雨飾りファームだより

日本百名山の雨飾山の麓から猫と金魚と農業と、田舎暮らしの日常を綴るブログ

不寛容社会の行く末は。

2017-02-28 06:54:02 | 日記
 今日の地元紙、新潟日報に不寛容社会について書いてありました。
 そうそう、私も昨年あたりからかなり気になっていたのです。

 自分中心で他者を思いやれない人が増えたかなと。

 日本人は昔から相手を思いやる心の強い民族だったと思います。ところが、近年、ネットなどを中心に多民族に対する差別を堂々と行うとても気持ち悪い人たちが出現してきました。もちろん、どんな宗教を信じても、思想をもっても構いません。ですが、それが、差別となり、人を傷つけたり、他者の自由を奪うとなると全く別物です。差別されることによって生活の自由が奪われたりすることはあってはならないことです。そういう差別行為が人としての愚行と感じないところがさらに恐ろしいことだと感じます。

 人を受け入れられないのは、器が小さいということで、けっしてカッコよくはないです。そこには、当然、建前とホンネが存在します。でも、多くの人は建前で生きているのです。だからこそ、世の中はうまく回っているのです。皆、薄々、ホンネに気付いています。でも、皆がホンネだけで生きていたら
我がまま駄々っ子の世の中になってしまうと思いませんか?

 アメリカほどの大国が、弱い国の人々を救えないなら、民主主義は根本的に間違っていたということになるのではないでしょうか。大国はもっと堂々と大国なりの寛容さを持つべきだと思います。もちろん、アメリカの失敗(?)は、貧富の格差がつき過ぎたことでしょうね。

 日本でも、お金があれば何でも解決すると思っている人たち。都市部では人との繋がりが薄れ、互助の精神が失われ、煩わしい人間関係は無くなったけれど、孤独に陥っていることに気がついていない人たちが結構いるのではないでしょうか。

 会社をやめても繋がっている人はどれだけいるのか、家族を持たないならなおさらのこと、一人で生きて行かなければならないということに気付いているでしょうか。その時になって、この不寛容な社会の息苦しさに気付いても手遅れですよ。自分が弱い立場になって初めて気が付くでしょう。

 せめて、私の住むこの田舎では、人との繋がりを大切にしていきたいと思っています。

 弱い立場の人も幸せになって初めて自分たちも幸せになれるんじゃないでしょうか。

 相手の立場になれる人がいなければ、自分の立場もわかってもらえないということ、そういう人を育てるのは私たち大人の役目だと思います。

 地方はまだまだそういうことが出来るところです。

 

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