最近またちょっとみちた(うさぎ)の調子が悪くなってきて、くしゃみの連発の早さが早くなってきたことで、みちたもイライラしていて、甘いおやつほしさにサークルをガジガジとする音で眠っても2,時間後くらいには起こされる。
いつもこの時期、父の亡くなる前の今の時期が一年で一番精神が不安定になる自分も不眠がちになってるせいもあるのかもしれない。
今日は昨夜からずっと、某アプリで知り合ったクリストファーに悪ふざけの連発の冗談が彼を傷つけたようで、彼から早くもブロックを食らわされた直後に僕を慰めるかのようなタイミングで僕にコンタクトを送ってきてくれた同じアメリカ人の29歳のアメリカの学校で文法と読書を教えている先生だという男の子と楽しくチャットしていたのだが、少し眠って目が覚めると、あまりに絶望的な感覚に目の前が真っ暗になっていた。
僕は苦しさを紛らわしたくて、僕と同じレディオヘッドが好きだと言ったその男の子に好きな曲は何かと尋ねた。
その後には「死を感じる」とクリスマスを楽しく過ごしているであろうSNS機能も付いているそのアプリのなかで僕一人だけそんなことを呟いてしまった。
そのちょっとあとに、彼から返事が来た。
僕は好きな洋楽もほぼ題名で覚えられず、その曲名がどの曲だかわからなかったので、聴いてみた。
Sparklehorse and Radiohead - Wish You Were Here
この曲は、僕の好きな曲で、僕の好きなSparklehorse(スパークルホース、厳密にはSparklehorseの 中心人物であるMark Linkous)をレディオヘッドのトム・ヨークがヴォーカルにフィーチャーした「Wish You Were Here」(Pink Floydの1975年のアルバムWish You Were Hereのタイトルトラック)のカバー曲である。
僕はこの曲を久しぶりに聴いて、涙が溢れた。
彼はとても親切にこうやって歌詞まで送ってきてくれた。
残念ながら彼の載せてくれた歌詞の自動翻訳では正確な意味がわかりかねるので歌詞の和訳を以下のサイトなどで読んでみた。
WIsh You Were Here ピンク・フロイド (Pink Floyd)
「あなたがここにいてほしい」ピンク・フロイド
上のサイト氏は悲憤を交えた語りがすごく良いと感じて想わずまたも涙が零れた。
下のサイト氏の訳はとても優しい語りが悲しみをより感じさせてくれて、”you”への想いがとても親しみが深いことが伝わってきて、この両方の良いところを合わせた和訳が自分は気に入った。
そしていくつかの歌詞の解釈も読んでみて、疑問に感じるところができた。
それは二連目の、この部分だ。
Cold comfort for change?
And did you exchange
A walk on part in the war
For a lead role in a cage?
ちっとも嬉しくない慰めと引き換えに
お前は交換してしまったのか
自由への戦いでの端役と
冷たい檻のなかでの主役とを
(上のサイト氏の和訳)
変化を得るために 嬉しくもない慰めを手放し
戦いの端役を捨てて 檻の中の主役を取ったんだね?
(下のサイト氏の和訳)
これがさっきの彼が送ってくれた歌詞の自動翻訳では
「冷たい快適の変化のために?
あなたは交換しましたか。
戦争の一部を歩いて、
かご(檻)の主導的役割を果たしましたか?」
といったとても面白い翻訳になっている。
この翻訳の場合は、下のサイト氏の「”変化(change)”を得る為に、”嬉しくもない慰め(Cold comfort)”を手放した。」というこの”Cold comfort”と”change”が、”you”の手にしたどちらかであるという意味合いとは違ってくる。
これだと、”you"は、これらの、”Cold comfort for change(冷たい快適の変化)”のために、君は上記のすべてを交換した(犠牲とした、引き換えにした、手放した)のかい?という意味合いになる。
これに対して、彼はこのように英語で答えてくれた。(そしてその自動翻訳の翻訳にまたも僕は悩むこととなる・・・)
多分だが、彼は”Cold comfort”と”change”が、”you”の手にしたどちらかであるという意味合いであるとは受けとっていないように想われる。
Cold comfort for change,a stagnant peace,a cold routine comfort for uneasy change maybe?
