせをされている、などと泣き喚いていたが、その証拠や根拠などは示されていない。
このことの真偽はどちらもごまかすことなくはっきりさせるべきだと思うが、いずれにせよ「野田聖子を助けてください」とか、「野田聖子を殺さないでください」と叫んでいる姿を見てこれは最近大ヒットした映画『世界の中心で愛を叫ぶ』じゃあるまいし、あんなことを道端でしてるのは大醜態も大醜態、みっともないことこの上ないと思った。
そもそもこの演説にしてもテレビカメラが真正面からとらえていたのだから、非常に意図的なものを感じざるを得ないが、いずれにしてもああいう感情むき出しのようなことをする人間は政治家としても問題があるばかりか、もしこういう人間に子供ができたらどうなるのかとさえ思うほどの大失態のように私には思えた。
いずれにせよ「こんな党ではなかったのですがね」とも叫んでいたので、事実関係を確認して、しかるべき措置が取られるべきだと自分は思う。
さらに今回の選挙とは直接の関係はないが実は野田聖子は今回自民党岐阜県連による処分が取りざたされた松田岩夫の実名をあげて『私は、産みたい』の32ページから34ページのあたりで取り上げている。
体調を崩した翌日に松田の後援会総会があってそれにどうしても出席しなければならないとおもって挨拶だけしたといったことなどが書かれている。
詳細は本を読んでいただければ幸いだが、私はこうした書き方もご当人にとっては非常に迷惑な取り上げられ方であるように思えて仕方がない。
むろんこれは私個人の感じ方に過ぎないが、野田は『私は、産みたい』で実名をあげる場合と挙げない場合があるのでその区別をどのような意図のでやっているのか自分には分かりにくい。
ちなみに113ページに出てくる夫婦別姓に反対の首相経験者は、そこまで言っているのに、なぜか名前は挙げられていない。
いずれにせよ野田聖子という人物の感覚が分からないという点は多いので、また同じようなうなことを二回ぐらい書くかもしれません。
文中敬称略