妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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野田聖子の夫鶴保庸介はなぜ派閥から離脱して自民党を離党しないのか?

2005-08-12 21:20:30 | 野田聖子批判

鶴保庸介参院議員が二階グループに脱退届 (朝日新聞) - goo ニュース

このニュースは一体どういうことでしょか。

なぜ夫人の野田聖子を応援するのに派閥をやめなければならないのでしょうか。

もしやめるなら、

派閥だけではなくて自民党もやめるべきではないですか。

夫として妻を応援するのは当たり前とも述べているようですが、では

郵政民営化法案に賛成したあなたがそれに反対した人を応援するのはどういうことでしょう。

派閥に迷惑をかけるだけでなく、自民党にも大変な迷惑をかけることになるとは思いませんか。

党の方針に従った議員が造反議員を応援するのはおかしいでしょう。

派閥だけでなく党も辞めるべきではないですか。

いずれ選挙が終わったらマスコミはこの騒動は忘れるとでも思ってるのでしょうか。

わたしは忘れないつもりですが。



それと今日、野田聖子が支援者の前で涙を流しながら話をしているのを見ましたが、「自分の選挙のために意見を変えるわけにはいかない」などとのたまわっていたようですが、自分は本当にそうなの?と思いました。


夫の鶴保庸介さんはどうでしょう。最後まで郵政民営化法案に賛成か反対か決めかねて、結局賛成したかと思ったら、今度は派閥を辞めるなんて、まるで自分と妻の選挙のことしか頭にないと思われても仕方ないでしょう。

これではこの鶴保庸介という人は一体何のために政治家になったのか分からないと思われても仕方ないのではないでしょうか。

    鶴保庸介という人の考えや意見はどこにあるのかさっぱり分かりません。



ここ数日いろんな選挙区に「刺客」が送り込まれると言う報道があるたびに、ニュースの焦点にある人以外の人も名前や顔が紹介されます。

しかし毎回といっていいほど名前を間違えたり、顔を間違えたりしてますね。

まだ公示前でもありますし、それほど気を使ってそれぞれの選挙区の全ての人について儀礼的に名前などをだすこともないと思いますが、鶴保庸介という人も野田聖子の夫でなかったら、わたしは一生その名前を知らなかったかもしれません。

変換するのも少し面倒くさく感じますが、間違ってたらすいません。

いずれにしろようするに国会議員が多すぎるのです。

どうでもいいような国会議員が多いとまでは言いませんが、国の重要問題に関してどっちつかずの意見で党や妻の間で振り回され右顧左眄する人がいるようでなんだか情けないですね。


                  文中敬称略

やらせっぽい夫婦の会話をした野田聖子・鶴保庸介はじめ議員さんたちこそみっともない

2005-08-06 22:23:45 | 野田聖子批判

昨日の報道ステーションでは古館が山崎拓氏にインタビューしていた。

その中で郵政民営化に関して今これだけ自民党内で反対があるというのは「みっともなくないですか」と古館が山崎氏に問うていたようだが、一体だれがみっともないということなのか必ずしもはっきりしなかった。

おそらく自民党執行部がみっともないということかもしれないが、それを言うなら今頃郵政民営化法案に関して態度を決めかねている議員さんたちではないだろうか。


亡くなった方に関してはもはや何も言うべきではないかもしれないが、少なくともその方は自分の行動などに関してかなり思い悩んだことは確かであろう。


しかし、他の議員さんたちはどうだろうか。


最近ニュス番組でおかしな場面を見た。

野田聖子が夫の鶴保庸介に「脅しているんじゃない」などといって、鶴保が

「そういわれるるのが脅しのような気がする」などといっていたのだ。

これは一体どういうことだろう。

この会話がテレビカメラの前で行われたということは、マスコミとこの夫婦のあいだである程度打ち合わせができていたということではないだろうか


これはまったくの想像だが、こうした形でもいいから、マスコミに旦那を出すことが一種の選挙運動になるとおもって仕組んだことのようにも見える。


野田聖子が本に鶴保庸介の名前を書くたびに、あるいは野田がテレビに出るたびに鶴保庸介の名前が出ることで、鶴保庸介にとって選挙カーで街中を走り回る以上の選挙活動になるのではないだろうか。


むろん野田自身にとっても選挙戦にはプラスであるだろう。

むろん推論ではあるが、そういう推論を許すような行動をこの人たちはしているとはいえるのではないか。

                 (敬称一部略)

野田聖子『私は、産みたい』の感想(2)「普通」を馬鹿にしてませんか?

