日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

金谷山大明寺(横須賀市衣笠)

2017-03-02 13:33:11 | 旅行
三浦半島上陸の地、米が浜の龍本寺をあとにした日蓮聖人は、当時の政治の中心・鎌倉に向けて歩いてゆきます。

途中には、遠い昔からの史跡があります。

池之端という商店街には、弁天様。


JR衣笠駅のほど近くにはお題目の法塔(右)。


台座には龍本寺の名前が刻まれています。


「金谷山」と刻まれているので、大明寺のお上人の書なのでしょう。
日蓮聖人五百遠忌に建てられたもののようです。


その左には・・・う~ん読めない・・・
「日蓮大菩薩・・霊場」の石碑 

でも目指している方向は間違ってなさそうだぞ!


クラシックな衣笠駅を通り越し・・・


来ました!大明寺!!


スポーツで有名な三浦学苑高校に隣接しています。


まずは巨大な法塔がお出迎え!


法塔の台座には「石渡吉右衛門」さんの名前。
龍本寺の「石渡左衛門尉」と関係あるのかな?


境内は山に向かって奥に広そうです。


椿が満開!!


講中発見!
八幡村題目講中、今の久里浜あたりの講だと思われます。


山門です。
左右に仁王様が立っていますので「仁王門」かな?
傾斜地の山門って、お城の門に近い圧迫感がありますね~


山号は「金谷山」です。
東京湾フェリーは久里浜を出航すると金谷に着きますが、由緒はそれではなく、「後嵯峨天皇の第一皇子で、鎌倉幕府の第六代・将軍となり、後に謀反のかどで北条氏に追われた宗尊親王が当地に来て、谷あいから金色の光が発する光景を見て、「金谷山」と名付けた」とお寺の紹介に書いてありました。


デーン!!
重量感のある本堂です。


あれ?あの家紋・・・
葵の御紋だ!
徳川幕府と関係あるお寺なのかな?


なになに?

日蓮聖人が米が浜に建てた宗門最初のお寺「御浦法華堂」が手狭になったので(わかる!裏が崖であれ以上寺域が広がんないもんね!)この衣笠の地に移築し「金谷山大妙寺」としたそうです。

大妙寺・・・うんうん、日蓮宗のお寺っぽい名前ですよね~

江戸時代に十六石(すごいの?)の寺領を与えられていたそうです。ただその朱印状に「大明寺」と書き誤られたのが現在まで引き継がれているそうです。
江戸城に登城するときは十万石の格式が許されたお寺らしく、そのステータスから葵の御紋が付いているのかもしれませんね~!


常在殿です。
釈迦堂のようです。
中にお釈迦様の像が安置されているんでしょうね!


七面堂です。
日蓮宗のお寺は七面天女を祀るお堂が多いですね!


六地蔵です。
お釈迦様が姿を消している間、人々の苦しみを救ってくれるのがお地蔵さんですが、人間が繰り返す6つの世界の苦しみ(六道)を救うために六体あるそうですよ。


ここ大明寺は太田道灌公の子、資康公の五輪塔があることでも有名です。

戦国時代にこの一帯を治めていた三浦氏(この界隈ではヒーローっすね!)を北条氏が攻め入った時に、三浦氏救援のために太田資康公が江戸城からはせ参じ、討ち死にしてしまいました。

大明寺に葬られたという記録はあるようなのですが、墓が見つからなかったようです。

昭和56年に三浦氏の末裔の方の奥様(東京・板橋の日蓮宗のお寺のお上人みたいですよ!)が慰霊のためにお墓に代わる五輪塔を建てたそうです。



日蓮聖人像です。
岩の上ぽいところにお立ちになってる像が多いような・・・
不安定な足元でも姿勢はいい!!


鎌倉に入られる前のお若いころなのかな、がっちり体形です。
眉毛が印象的です。
たどった足跡が次々にお寺になっているなんて、やっぱりカリスマです。


境内にはこんな場所もありました。
人とのつながりの希薄な現在こそ、仏教の果たす役割は大きいのかもしれませんね・・・。


実は大明寺、戦前戦後の長きにわたって綱脇龍妙上人が住職をされたお寺でもあります。
綱脇龍妙上人は世界で唯一、仏教者によるハンセン病療養所であった、身延深敬園を開いたお上人として知られています。
大明寺の門前にある深愛幼稚園は昭和30(1955)年、綱脇上人が中心となって創設され、初代園長も務められたといいます。
綱脇上人が実践された福祉の精神は、今も脈々と受け継がれているようです。


さあ、あまりゆっくりしていられないぞ~!
鎌倉に向けて・・・次は高祖坂かな~?


最後にこんなのを見つけました!
初めて見た~!「百度石」
お百度参りの目印ですよね~!


しっかし・・・
ここ百度は、ヤバいでしょ?

受験シーズンの今、お父さんお母さん、トライしてみませんか?

猿海山龍本寺(横須賀市深田台)

2017-03-01 17:17:39 | 旅行
千葉・清澄山の旭ケ森で立教開宗の第一声を上げたのが建長5(1253)年の4月28日。
翌5月には、鎌倉に向けて東京湾を渡られたことになります。

そして、着いたのが・・・
横須賀!!


横須賀に上陸されてから鎌倉に至るまでの足取りを、2月末の曇り空の日、丸一日かけて辿りましたので、これから数回に分けてレポします!


日蓮聖人を乗せた船は、荒れる海に翻弄され、船底に穴が開いてしまいます。
日蓮聖人がお題目を唱えると、海は静かになり、浸水もおさまりました。
で、漂着したのが
猿島!
ここ小学生の頃に釣りに行ったことがあります!
アイナメやキスがいっぱい釣れた記憶がありますよ~

ひとまず猿島に上陸した日蓮聖人に一匹の白猿が近づき、陸地の方角を教えてくれたそうです。この謂れから「猿島」と呼ばれるようになったそうです。


そして上陸したのが横須賀・米が浜です。
現在の横須賀共済病院あたりでしょうか?
調剤薬局にもその地名が使われています。


米が浜から一段高くなった丘の上に、龍本寺はあります。


隣のマンションでかすぎ~!
立派な本堂です。
歴史も古そうです。


扁額には「聖人垂跡(迹)」とあります。


彫刻が見事です。


お堂の回廊の下!!
小さいころに神社やお寺のこういうところで遊びましたね~


軍港の町だけあって、海軍関係者の慰霊碑が沢山あります。


庫裡もクラシックな造りで、いい味出してます。


実は日蓮聖人の船が上陸しようとしたところ、このあたりの海岸は遠浅で、船が近づけなかったようです。難儀していると、着物の裾を上げて日蓮聖人を背負い岸までお連れしてくれた方がいました。石渡左衛門尉です。
石渡左衛門尉は日蓮聖人に帰依し、ここ米が浜に「御浦(みうら)の法華堂」を建てました。

日蓮宗門で最初のお寺でした。


のちに御浦の法華堂は龍本寺になりました。


しっかしでかいマンション、気になるな~


お寺の裏手は急峻な傾斜地です。
お寺の由緒が刻まれた石碑も、窮屈そう・・・


眼下にはディープな雰囲気のスナック街(笑)
ゴールデン街ぽくてなかなか!!


周囲が開発され都市化する中で、宗門最初のお寺の境内だけは全く別の時間が流れているようでした。


このあと日蓮聖人は衣笠の方面に向かったようです。
僕も追跡しま~す!!!