千葉・清澄山の旭ケ森で立教開宗の第一声を上げたのが建長5(1253)年の4月28日。
翌5月には、鎌倉に向けて東京湾を渡られたことになります。
そして、着いたのが・・・

横須賀!!
横須賀に上陸されてから鎌倉に至るまでの足取りを、2月末の曇り空の日、丸一日かけて辿りましたので、これから数回に分けてレポします!
日蓮聖人を乗せた船は、荒れる海に翻弄され、船底に穴が開いてしまいます。
日蓮聖人がお題目を唱えると、海は静かになり、浸水もおさまりました。
で、漂着したのが

猿島!
ここ小学生の頃に釣りに行ったことがあります!
アイナメやキスがいっぱい釣れた記憶がありますよ~
ひとまず猿島に上陸した日蓮聖人に一匹の白猿が近づき、陸地の方角を教えてくれたそうです。この謂れから「猿島」と呼ばれるようになったそうです。
そして上陸したのが横須賀・米が浜です。

現在の横須賀共済病院あたりでしょうか?
調剤薬局にもその地名が使われています。

米が浜から一段高くなった丘の上に、龍本寺はあります。
隣のマンションでかすぎ~!

立派な本堂です。
歴史も古そうです。

扁額には「聖人垂跡(迹)」とあります。

彫刻が見事です。

お堂の回廊の下!!
小さいころに神社やお寺のこういうところで遊びましたね~

軍港の町だけあって、海軍関係者の慰霊碑が沢山あります。

庫裡もクラシックな造りで、いい味出してます。

実は日蓮聖人の船が上陸しようとしたところ、このあたりの海岸は遠浅で、船が近づけなかったようです。難儀していると、着物の裾を上げて日蓮聖人を背負い岸までお連れしてくれた方がいました。石渡左衛門尉です。
石渡左衛門尉は日蓮聖人に帰依し、ここ米が浜に「御浦(みうら)の法華堂」を建てました。
日蓮宗門で最初のお寺でした。

のちに御浦の法華堂は龍本寺になりました。

しっかしでかいマンション、気になるな~
お寺の裏手は急峻な傾斜地です。

お寺の由緒が刻まれた石碑も、窮屈そう・・・

眼下にはディープな雰囲気のスナック街(笑)
ゴールデン街ぽくてなかなか!!

周囲が開発され都市化する中で、宗門最初のお寺の境内だけは全く別の時間が流れているようでした。
このあと日蓮聖人は衣笠の方面に向かったようです。
僕も追跡しま~す!!!