山から下りた父は、「明日はもうどこにも行きたくない」と言っていましたが、温泉につかって疲れが癒えたようで、一緒に網走監獄に入りました。
網走刑務所と聞くと、「重罪人」というイメージがありましたが、その歴史を初めて知って、切なくなりました。
旧ロシア帝国からの国防のために旭川と網走を結ぶ163Kmの道路(中央道路)をわずか8ヶ月で完成させるために、囚人を作業に当たらせます。
逃げられないように2人ひと組で繋がれて作業をしたそうです。
昼夜を通した作業と過酷な自然環境、食糧事情も悪く、210名のも囚人が命を落としたそうです。
彼らは道路の脇に埋められ、のちに住人によって掘り起こされて埋葬されました。
中央道路の完成によって、屯田兵が入り、北海道の開発が進むのです。
この中央道路の悲劇によって帝国議会で「囚人は二重の刑罰をうけるべきか」という議論がおこり、ついに囚人の外役労働が禁止されたとのことです。
大昔の囚人です。
思想犯や冤罪の人もたくさんいたことでしょう。
彼らの冥福を祈ります。
農耕馬も多い時には50頭ほどいたそうです。
鉄を作っています。
奥行があります
昭和59年まで使われていたそうです。
房の中のトイレ
父を入れて・・・
母と二人で「じゃ、帰ろうか」と(笑)
網走監獄はオススメです。
網走駅の正面には縦に駅名を記した看板が掲示されているそうです。
その理由は、刑務所を出た人が、戻ることなく真っ直ぐに進んで欲しいという願いが込められているそうです。