2005-08-01 23:38:21 | 野田聖子批判

この本にはいろんな意味で反発を感じた。まず全体で191ページあるのだが、文字が大きく読みやすいといえば読みやすいものの、どこかふやかして本を作ったという印象が否めない。

それはどういうことかといえば自分が読んでいる限りでは話が行きつ戻りつしている印象がある。

たとえば最初の場面は新宿にある「某レディスクリニック」(本書では実名)が舞台であるが、そこで切迫流産の話が出たかと思えば、すぐにその三ヶ月前の話しに戻り、四回目の当選と体外受精の話しがあらわれ、さらに国会議員の忙しさがつづられた後に切迫流産したと思われる場面になる。

少しややこしい話だと自分などは思うが、第2章で何とか入院の話しになるのでこのまま時系列にそって話しがすすむのかと思いきや、第3章ではいきなり婚約の話にまで話しは戻ってしまう。

自分としたらものすごい脱力感だが、こういう本を作るうえでのテクニックのようなものなのだろうか。

もちろん同じ話しが繰り返されるところはあるし、それどころか自分にいわせれば第一章は何のためにあったのか、まさか映画の予告編ではあるまいが、それにしても同じことを同じ本で同じように書くのは資源の無駄のように思ってしまう。


こうした点は差し置くとしても野田聖子のなかで、切迫流産に至った経緯を真摯に反省しているのかという疑問はぬぐいきれない。

たとえば「わたしのこどもは特別なんだ」という思いをもったらしいことは本書の中でいかにも反省しているかのような文脈で書かれてはいるが、やはり「自分が特別な存在である」という野田の気持ちは本書全編を通じて感じられることである。

本書の最後のほうで、「愚痴ったところで何が始まるわけでもありません」と言ってはいるものの、その直後に「どのドクターも国会議員の普通を知らないのです」というふうに書かれているので、愚痴どころか一種のおごりのように感じてしまう。

つまり自分は特別な人間である、普通の女性とは違うので医者はそこのところを理解せよということであろうか。

これでは医者もたまったものではないし、はっきりいいって話にならないのではないか。

たしかに女性の国会議員は特殊な職業かもしれないが、どんな職業でもそれなりに大変さが伴うし、子供を産むことはもちろんそれだけでと言うのもおかしいぐらい大変なことであろうと思う。

出産にあたって仕事をあきらめざるをえない女性も依然として多いのではないだろうか。

自分の仕事の大変さを医者が無理解できないので困るというようなことを書くのは非常に失礼ではないだろうか。


そもそも子どもを産もうとする場合、国会議員だからとかそういうことには関係なく気をつけねばならないことはあるはずだと思う。

野田は本書のいたるところで反省を示しているかに見えるが、最後まで自分の特権意識にこだわり続けているというのがわたしがこの本を読んだ感想である。

野田聖子『私は、産みたい』の感想(1)妹が政策秘書とは!

