あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

挽歌

2017-12-31 18:19:10 | 
あと六時間ちょっとで年が明けるが、今年は一人で映画を観る気力さえない。
酷く疲れて、毛布にくるまれている。

君がここにいたらいいのに。

ピンク・フロイドのあのアルバムを買ったよ。
ポストに入りっぱなしだ。
だいぶ、冷えきって、凍えてるだろな。

あいつはさ、独りで。
ずっと、凍えてる。

おれはあいつを暖める。
冷たい平和に降る雪は。
あいつはおれを暖める。

みんな泣いてるんだ。
おれには見える。
美しい涙を夜が隠す。

みんな、恐怖して、凍えてる。
神はこの世界に、美しい雪を降らせる。
みんな、集まって、待ってる。

知らないんだよ。君のこころの意味。
制限された自由者たちのレクイエム。
彼らがぼくに歌い続けるレクイエム。
ぼくのなかに生きる死者たちの挽歌。

此処にいるよ。いつも。
彼らに鎮められ眠りつづける棺のなかに。
ぼくはいるよ。いつも。

雪が降ってくる。光満ちた雪。
眠るあなたの頬に。
一緒に、消えてしまったんだ。

闇のなか。
眠りの国。
雪うさぎ。
白光の涙。















讒言の誓い

2017-12-31 06:36:55 | 随筆(小説)
わたしはこの世で何より、"暴力"というものを恐れています。
"暴力"といっても、様々なものがありますが、わたしがそのなかでも最も恐れるのは、堪え難い"肉体的苦痛"をともなう暴力というものです。

わたしはそのため、どのような理由がそこにあろうとも、如何なる堪え難いと感じられる肉体的苦痛をともなう暴力を喜びません。
何を言われようが、わたしは肯定できません。

わたしは肉食に反対します。
わたしは畜産物の大量生産に反対します。
わたしは魚介類の乱獲に反対します。
わたしは捕鯨(イルカ漁も含む)に反対します。
わたしは動物実験に反対します。
わたしは毛皮の生産に反対します。
わたしは犬猫の殺処分に反対します。
わたしはウール、カシミア、アンゴラ、ダウン、フェザーなどの如何なる動物に虐待を与える生産に反対します。
わたしは皮革の生産に反対します。
わたしはサーカスや競馬などの動物に苦痛を与え続ける娯楽のすべてに反対します。

わたしは一匹のみちたという名前のうさぎを2008年の4月頃から飼っています。
うさぎといえば、他の国では食肉として生産されています。
また毛皮やアンゴラの生産のために、そして動物実験のために様々な拷問を受け、挙げ句の果てには殺され続けている動物です。

わたしは覚えている限り、今までに二度、あんまりにもおぞましい酷い皮肉を言われたことがあります。

わたしの飼っているうさぎを、殺して鍋にして、知らずにわたしに食べさせたらどうなるだろう?と。

うさぎの写真を見せれば、「うさぎ美味しそう♪」とだけ言われたこともあります。

わたしが肉食についての危惧を発言し続けているから、きっとそのような皮肉を言われるのだと想います。

しかし彼らは、自分の言ったその言葉が、そっくりそのまま自分自身へ向けられていることに気づこうともしていないはずです。

何故ならそれはあまりに吐き気を催すほどおぞましいことであるはずだからです。

あなたは想像できるでしょうか?
自分の家族が、自分や誰かの"食べ物"となることの感覚を。

ほとんどの人は、想像したくもないことのはずです。

しかし人は、平気でそのようなことをわたしに言うのです。

それでも、その吐き気を催すことが、まだ想像の世界にだけあるならば、どれほど楽でしょうか。

わたしはその想像を、既に超えて、そのおぞましい世界を現実として生きています。

わたしが、この世界は地獄なのだと訴えれば、ほとんどの人はわたしを嘲笑い、この世界が地獄であるということを否定しました。

一人の子供が、美味しい肉を食べて喜んでおり、その隣には、食べるものがなくて今にも死にかけている子供の様子を目にするなら、それを見る側は、一体どちらのほうに共感力を働かせるべきであるのか?

わたしはこの世の地獄の苦しみばかりに焦点を合わし続けて生きてきました。
焦点を合わせることすらしないなら、救えるものすら救えないと感じるからです。

彼らは、わたしが働きもせずに生きているということだけで、わたしが楽をして生きていると感じているようです。

しかし彼らにも、わたしのこの地獄を感じ続ける日は必ず遣ってくるのだと信じています。

自分が拷問にかけ殺してきたすべての生命たちが、自分の家族であったのだということに気づける日はそう遠くないと信じています。

自分の家族が拷問にかけられ殺され続けている世界に生き続けなくてはならないこの逃げ場のない監獄の苦しみを、わたしはいつの日かすべての人間に体験してもらいたい。

わたしが楽になれる日は、存在し得るすべての世界から、すべての存在の堪え難い苦痛のなくなる日です。

その為には、相手の苦痛を自分の苦痛として感じる必要があるのです。

人が、相手の苦痛を知るためには何が必要なのでしょうか?
わたしはそれが、人が一人一人自分を相手に捧げようとする心なのだと、わたしはわたしに対して確信の内に断言します。

つまりこういうことです。
わたしが未だ想像することさえしない他者の堪え難い苦痛に対して、わたしはあなたに約束します。

あなたの堪え難い苦痛をわたしは必ず輪廻転生して、いつの日か体験します。

あなたが今にも窒息しかけているのなら、わたしも同じ苦痛のうちに窒息して死ぬ未来をあなたに約束する。

これがわたしの愛する者たちと交わす逡巡たる讒言の誓いである。