雨飾りファームだより

日本百名山の雨飾山の麓から猫と金魚と農業と、田舎暮らしの日常を綴るブログ

雪国で田舎でそれでも住んでます。

2017-12-12 09:53:06 | 日記
 いよいよ今季最強寒波到来です。でもまだ12月、いきなり冬の初めから最強寒波の洗礼を受けるとは。何でもラニーニャが発生したらしく、冬はより寒く、夏はより暑くなるらしいです。季節が2極化しちゃうんでしょうかね…。

 ということで、今日は真冬のような景色となっています。今年から勤務時間が半分になっているので少し気楽になっています。それでも、雪をあんまり溜めると除雪も大変なので除雪にでました。

 我が家は、昭和46年ごろ、先代が山から下りて建てた家です。当時はこんなに車社会になるとは考えてなかったのでしょう。我が家に入る車道がありませんでした。県道から人が歩ける程度の小道を30メートルほど下りたところにあった田んぼを埋めて建てたようです。

 私たちの代になって、農道から入れるように道を作ったのですが、冬は農道の除雪をしないので車を家に横付け出来ません。県道脇の人の土地を借りて露天駐車しています。これが結構大変で、大雪となると毎日車を掘り出して出勤しなければならず、ダンナが建設業に勤務しているので大雪の日は早朝除雪といって2時半頃家を出ていきます。大雪の日はダンナがあてにならないのです。

 そうこうやっているうちに20年も経ちますが…。日本一の豪雪地帯といってもいいこの地で何とかやってきました。

 昔の人は、雪国の苦労をしてでも田んぼや畑という農地にしがみついたのだと思います。田んぼや畑があれば生きていけたのです。それが、何より大事だったのです。でも、時代は変わり、多くの人が現金収入で暮らす世の中に変わりました。現金を得るための暮らしに変わってきたのです。現金があれば、食べていける世の中になったのです。

 そうなった時、田んぼや畑は、むしろ足かせになってきました。現金を得るためだけに集中するには、休日に野良仕事などやってられないし、冬は出勤するために朝晩除雪なんかしてられない、だったら、同じ市内でも市街地に出れば、そこは全く雪が降らないので皆、そこを目指して出ていってしまうのです。

 私は、食べるためというより、自分の精神的な拠り所としての農との付き合い方がしたくてここにいます。市街地で暮らそうと思ったことは全くないです。10代の頃は、都会に憧れたし都会的生活もしてみたいと思いました。

 私が嫁いだころより時代は、進みました。

 田舎でも雪国でも楽に暮らせる方法はいくらでもあるんです。

 除雪しなくて済む家を建てる、屋根雪を降ろさなくてもいい家にする、車庫を道路沿いに建てる、断熱がしっかりした家を建てる、これが出来ればいいだけです。

 大きい家なんか要らないのです。我が家は最近リビングキッチンでほぼ生活出来てます。子供部屋も和室も要らない部屋になってます。

 田舎でも、雪国でも暮らせます。今日の進歩した家は、そういう場所でこそ真価を発揮すると思います。

 我が家もまだまだ、老後に向けて家を進歩させなくては…。