2005-07-31 15:11:53 | 野田聖子批判

自分としてはもう野田聖子のことは忘れようと思っていたが、最近の郵政民営化法案の騒動でよくマスコミに名前が出てくるので、そう簡単に忘れることはできない。

『私は、産みたい』という本が出てきたとき、新聞の紹介の仕方からしてこの本は問題があると思い、この人に関して批判的な目で見た感想をいろいろ書いてきた。


本当は読みたくなかったが、『私は、産みたい』をついに読んだ。

読みきるのにはいやな思いをしたが、約2時間で読みおえた。

いろいろ感想はあるが、とりあえず。。。

美談のようにして(もっともどれも美談めかして書いているのかもしれないが、どれも自分には美談とは思えない)妹のことがかれているれている。


なにより驚いたのは妹が政策秘書であるということ。

政策秘書には資格試験に合格するか、10年以上の秘書としての経験が条件とされているようだが、妹を秘書にするなどわたしにはとても考えられないことだ。


秘書でも、家族でも見舞いをしたり、体のことを心配するのは当たり前だろう。

しかし、政策秘書というのは議員のプライバシーからはむしろ離れたところで政策に関する研究などをすべきではないか。


野田聖子はわたしのこうした「政策秘書」という制度にに対する「期待」をこの本においてこっぱみじんに砕いていると言える。

野田聖子という政治家は「公」と「私」の区別ができない政治家であるような気がして仕方なかったが、この本を読んでますますその疑念はふかまった。


野田聖子や岡田代表は少子化問題に「経済的支援」を主張しているようだが。。。

2005-06-23 20:20:50 | 野田聖子批判

岡田代表の質問では少子化の問題も取り上げられていた。

まず(たしか)50分の時間内で日韓首脳会談の成果や靖国問題、そして少子化問題とまるで総花式に質問したこと自体、どれだけの具体的議論をしようとしたのか自分には理解できないところがある。

これでは本格的な議論のできようはずはなくて、まさか自分がどれ一つとっても深い議論はできないのでそうしたとは思いたくないがいずれにしてもあまり大人の議論には思えなかった。

岡田氏の主張では少子化対策として、補助金を出すというようなことが言われていたと記憶する。

自分は依然として、あまり少子化の問題には詳しくないし、統計やアンケートなどもあまり見ない。

しかも自分の境遇を考えると少子化の問題には口はさしはさみにくい。

そう思う一方で、そうした自己規制あるいは「語るのが恥ずかしい」という感覚がもしかしたらまずいのかもしれないとも思う。

こうした問題に関しては個人的な状況にかかわらず、発言の自由が許されていいはずだと思う。しかし自分の立場ばかりを主張するのはひどく間違っていると思うのは野田聖子にいつも感じていることで、少なくとも少子化問題に関してはかなり幅広い視点から考えなければならないように以前から思っている。

このブログをご覧になっている方の中にもいろいろな立場のかたがおられるので、気分を害される方もいるかもしれないが、自分の考えでは岡田代表や野田聖子が主張している(野田に関してはたしかサンプロで言っていたと記憶する)ような「子育て支援策」のようなたぐいの平たく言えばおそらく「経済的支援」になるものをすれば少子化問題が少しでも緩和するとは自分には思えない。

もちろん子供を作りたいけれども経済的理由でつくれない方々は少なくないであろう。それを喜ぶ方も多いはずだ。しかしそうした方々にとっては民主党が提示したような金額でも足りないという人も多いのではないだろうか。(いくらかは忘れたがはっきり言ってそれほど高くはなかった筈)

自分などの感覚ではそもそもそのようにお金をもらえればこどもを作るという話しか、などとも思う。

もちろん子育てにお金がかかることは間違いない。しかし、そうした計算をしだしたらとても不安が先走って子供など作れないというのが現代の若者の心理なのではないかという気がする。

つまり生活にはこれこれのお必要などということを言い出したらとても子供は作れなくて、ある程度計算を超えた決意のようなものが子作りには必要なのではないかという気がしている。

もちろんある程度の計算が必要なのはもちろんだが、民主党などのように一年間にいくらのお金をやる、ならば子供を作るという風になるのだろうか。そうなることも多いにしても、それが問題の解決になるほどの数字に結びつくかどうか。

そもそも今現在にしたところで子供ができれば、小額とは言え「出産一時金」は出るのだし、税制上の優遇措置もどんどん減ってゆくようではあるが子供がいる家庭のほうが独身の人より優遇されているはずだ。

しかも公的サービスに関しても義務教育は公立は実質上ただなのだから、一定の税負担に対してどれだけの公的サービスをどれだけ受けられるかという指数のようなものがあれば、独身の人間は比較にならぬほど損をしていることになるのではないだろうか。

したがって自分が考えるには岡田代表や野田聖子らが主張する「子育て支援」のたぐい(待機児童を減らすというのも自分は要するに予算上の措置、つまり金の問題だと思っている)は問題の本質ではないと思う。

岡田氏は子供がほしくても経済的な理由でうめない人を念頭においているようだが、それをどれだけ国が面倒を見るのかというのは非常に難しい問題で、そう簡単に片のつく問題ではないだろう。

もちろん基本的に子供をもちたくないとか、結婚したくない人の考えは政治が変えようとするのは間違いだと思うので、この問題に関しては、どんなに野田聖子をはじめとする女性議員が噛み付いても「積極的でない姿勢を貫いている」かのような小泉氏の方が誠実だと思える。

