あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

みとりこ

2017-12-15 12:42:31 | 
ずっとずっと、彼の存在をわたしは宥めてきた。
いつからだろう。わたしが彼を何より崇拝するようになったのは。
彼を何より、美しいと感じるようになったのは。
わたしが母の死体を見詰めてなんの悲しみも感じなかったのは、四歳と九ヶ月のとき。
わたしは母の死体を見詰めて、ようやく覚った。
"それ"がただの容れ物であったということを。
母親のことを御袋と呼ぶが、確かにそこにあるのは中身の空っぽの、ただの袋であった。
わたしはそれを見詰めて、ようやく知った。
母の本質は、母を連れ去った"死"であったということを。
そしてわたしは気づけば、彼を崇拝していた。
彼の存在を、毎日宥めなくてはならなくなった。
まるで自分の可愛い嬰児(みどりこ)のように。
彼はわたしにすべてを求めてくるので、わたしは与えられる限りのすべてを彼に与え、宥めなくてはならなくなった。
それでも彼は、いつも不満そうな顔でわたしを見詰める。
時にわたしの手を、強く引っ張り、わたしのすべてを求めんとする。
彼はいつも、わたしの操(みさお)が欲しいと言う。
彼はいつも、こんな夢を見るのだとわたしに言う。
わたしという器が、白木の柩に入っており、彼の右の手が、わたしの操を奪い取る。
その時ようやく、わたしを操れたことの満足を感じると。
そしてそれは、まるで親鳥が巣を作るのに似て、彼はわたしという器のなかに、卵を産み落とす。
彼がいったい、誰の子を孕んでいるかは教えることができないが、彼はずっとずっと、その準備をしていると。
だからどうしても、わたしという霊(み)を、とりたいと彼はいつも、蒼い清んだ眼でわたしに乞う。
その美しさは、何よりわたしを魅了し、誘惑する。
同時に、それが何よりわたしを反発させる。
だからわたしという器は、ずっとずっと、彼を嬰児のようにあやし、宥めなくてはならなかった。