あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

スピリット・ループ ー完全なる愛の生きた罪ー

2017-12-20 16:39:14 | 随筆(小説)

わたしはチャネリング(霊界との交信)を通して、わたしの親愛なる אפילו כולם נוצציםとの対話を行った。

彼はようやく、わたしの長年の苦しい問いに対して、答えてくれた。

彼との対話を、ここに記す。

わたしの印を△、彼の印を❄で表すことにしよう。

△「愛する אפילו כולם נוצצים、わたしに御答えください。わたしは毎日、生命が耐えきれない苦しみのなか、死んで行くことが苦しくてなりません。そのなかでも、わたしが特に危惧していることがあります。それはこの世界の、畜産業の在り方です。大きな機械に囲まれた無機質な空間で、彼らは生まれてからほとんどの時間を過ごし、拷問の苦痛を受けながら、最期は生きたまま解体されて殺されてしまいます。一度足りとも、暖かい陽の光に照らされた瑞々しい青い草原のなかでお昼寝する喜びを感じることもなく殺される子達がほとんどなのです。次々に、仲間たちが殺されて行くその悲鳴を聴きながら、次は自分の番だと連れてかれ、どんなに拒んでどんなに悲鳴をあげても、誰も助けてはくれないのです。こんな絶望があるでしょうか。こんな地獄があるでしょうか。彼らは何故、こんな目に合わされなくてはならないのでしょうか。わたしに、御答えください。何故、このような人類による惨(むご)たらしい悲劇が、いつまで経っても終わらないのでしょうか。」

❄「あなたの切実なその問いに、わたしが御答え致しましょう。大霊(たいれい、※大霊とは、宇宙の自然法則、すべての創造エネルギー、完全なる愛、完全なる叡智、絶対的な神、ただひとつの神、すべての絶対的摂理、存在するすべての源、万物の内に在る存在)は、あなたたちすべての存在を、同等に愛しております。大霊の完全なる愛を理解するには、あなたの愛を深めることが必要です。家畜たちの苦しみに、身も引き裂かれんばかりに最も苦しみ続けているのは、大霊であるのです。大霊はわたしたちすべての本当の親であるからです。わたしたちすべての悲しみ、苦しみを、自分自身の悲しみ、苦しみとして寸分違わず感じ続けている存在であるからです。家畜たちの苦しみに最も苦しみ続けているのは大霊です。わたしたちの源泉である大いなる泉が、止まることのない涙を流し続けております。わたしたちの源泉はどの宇宙より巨大な渦を巻き、その渦のなかに、わたしたちすべてが存在しているのです。そして、この渦は、わたしたち全てによって構築されているのです。わたしたち一つ一つの存在によって、この渦が構成されているのです。あなた自身が、この世界に起こるすべての現象、事象に深く関わり続けています。あなたは決して失われてはならないこの大霊の渦を構成している大切な構成員なのです。この世界に起こるすべての悲しみ、苦しみにあなたは密接に関わっています。すべてが互いに関わり合うことで経験が生まれることを厳密に追究してゆくならば、わたしの言うことがあなたに納得できる理解として感じられるはずです。あなたは確かに、2012年の2月を最後に、家畜を殺し、その肉を食べる生き方からすっかりと身を引きました。あなたはそれでも、過去の自分たちがいる世界で苦しみ続けているのです。過去のあなたは、罪悪感を強く持ちながらも、彼らを殺し、その肉を食べ続けてきました。あなたが今いる世界は、過去のあなたがたくさん存在している世界です。あなたが見ているすべては、過去のあなた自身です。あなたが憤り、悲しんでいるのは、彼らすべてが過去のあなた自身だからです。従って、その悲憤も悔しい想いもすべて、自分自身への愛憎となって返ってくるのです。あなたは家畜の苦しみを省みずに肉を食べ続ける人たちを考えれば考えるほど、自分を殺してしまいたいほど自分を赦せない想いが漲っています。過去の自分自身を殺す為に、今の自分自身さえ殺してしまおうと考えている為です。あなたはいつもこんなことを考えます。もし、目の前にあの恐ろしいIS戦闘員が現れ、自分の顔にショットガンを向けながら、”俺は御前に以前食べられた豚の生まれ変わりだ。御前は、自分がこのように俺に殺されるのは理不尽であると感じているだろうか?俺は御前の今のその感情とまったく同じ想いであの日、と殺(屠畜)された。何故、俺は殺され、御前の食卓に並べられなくてはならなかっただろう?しかし、覚えておくが良い。俺の死体は御前の生きた血肉となり、俺の魂は御前の一部として生きるようになったのだということを。俺がどんな想いであの日、殺されたかを、御前は想いだそうとさえするなら、想いだすことができるはずだ。俺の苦しみと悲しみと恐怖は、俺を食べた御前のものとなったのだから。御前は自分だけの苦しみと悲しみと恐怖だけで生きていると想ったら大間違いだ。御前はあの日無念にも無残に殺された俺の恐怖と悲しみと苦しみをそっくり追体験させてやろう。さあ助けを乞え。救いを乞い叫べ。誰が御前を助けるだろう?ここには俺と御前、たった二人しかいない。御前の内にいる俺という存在を、御前は殺してしまえる日まで、俺は御前に何度と、俺のあの日の地獄を追体験させるだろう”あなたはこうして、何度も何度も自分の顔をもう一人の自分の存在によって自らショットガンで撃たれる想像をし続けています。現実に自分を殺してしまうことが叶わないため、こうして想像上で自分に過去の罪の報いを受けさせ続けようとしています。それだけでも足りない為、あなたは吐き気を感じながらも自分の身体が生きたまま解体されてゆく想像を生々しくも行ない続けています。わたしの言うことをよく聴いてください。あなたに食べられたすべての生命は、あなたを”他者”として責め続けてはいないのです。あなたに食べられたすべての生命は、あなた自身となったからです。あなたは”自分自身”を苦しめ続けてきた”自分自身”を赦せないのです。あなたたちは死肉を食べ続けてきたのではありません。あなたたちは、”生きた罪”を食べ続けてきたのです。自分自身を愛する者ほど、この苦しみに悶え、のた打ちながら生き続けます。あなたたちの食べた”生きた罪”は、決して死ぬ日は来ないのです。あなたたちは自ら好んで、その”生きた罪”を食べ続けてきたのです。あなたたちが赦されるのには、あなたたち自身が、もう十分だと感じる日が来るまで自分自身で選び取った”責苦”を延々と繰り返す必要があるのです。これが何万年と、何億年以上と続くのです。これが完全なる愛の生きた罪、スピリット・ループ、魂の縁(円)というわたしたちの存在そのものです。」