もちろん結婚についても家庭のあり方についてもいろいろな考え方が存在し、お互い認められるような社会であればそれが望ましいことは言うまでもないだろう。

たとえばこの国は養子ということはあまり多くはないようだが、そういったことや籍を入れなくても単に養育することなどもどんどん増えることを期待すべき時期が来ているのかもしれないなどと自分は思う。

人がどのような家庭を築こうとしているかはまったく本人の自由だけれども野田聖子が自分は子供を生みたいといえば言うほど自分にはこの国の家庭のあり方が多様性を許さないものであり続けていることを示しているかのようで残念でならない。

むろんこれは利己的遺伝子とか、三高などという言葉についても考えるべきことであって非常に多くの視野から考えるべき問題であって、とても自分には扱えないような気がする。

そうした意識ががまずいのであろうが、いずれにせよ少子化問題を論じている人の議論が自分の問題意識と比べて優れているとは思えない。


足立区の封筒があったので何かと思ったら。。。は消しました。(事情により内容は別のものにしました)

2005-02-19 13:12:37 | 野田聖子批判

お断り。ここは個人的日記でしたが、「選挙公約」を期待された方も多いと思いますので、ここは消させていただきます。

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9月2日管理人

『私は産みたい』の著者野田聖子さんは中絶したのですか?

2005-02-13 18:49:23 | 野田聖子批判

3月2日お詫び:情報では、どうも中絶されたわけではないようでした。しかし、基本的な論旨は修正するつもりはありませんが、心よりお詫び申し上げます。いずれ体調が戻りましたら、細部を書き換えますが、とりあえず、原稿の大半を削除しました。どうぞご了承下さい。3月9日追記それと現在の自民党における役職にも誤りがあった様なので訂正しました。重ねてお詫び申し上げます。ただし役職はもう少し分かりやすい表記の仕方がなされることを希望します。なお論旨には影響はないとかんがえております。


今朝寝ぼけまなこで『サンデー・プロジェクト』を見た。

そこまで小泉さんが嫌いなら野党に移るべきだと思うが、
なんと自民党の政務調査会副会長をやっているんだよね。



おかしなことだらけでよく分からない。

本当にこんな人が女性の総理になろうとしているんだろうか。


それと以前野田聖子『私は産みたい』で検索したら、それに関する自分の

ページへいける検査結果があったのに消えた。今日同じことやったら、前は3つ

出てきたのに今は一件しかない。なんかへんだけど本人や関係者は関係ないの

かな。



とにかく野田聖子の議論はサイトにある講演のようなものも含め分からないだらけ

だからそのうちまた論じてみたい。


ブログには限界があるけど、自分もいろいろな意見表明の手段を考えている。


                 文中敬称略(あとで訂正とかの可能性あります)



野田聖子 『私は産みたい』でキャッシュされていたはずなのに。。。

2005-02-02 14:13:42 | 野田聖子批判
12月26日のこのブログで私は野田聖子に関して批判的なブログを書いた。

今年の初め、「野田聖子」と「私は産みたい」でYahooで複合検索してみたら、

キャッシュされていて、検索結果のかなり上の方(たしか4番目)に来ていた。



私はインターネットによる心無い発言の類はよくないと思っているし、無制限に

アップされてしまうブログのあり方にも問題はあると思う。たしかに自分の書き方は

過激なところはあったが、削除する考えは今のところない。



もちろん匿名のブログだし、誰とであれ、論争などをするつもりはない。

ただ野田聖子のサイトにかかげられた論文の類を見ていると非常に疑問に思われる

ところがあるので、いずれその点についても書きたいと思っている。



今朝テレビの番組表をみていたら、野田聖子夫妻があるワイドショーに出たらしい。

最近自分のブログが先ほどあげた複合検索でかなり順位が下がっていた事に気づいていたが、

なぜかその結果出た部分をクリックするとまったく違う記事が出てしまう。

まさかのまさか、政治家や出版社の圧力があったとは思いたくないが、非常に不可解


である。そういえば昨夜アクセス数が二転三転したが、これは関係ないだろう。



いずれにせよあまりITにも不妊治療にも詳しくないが、野田聖子の主張に関しては

これからも勉強させていただいて、何かあればここでもどこでも書くつもりでいる


                    文中敬称略


野田聖子『私は産みたい』に関する疑問

2004-12-26 22:54:42 | 野田聖子批判
23日の読売朝刊の「顔」欄に野田聖子のインタビュー記事が載った。『私は産みたい』の著者としての紹介記事だが、もちろんこの人が郵政大臣であったことなども紹介されている。