”変化の冷たい快適さ(cold comfort for chang)(ってのはつまり)、停滞した平和、不安な変化のための寒い日常的な快適性(って意味かも?)”
という意味を彼は返して来たのだろうか?と考えている・・・
そしてさらに彼は続けてくれた。
Trading all these parts of yourself for new shallow pieces
”新しい浅い部分のためにあなた自身のこれらすべての部分を取引きする”
”これらすべての部分”とはつまり、その上にある歌詞のすべての彼が交換した部分(英雄たち、熱い灰、熱い空気)であると想われる。
それらすべてを手放してでも、君(you)は、”cold comfort for chang”(彼の言う”新しい浅い部分”)を手に入れたかったのか?と投げかけているのではないか?と考えた。
わたしは”Cold comfort”とは、”ちっぽけな安らぎ”程度の日本でよく言う”ささやかな幸せ”みたいなニュアンスの言葉なのかなと考えたが、どうやらそのような意味合いよりも、もっと辛辣で”ちっとも(さっぱり、わずかな)慰みにすらならない慰み(もの)”というようなニュアンスのある言葉らしい・・・?
だから彼が、”you”の引き換えに手にしたであろうそれ(cold comfort for chang)について、”新しい浅い部分(new shallow pieces)”と表現したのではないかと想ったのである。
よってピンク・フロイドの好きなアメリカンの彼の解釈は、”you”が持ってた良いすべてを引き換えにして手に入れたのは、”変化の冷たい快適さ(cold comfort for chang)、停滞した平和、不安な変化のための寒い日常的な快適性というそれらすべての”新しい浅い部分”という大変に複雑かつ、或る意味快適性な寒々しい感じのする(退屈的な)ものであったんじゃないか?。という感じなのかなと想ったのである。
そして歌い手は、その境遇と僕らのいた場所の何が違ってた?同じじゃないか。僕もきみと同じところにずっと今までもこれからもいるんだよと最後に歌い上げ、”You”に向かって、「なんで行っちゃったの?戻ってきて欲しいよ」と切実な、涙混じりな本当に悲しい叫びが聴こえてどうしようもなくなるのに、何故かその曲を聴いて僕は、暗闇に射し込む暖かな光を今日、珍しい晴れた午後に振る天気雨(それも霰みたいな)と僕の魂に降る感涙の雨と共に、生きてゆきたいという勇気として受けとったのは、たしかに、確かなのである。
僕は翌日にスパークルホースの歌うこのカバー曲は原曲の歌詞の
The same old fears
の部分の”fears”(恐怖や未来に対する不安、心配などの意)を、
The same old tears
”tears”(涙)に変えて歌っていることにようやく気付いた。
スパークルホースのマーク・リンカスがこの部分を変えたのだろうか?
それとも、トム・ヨークだろうか?
もしくは二人で同時にこの部分を”tears”にしないか、うん、そうしよう。という感じに二人の想いが一致したのだろうか。
トムもマークも、恐怖や不安よりか、悲しみ(涙)の強い人だからかもしれないと、僕は深いカタルシスを感じながら噛み締める想いで何度も聴いている。
これを機に僕は、ほんとにこれから、洋楽の歌詞というものに、ちゃんと、もっともっと真剣に目を向けて行きたいと想った。
とりあえず、今日、死に掛けていた僕にこの曲を贈ってくれた君(You)に、本当にありがとう。
勿論、この曲を書いたピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)、そしてこの曲の”you”であるだろうと彼も信じている精神を病んで去っていってしまったシド・バレット(Syd Barrett)、そしてこのカバー曲を作ってくれたレディオヘッドのトム・ヨーク(Thom Yorke)、そしてこのカバー曲を歌った2010年に自らこの世を去ってしまったスパークルホースのマーク・リンカス(Mark Linkous)、すべてにも同じ愛と感謝を贈りたい。
本当に、ありがとう。
Pink Floyd - Wish You Were Here