不妊治療や体外受精のことに関しては私はほとんど基礎的な知識もないので、非常に書きづらいが、こうした紹介記事を読んだだけで暗然とした気持ちになることを正直に告白したい。

まずこうした問題に関して自分が夫であれば口外することは許さないし、親族でそういうものがあれば協力はできない。それは生まれてくる子供のことを考えてのことである。つまり、これだけの苦労をして自分が生まれたということを記録に残すということに子供がどう反応するか、生まれてもいない子供の心をかってに推測することはできないはずであるのに、生まれる前からこれだけ子供を作ることに苦労をしていることを商業的利益や名声と結びつく形で発表していることには、きわめて不快な印象を禁じえない。

いうまでもなくこの問題は高田夫妻の問題でさんざん論じられてきた問題であるはずだが、こうした体外受精や不妊治療といった問題が有名人の告白のような形で論じられることが実に残念であるのは、この国会議員の言葉の中にある種のおごりのようなものを感じるからだ。

「人生は二者択一じゃない。仕事と出産・育児は両立して当たり前でしょ。」これはインタビューの中の言葉であることを考えるべきであるにしても反発を感じざるを得ない。「両立を目指すことが許されるのは当たり前」というのなら分かるが、野田の言い方にはそのようなひかえめな言い方とは明らかに全く違う専業主婦蔑視とも取れるような響きがあると私は感じている。

こういう女性議員の言葉を読むと、今私は実際の文章をここに確認していないが、三島由紀夫のそれこそ女性に対する偏見に満ちた文章の中で女性議員に対して激越な嫌悪感をもよおしていた文章を思い出してしまう。

ここまでいってしまうのが適当か分からないが、こういう人のコメントの中には、インテリ(と自負している)女性の非常に屈折したコンプレックスがあらわであって、寅さんの「俺は便所のうじ虫とインテリの女ほど嫌いなものはなねぇんだ」という言葉まで思い出してしまう。

私は野田が子供を生もうと努力することは自由であると思う。しかし、こういうインタビュー記事から受ける印象は野田が仕事と出産・育児を両立させる女性を目指しているということであるよりは、それができない人間に対する抑圧的な態度であって、自分の経験や苦悩というものがいかにも尊いものであって、それ以外の生き方をさげすむような視線である。

私はどんな社会問題でも経験に根ざした議論というのは尊重に値するとは思うけれども、そこには一般論として敷衍するにはふさわしくない部分が生じてくる可能性も忘れてはいけないと思う。

野田の主張に垣間見えるのは「女性」あるいは「家族」に対する信じがたいまでの大雑把な一般論またはステレオタイプとも言うべき強権的言辞であって、とても見過ごすことのできないおごりを感じる。

今私は『私は産みたい』を持っていないが、野田のサイトにある論文もきわめて分かりづらい内容でこれは別の機会に論じてみたいが、いずれにせよ野田の視点に欠けているのは、自分が国会議員という、特権的な地位にあることの特に「特権」という部分に対する自覚であるように思える。

われわれはすでに、刑事事件の被告で拘留されているものや、長期療養中のものが議員の職を離れずにいた例をいくつでも見てきたはずだ。

おそらくは野田は自分はその人たちとは違うというであろう。私もそれとは違うと思うが、議員の職務というのはよく考えてみると本会議を欠席したらその分減俸になるとか、そういった話しは聞いた事はないのであって、その仕事というものはあくまで、自分で決められるものではないかということだ。

極端な話し、学校の先生であれば産休には産休補助の先生がついてその任に当たるが、国会議員に産休の間、他のものが代わりにその仕事をしていたということがあっただろうか。

繰り返すが私は野田の本を読んでいないが、そうしたことは全く触れずにインタビューで仕事と出産・育児の両立などということに触れるのはいかにもまずいと思う。

もちろん大部分の有権者や読者はそんなことは十分承知のはずだがあえて筆を執った次第。

P.S.文中敬称略。それと細かな部分をたびたび直しています。